■奈良・桜井の箸墓古墳、卑弥呼の墓か…死亡時期と一致
(読売新聞 - 05月29日 11:19)
⇒http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090529-OYT1T00384.htm
卑弥呼の墓といえば、ドラマ「鹿男あをによし」を思い出すのは私だけじゃないはず。
玉木宏くんと綾瀬はるかちゃんにきゅんきゅんしましたわー。
卑弥呼のお墓は見つかって欲しいような、永遠にどこにあるのかしらと考えていたいようなそんな気持ちです。
箸墓古墳が卑弥呼の墓ならば、
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)=卑弥呼ということに?
お箸がささって亡くなったという伝説の真偽はいかに?
前方後円墳の先駆けである箸墓古墳の築造時期と卑弥呼の死亡時期か被れば、卑弥呼の墓と確定するのは早計ですよね。
記紀と魏志倭人伝を完全に信用してしまっていいのかといってしまえば、身も蓋もないですが、卑弥呼って何を考えどんな風景を見て生涯を終えたのでしょうね。
卑弥呼の思考や邪馬台国の文化に興味があります。
+++++
先日、福岡県朝倉市の秋月(小京都と呼ばれる観光地です)に行ったときに、5月9日~10日に開催された“花の邪馬台国まつり”の案内チラシをもらってきました。
福岡県朝倉市では「卑弥呼の里 あさくら」として頑張っていらっしゃるもよう。
キャタクターが可愛いです。
こっそり応援しています。
⇒『朝倉市』公式ホームページ
⇒『甘木朝倉観光案内』・・・卑弥呼をモチーフにしたキャタクターに会えます。
全国の邪馬台国候補地の観光活性化のために、卑弥呼のことは謎のままであってほしい気がします。(´・ω・`)
※甘木・朝倉地方の周辺の地名と大和の周辺地名が同じで、位置も東西南北が似通っているので“邪馬台国甘木朝倉説”という説があるのです。
市内には「天然温泉 卑弥呼の湯」という温泉もありますよ。
いつか行ってみたいです。
邪馬台国が甘木・朝倉にあったかどうかはおいといて、歴史的には単なる一地方都市という感じではない気がします。
白村江の戦いのとき、日本から百済への援軍を出すために、斉明天皇(天智天皇の母)と朝廷のご一行様が「朝倉橘広庭宮」に滞在したとあらば、「朝倉」は何らかの朝廷とのつながりがあり、さらに朝廷に協力的で有力な氏族がいたと思われます。
私が昔、書いた拙いレポです。
結果としては伝承地のご紹介しかできず、すべては不明って感じですけれども。
★斉明女帝の朝倉橘広庭宮
清少納言の『枕草子』の“山は”の段に、「あさくら山」が含まれています。
元となった古歌もあるようですが、
後世の説話集『十訓抄』にみられるように天智天皇が服喪のために過ごしたという「木の丸殿」の故事や、天智天皇作の和歌が平安時代に広く知られていたからなのでしょうね。(←推測)
『枕草子』のものづくしの段は歌枕の地がよく挙げられるので、「あさくら山」もそのひとつだったのかな。
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玉木宏くんと綾瀬はるかちゃんにきゅんきゅんしましたわー。
卑弥呼のお墓は見つかって欲しいような、永遠にどこにあるのかしらと考えていたいようなそんな気持ちです。
箸墓古墳が卑弥呼の墓ならば、
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)=卑弥呼ということに?
お箸がささって亡くなったという伝説の真偽はいかに?
前方後円墳の先駆けである箸墓古墳の築造時期と卑弥呼の死亡時期か被れば、卑弥呼の墓と確定するのは早計ですよね。
記紀と魏志倭人伝を完全に信用してしまっていいのかといってしまえば、身も蓋もないですが、卑弥呼って何を考えどんな風景を見て生涯を終えたのでしょうね。
卑弥呼の思考や邪馬台国の文化に興味があります。
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福岡県朝倉市では「卑弥呼の里 あさくら」として頑張っていらっしゃるもよう。
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全国の邪馬台国候補地の観光活性化のために、卑弥呼のことは謎のままであってほしい気がします。(´・ω・`)
※甘木・朝倉地方の周辺の地名と大和の周辺地名が同じで、位置も東西南北が似通っているので“邪馬台国甘木朝倉説”という説があるのです。
市内には「天然温泉 卑弥呼の湯」という温泉もありますよ。
いつか行ってみたいです。
邪馬台国が甘木・朝倉にあったかどうかはおいといて、歴史的には単なる一地方都市という感じではない気がします。
白村江の戦いのとき、日本から百済への援軍を出すために、斉明天皇(天智天皇の母)と朝廷のご一行様が「朝倉橘広庭宮」に滞在したとあらば、「朝倉」は何らかの朝廷とのつながりがあり、さらに朝廷に協力的で有力な氏族がいたと思われます。
私が昔、書いた拙いレポです。
結果としては伝承地のご紹介しかできず、すべては不明って感じですけれども。
★斉明女帝の朝倉橘広庭宮
清少納言の『枕草子』の“山は”の段に、「あさくら山」が含まれています。
元となった古歌もあるようですが、
後世の説話集『十訓抄』にみられるように天智天皇が服喪のために過ごしたという「木の丸殿」の故事や、天智天皇作の和歌が平安時代に広く知られていたからなのでしょうね。(←推測)
『枕草子』のものづくしの段は歌枕の地がよく挙げられるので、「あさくら山」もそのひとつだったのかな。
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