晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

旅の終わり。浅井三姉妹ストラップGET!

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
改札口をくぐる前に
JR「大津」駅1階にある「滋賀県観光物産情報センター」を訪ねて、浅井三姉妹のストラップを2つ自分用に購入♪
それぞれ可愛いです。

(画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)



★画像右側のストラップ
滋賀県&福井県のキャラクター、浅井三姉妹(お茶々ちゃん・お初ちゃん・お江ちゃん)。

★画像左側のストラップ
滋賀県長浜市湖北町「プロジェクトA3」のキャラクター、元祖浅井三姉妹(茶々姫・初姫・江姫)。
湖北町のほうは、三人揃ったストラップがあれば欲しかったのですが、現在のところないもよう。
一人ずつのストラップはあったので、悩んだ末、今回の旅にゆかりの深い「初姫」のみ購入。
初(はつ)が籠城した大津城跡を訪ねたので。




来年2011年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』、楽しみですね♪

主人公の 江(ごう)は、上野樹里ちゃん。

江の姉、茶々(ちゃちゃ)は、宮沢りえさん。
江の姉、初(はつ)は、水川あさみちゃん。

どんなドラマになるのでしょう。



1泊2日、滋賀県大津市内を歩いた2日間、すっごく楽しかったです。
名残惜しいですが、JR「大津」駅の改札をくぐり、在来線・新幹線を利用して福岡県まで無事に帰宅しました。





滋賀県大津市でお会いした方々・この長い旅行記に最後までお付き合いくだった方々・この旅の機会をくださった滋賀県観光交流局様並びに関係者の方々に、心よりお礼申し上げます。


 【追記】散策のお供に!



大津ゆかりの戦国武将や大津の城跡を紹介されているパンフレットも内容が充実していてオススメです♪



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JR「大津」駅/山吹地蔵 ~木曾義仲の妾・山吹御前を想う~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
1泊2日の2日間、滋賀県大津市を歩き、JR「大津」駅前に戻ってきました。



太陽とともに私の気持ちは、沈みかけていました。

・・・帰りなくない~~~!
歴史も文化も深い!深すぎるよ、大津!!
2日間じゃ、(私の場合)足りないわ・・・。



JR「大津」駅ビル1階に入ろうとした瞬間、“山吹”の2文字が視界に入りました。

え!?  



数歩 戻って、看板をよく見ると、「山吹地蔵」とやらの説明と句碑が

句碑より

 “木曾どのを したひ山吹 ちりにけり”
 

(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。↓)
 

JR「大津」駅の隣りに 木曾義仲に仕えていた山吹御前(やまぶきごぜん)にちなんだお地蔵様がおわしたのです。



今まで「山吹地蔵」の存在を全く知りませんでした。
旅の最後になんというサプライズ!!

テンション再び盛り上がり!



 山吹御前とは

平安時代末期、木曾義仲<源義仲>の妾(めかけ)or召使(めしつかい)として、巴御前(ともえごぜん)という女性がそばにいたのは知られていますが、山吹御前もまた義仲に仕えていた女性です。
山吹御前は、木曾義仲・巴御前・今井兼平たちと共に信濃<木曾>から都<平安京>へ出てきましたが、病気のため、義仲の最期まで付き従うことがかないませんでした。

※巴御前・山吹御前については諸説ありますが、『平家物語』に登場する人物です。



「山吹地蔵」の説明板によると、木曾義仲たちの死を知った山吹御前は、京洛から逢坂山を越えて来たものの逢うことができず、敵の刀に倒れたのだそうです。
後世の人々が、山吹御前を弔うために地蔵尊を祀ったのが始まりだとか。

・・・そんな伝えがあったのですね。


山吹御前は『平家物語』では少ししか登場しない人物ですが、主君の木曾義仲<源義仲>や仲間たちとともに信州から都へ出てきていながら、最期まで一緒にいられないのは悔しかったのでは?と個人的に思っていました。

お地蔵様を祀って、代々守ってこられた、地域の方々のお気持ちに心が温まります。




さて。
JR「大津」駅ビル1階に入って“彼女たち”に再会しましょう。
これが旅の本当に最後の最後です。



旅の終わり。 へ続く。


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弘文天皇陵 ~天智天皇の皇子・大友皇子~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
弘文天皇陵

■住所:滋賀県大津市御陵町3(大津市役所西側)
■交通:京阪「別所」駅下車






大津市役所の裏側(西側)に弘文天皇陵があります。

弘文天皇とは、天智天皇の息子である大友皇子のこと。
明治時代になって、大友皇子は「弘文天皇」の名を贈られました。

天智天皇の崩御後 672年、大友皇子は、皇位継承をめぐって叔父である大海人皇子と「壬申の乱(じんしんのらん」で争い、敗れます。
大友皇子は、「山前(やまさき)」の地で自害されたといいます。


「壬申の乱」の勝者である大海人皇子は、都を「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」に遷し、天武天皇として即位するのでした。



 弘文天皇<大友皇子>と天武天皇<大海人天皇>

系図:弘文天皇<大友皇子>と天武天皇の関係は、甥と叔父。
それぞれの妻も複雑な立場に置かれました。



※大友皇子<弘文天皇>の正妻は、大海人皇子<天武天皇>の娘・十市皇女。
※大海人皇子<天武天皇>の正妻は、天智天皇の娘・讃良皇女(のちの持統天皇)。



*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*

●柿本人麻呂(かきのもとのひろまろ)の万葉歌碑

大津市役所前にある大きな時計の真下に球体の歌碑があります。
最初、場所がわからなくて、市役所の案内所で教えていただきました。
ありがとうございました。



 “さざなみの 志賀の大わだ よどむとも
  昔の人に 亦(また)も逢はめやも”


かつてあった志賀の都<近江大津宮(大津京)>を懐かしむ歌です。



次は
大津市歴史博物館の企画展と常設展を見に行きます。


大津市歴史博物館へ続く!



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近江神宮 ~祭神:天智天皇~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
近江神宮

■住所:滋賀県大津市神宮町1-1
■交通:京阪「近江神宮前」駅下車
公式サイト⇒http://oumijingu.org/

近江神宮のご祭神は、「天智天皇(てんじてんのう)」
またの名を「天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)」といいます。



1940年(昭和15年)に創祀され、今年、2010年11月に御鎮座70年をむかえられます。
神苑には、歌碑や句碑が多いので、興味がある方には魅力もさらに倍増だと思います。




朱塗りの楼門!



黒木の「外拝殿」。
楼門の華やかさとのギャップ萌え!(という言葉は不適切かな






「内拝殿」を参拝します。(-人-)
緑色のシートがかぶせられているところで、舞楽奉納があったりするのでしょうか♪



■漏刻(ろうこく=水時計)模型

(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。↓)


飾りではなくて、本物の水時計です。
流れ落ちる水の量によって時間を計ります。
671年、天智天皇が近江大津宮において初めて「漏刻(ろうこく)」を設置し、時刻制度を開始したことにちなんで作られたそうです。

ちなみに、6月10日の「時の記念日」は、天智天皇が時刻制度を始めた日を太陽暦に換算して制定されました。



「漏刻」あたりから楼門を見た景色↑
手前には、2種類の日時計が並んであります。


「古代日時計」 ロレックス製


■時計館・宝物館



京阪電車の「湖都古都・おおつ1dayきっぷ」の提示で、割引料金で入館できました。
いろいろな時計があって面白かったです。
宝物館は駆け足で見学してしまいました。次回(?)はゆっくり観覧したいです。


■天智天皇歌碑



神苑内にたくさんある歌碑の中からひとつだけ選ぶならば、この歌碑でしょう!
藤原定家によって撰ばれた『小倉百人一首』の第1首目の歌が天智天皇の歌であることは知られていますよね☆

“秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ”

毎年、近江神宮では「競技かるた」のチャンピオンを決める“名人位・クイーン位決定戦”がお正月に開催されています。
今年はテレビでの放送を見ていました。



 おさらい。天智天皇とは

・即位する前は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の名で知られる。
・中臣鎌足(のちの藤原鎌足)とともに蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす。→乙巳の変(いっしのへん)。
・天皇中心の国家にするため「大化の改新」を行った。→大化は日本初の元号
・663年の「白村江の戦い」での大敗後、国の防衛のために水城(みずき)や烽火(のろし)・防人(さきもり)を設置。
・667年、大津京<近江大津宮・近江京>遷都。
・全国的な戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を作成。

などなど、活躍されました。

※天智天皇の御陵は、京都市山科区にあります。






時計を見ると、ちょうど正午近く。
お昼ごはんタイムです♪



近江神宮神苑内にある「善庵」さんでお蕎麦をいただくことにしました。


善庵 宮そば(十割そば)へ続く!



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大津京シンボル緑地 ~天智天皇・額田王・柿本人麻呂・藤原鎌足・平忠度~

2010年10月21日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
大津京シンボル緑地

■住所:滋賀県大津市錦織
■交通:京阪「近江神宮前」駅下車



京阪「近江神宮前」駅で降りて、近江大津宮錦織遺跡を通り過ぎ、近江神宮にいたる前に「大津京シンボル緑地」があります。



一見、ただの駐車場ですが、「大津京シンボル緑地」には、天智天皇・額田王・柿本人麻呂・藤原鎌足(中臣鎌足)・平忠度 の歌碑があるので、ご興味がある方は要チェックなのです!!

平忠度(たいらのただのり)だけ、生きていた時代が違いますが、彼の歌もまたすごく好きなので歌碑があることが嬉しかったです。


(↓歌碑の画像はそれぞれクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧になれます。)

●天智天皇



 秋の田のかりほのいほの苫を荒み
  わが衣手は露に濡れつつ

 

●額田王(ぬかたのおおきみ)



 君待つとわが恋ひ居ればわが宿の
  すだれ動かし秋の風吹く



●柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)



 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば
  心もしのに古思ほゆ



●内大臣藤原卿(藤原鎌足)
安見児(やすみこ)という女官との結婚を許されたことを喜ぶ歌



 吾者毛也 安見兒得有
 皆人乃 得難尓為云
 安見兒衣多利


(吾はもや安見児得たり皆人の 得かてにすとふ安見児得たり)



●平忠度(たいらのただのり)・・・平安時代末期




 さざ浪や志賀のみやこはあれにしを
  むかしながらの山ざくらかな


※平忠度は、歌人の藤原俊成と交流がありました。
この歌は藤原俊成が編纂した『千載和歌集』に撰ばれており、その経緯のエピソードは『平家物語』の“忠度都落”に記されています。




 大津京シンボル緑地のベンチに座ってひとやすみ。

 

「ことゆう」さんでのチェックアウト時にいただいた飴玉をパクリ☆
甘さにほっとします~。

すぐ隣りにある近江神宮の参道へ入ります。


近江神宮へ続く!



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