晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

【平安あれこれ】鏡神社 ~松浦なる鏡の神~(2024年6月)

2024年08月31日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 6月のこと。

佐賀県唐津市にある鏡神社を参拝しました。

 

【鏡神社 鳥居】

 

鏡神社は『源氏物語』において「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と歌に詠まれ「松浦の宮」と本文に登場します。

また紫式部の家集『紫式部集』でも「松浦なる鏡の神」「松浦の鏡」と歌に詠まれています。

 

平安京から遠く離れていながらも『源氏物語』と『紫式部集』の両方に出てくる神社として稀有な存在だと思います。

 

【鏡神社 一の宮 ご祭神:息長足姫命(神功皇后)】

 


『源氏物語』玉鬘巻

玉鬘と乳母たちは肥前国に滞在していた頃、鏡神社を信仰していました。

肥後の豪族・大夫監が玉鬘へ求婚の歌を詠み、乳母が玉鬘の代わりに返歌を詠む場面があります。

 

大夫監が詠んだ歌

 君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ

 

[現代語訳:姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います

 

 

乳母が詠んだ歌

 年を経て祈る心の違ひなば 鏡の神をつらしとや見む

 

[現代語訳:長年祈ってきましたことと違ったならば鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 

 

ここで「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と詠まれているのが、鏡神社のことです。

玉鬘と乳母たちは、大夫監からの強引な求婚から逃れるために、船で筑紫を脱出することを決意します。

 

【鏡神社の境内には、大夫監が詠んだ歌の碑があります】

 

 


『源氏物語』玉鬘巻において、船出する時のこと。

 

 ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

 

[現代語訳:ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 

「松浦の宮の前の渚」とは鏡神社の前に広がっている渚のこと。


玉鬘一行は唐津湾あるいは松浦川から船出しますが、乳母の娘のひとりで “おもと” と呼ばれる女性は肥前での家族が多くなっているため肥前に残ることに…。


 “おもと” の妹は、鏡神社の前に広がる美しい海辺の景色と 姉 “おもと” との別れを悲しむのでした。

 

筑紫から無事に帰京した玉鬘たちではありますが落ち着いて住むすべがありません。

そこで京都府八幡市にある石清水八幡宮への参拝をします。

 


『源氏物語』玉鬘巻


 [略」近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。[略]

 

[現代語訳:この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 

乳母の息子が、京の近くにある石清水八幡宮は筑紫滞在中に京に帰れるよう信仰していた松浦の鏡神社(佐賀県唐津市)・筥崎宮(福岡市東区)と同じ社であるから無事に上洛できたお礼参りをしましょう、と参拝をすすめたのでした。

 

  • 石清水八幡宮の御祭神:応神天皇、比咩大神、神功皇后(息長帯比賣命)
  • 鏡神社の御祭神   :息長足姫命(神功皇后)、藤原廣嗣朝臣
  • 筥崎宮のご祭神   :応神天皇、神功皇后、玉依姫命

 

鏡神社の御祭神に応神天皇(八幡大神)はいませんが、応神天皇の母である息長足姫命(神功皇后)が祀られていることにより応神天皇(八幡大神)と同質の神と見做されたのではないかと…。

平安時代の信仰が気になるところです。

 

【二の宮 ご祭神:藤原廣嗣朝臣】

 

『源氏物語』の作者である紫式部はなぜ、平安京から遠く離れた肥前国の鏡神社のことを知っていたのでしょう?


それは紫式部は、平安京から筑紫の肥前国へ下った女友達と文通していたからなのでした。ふたりの交流は紫式部の家集『紫式部集』から知ることができます。

 


 『紫式部集』より

 

紫式部が詠んだ歌
 

 あひみむとおもふ心はまつらなる 鏡の神やそらにみゆらむ

 

[現代語訳:あなたに逢いたいと思う心は、松浦にある鏡の神も空にあって御覧になっておられるでしょうか。

 

 

紫式部の女友達が詠んだ歌

 

 ゆきめぐりあふをまつらの鏡には 誰をかけつついのるとかしる

 

[現代語訳:ゆきめぐり、またあなたと逢える日を待つという、松という名を負う松浦の鏡には、誰を心に懸けて祈っていると御存知ですか。いうまでもなくあなただけです。

 

【本文・現代語訳は『新訂版 紫式部と和歌の世界 一冊で読む紫式部家集 訳注付』(上原作和・廣田収 編)より引用】


 

紫式部の歌に「まつら(松浦)なる 鏡の神」とあり、『源氏物語』玉鬘巻に出てくる大夫監の歌を彷彿としますよね。

女友達は「まつら(松浦)の鏡」と詠んでいます。

 

この歌が詠まれたのは、紫式部の父である藤原為時が越前守として越前国に赴任していた頃のこと。

結婚前の紫式部は為時とともに越前国へ下っていました。

一方、女友達もまた肥前守となった父とともに京から肥前国に下って暮らしていました。

 

1000年以上も前に、越前と肥前…遠く離れていながらも鏡神社を介して再会を願った女性たちがいたこと。

それを現在、知り得ることができて切なくも嬉しく思います。

 

この女友達は、肥前守平維将の娘で紫式部とは従姉妹関係にあたるともいわれています。

 

 

 

 

さて、鏡神社には他にも見どころがあります。

【狛犬】

狛犬ならぬ、狛虎…?虎の姿をしています。

雌の狛犬の足元には赤ちゃん狛犬がいます。

 

【子宝・安産のご神木】

二の宮の近くにある樟で、おなかがふくらんだ妊婦のような姿をしています。

子宝・安産・夫婦円満にご利益があるのだとか。

 

 

※この記事は、私が作成しているホームページ『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』『花たちばな』での鏡神社のページをもとに編集・加筆しました。

 

 


 鏡神社

  佐賀県唐津市鏡1827

  https://kagami.or.jp/

 


 

 

 

 

 

 

 

 


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【平安あれこれ】『源氏物語』に登場する玉鬘と九州の『源氏物語』ゆかりの地

2024年08月26日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

『源氏物語』ゆかりの地といえば、京都や須磨・明石を思い浮かべる方が多いと思います。

けれども、少なからず『源氏物語』には筑紫(九州)に関わりがある人物が登場しており、中でも有名なのは玉鬘と呼ばれる姫君ではないでしょうか。

 

【風俗博物館で撮影。成長した玉鬘】

 

玉鬘は京で生まれ、光源氏のライバルでもある頭中将を父に、頭中将の愛人だった夕顔を母にもつ姫君です。

夕顔は、頭中将の正妻による嫉妬から逃れるために身を隠していたところ、光源氏に見いだされ愛されることになります。

しかし夕顔は物の怪により急死。光源氏の悲しみは大変深いものでした。

夕顔が行方不明になった時、娘の玉鬘はまだ3歳。

 

母・夕顔の死を知らないまま、玉鬘は4歳で乳母たちとともに京から筑紫の大宰府(福岡県太宰府市)へ下ります。

それは乳母の夫が大宰少弐[だざいのしょうに=大宰府の実質上の次官]になったからでした。

乳母の夫は大宰府で亡くなりますが、玉鬘と乳母たちには帰京するだけの力もなくやがて肥前国へ移り住みます。

 

そんな中、肥後国の豪族である大夫監(たいふのげん)が美貌と評判の玉鬘に求婚してきます。

地方豪族の大夫監と結婚するわけにはいきません。

なぜならば玉鬘と乳母一家は、京へ戻り、玉鬘の父[頭中将から出世してこの時は内大臣]に玉鬘の存在を知ってもらって幸せになれるよう神仏に祈ってきたからです。

 

玉鬘たちが筑紫滞在中に信仰していたのが鏡神社(佐賀県唐津市)と筥崎宮(福岡市東区)でした。

また、玉鬘に仕える下女の言葉に観世音寺(福岡県太宰府市)が出てくることから、観世音寺も信仰していたのではないかと思われます。

 

【風俗博物館で撮影。帰京後、長谷寺参詣の途中に椿市で休息する玉鬘。】

 

神仏への願いが届いたのか、玉鬘は無事に帰京を果たし、光源氏の邸宅「六条院」にひきとられることになります。

父親とも再会。結婚後は三男二女の母となります。

 

そうした流れで玉鬘との関わりによって九州が『源氏物語』の舞台となります。

以下、作中に登場するゆかりの地です。

 

 

■大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)

 乳母の夫が勤務。玉鬘たちも大宰府に住む。

 

私が「大宰府政庁跡」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】【太宰府】大宰府政庁跡

 

 

■金の岬(福岡県宗像市鐘崎)

 玉鬘たちが京から筑紫へ下る船旅で作中に地名として登場

 

 

■鏡神社(佐賀県唐津市)

 玉鬘たちが信仰。作中の和歌にも詠まれる

 

私が「鏡神社」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】鏡神社 ~松浦なる鏡の神~

 

■筥崎宮(福岡市)

 玉鬘たちが信仰していた神社。『源氏物語』常夏巻では和歌の中に歌枕として登場。

 

私が「筥崎宮」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】筥崎宮 波立ち出でよ筥崎の松

 

 

■観世音寺(福岡県太宰府市)

 玉鬘に仕える下女が見聞きした寺。おそらく玉鬘たちも信仰。

 

私が「観世音寺」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】【太宰府】観世音寺

 

 

筑紫を訪ねたことはないはずの紫式部が、『源氏物語』に筑紫の寺社を登場させたのは夫の藤原宣孝や友人の影響があったと考えられています。

それについてはまた別の記事にまとめたいと思います。

 

※この記事は、私が作成しているwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』より一部転載しています。

 

 


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【旅行記INDEX】宇治・大津・京都へ行ってきました(2024年5月)

2024年08月12日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月、宇治・大津・京都へ行ってきました。

お天気に恵まれ楽しい3泊4日の旅となりました。

記事ではお名前を出していませんが、大津や京都でご一緒した友人達には感謝でいっぱいです!

 

よろしければ、以下の記事におつきあいくださいませ。

 

 

旅行1日目

 ・【平安あれこれ】在原業平邸址に建つホテルギンモンド京都に宿泊

 ・【平安あれこれ】菟道稚郎子~『源氏物語』八の宮のモデル?~

 ・【平安あれこれ】浮舟宮(うきふねのみや)跡~源氏物語のヒロイン、浮舟は神に~

 ・【宇治】京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

 ・光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました! 其の壱其の弐其の参

 ・【平安あれこれ】浄妙寺~藤原道長が一族を弔うために建立~

 

旅行2日目

 ・【平安あれこれ】逢坂の関記念公園~平安京の出入り口~

 ・【大津】逢坂山 かねよ レストラン「きんし丼」

 ・【平安あれこれ】石山寺~貴族たちに慕われた観音さま~

 ・「光る君へ 大津 大河ドラマ館」行ってきました!

 

旅行3日目

 ・【平安あれこれ】Cafe Restaurant Intiにて「紫式部スペシャルランチ」

 ・大津市歴史博物館 特集展示「源氏物語と大津」

 ・大津市歴史博物館 企画展「紫式部と祈りの世界」

 ・琵琶湖の南を周遊「ミシガンクルーズ」~紫式部も見た山並みと空と~

 ・琵琶湖ホテルのカフェ ベルラーゴでモクテル「十五夜 ~紫式部~」とケーキ「玉鬘」

 

旅行4日目

 ・【平安あれこれ】晴明神社~祭神は陰陽師・安倍晴明~

 ・【平安あれこれ】平安京一条大路~かつて賀茂祭の祭列が通った~

 ・【平安あれこれ】一条院跡 ~一条天皇の里内裏~

 ・京都市考古資料館「紫式部の平安京ー地中からのものがたりー」

 ・風俗博物館

  > ①法華経千部供養(『源氏物語』「御法」より)その1その2

  >②女房の日常・局 ~王朝女性の身嗜み・黒髪~

  >③平安の遊び ~偏つぎ~

  >④四季のかさねの色目に見る平安王朝の美意識

  >⑤産養 (『源氏物語』「若菜上」より)

  >実物大展示

   > 女房装束[二十枚の重袿+表着+裳+唐衣]

 ・前田珈琲 龍谷ミュージアム店で「赤味噌オムハヤシ」

 

 


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京都市考古資料館「紫式部の平安京ー地中からのものがたりー」

2024年06月26日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

平安京一条大路跡説明板一条院跡を訪ねてのち、

京都市考古資料館において2024年 2月17日(土)から 6月23日(日)まで開催されていた特別展示「紫式部の平安京ー地中からのものがたりー」を鑑賞。

 

本や説明板で見たことがある展示品も多く、今回実物を見ることができて感激しました!

写真撮影可能だったので印象的だったものをいくつか掲載いたします。

(この記事に掲載している展示品の写真にはすべて「晴れのち平安」の透かしを入れています。)

 

【平安宮内裏承明門跡から出土した地鎮具 輪宝と撅(けつ)】

 

【平安宮内裏弘徽殿跡から出土した塼(せん)】

 

【小野宮池跡から出土した人面墨書土器】

 

【高陽院跡から出土した緑釉陶器耳皿】

 

【土御門殿池跡から出土した 緑釉陶器、土師器 皿、高坏】

土御門殿は藤原道長の邸宅のひとつ。

「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」を詠んだのもこの土御門殿。

 

【法成寺跡から出土した緑釉軒平瓦】

法成寺は藤原道長が建立。道長は法成寺で亡くなりました。

 

【「斎宮」邸池跡から出土した「齋雑所」墨書土器】

 

【「斎宮」邸跡から出土した人形代】

 

 

【高陽院跡から出土した輸入陶磁器 青磁碗】

平安時代中期、高陽院は藤原頼通の邸宅でした。

中国越州窯系青磁の碗で、深く穏やかなオリーブ色をしている…いわゆる秘色(ひそく)です。

 


河添房江先生の著書『紫式部と王朝の文化のモノを読み解く 唐物と源氏物語』より引用。

 

 青磁は当時、大宰府を経由して中国の越州窯からの輸入品が多かったのです。その中でも優品とされるのが「秘色」と呼ばれるもので、平安の宮中や貴族の屋敷で珍重された品でした。

 


 

 

『源氏物語』に登場する末摘花は零落して荒れ果てた邸に住んでいましたが、食器は亡くなった父・常陸宮が手に入れていた「秘色やうの唐土のもの秘色青磁らしい中国渡来の食器…越州窯青磁の最高級品を使っていたのでした。

 

【参考】

京都市埋蔵文化財研究所のXポストより https://x.com/maibunken1976/status/1775408595674542109

 

 

どの展示品も興味深く拝見しました!

 

 


京都市考古資料館

 https://www.kyoto-arc.or.jp/museum/

 京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町265-1


 

 

 

 

 


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【平安あれこれ】一条院跡 ~一条天皇の里内裏~

2024年06月23日 | 平安あれこれ

平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

平安京一条大路跡の説明板を訪ねたあと、一条院跡の説明板がある名和児童公園を訪ねました。

 

【名和児童公園。写真左側に見えるのが「源氏物語ゆかりの地説明板 No,21 一条院跡」】

 

一条院は、平安宮の北東に隣接した邸宅であり、一条大路と平安宮の東側を通る大宮大路に接していました。

この邸宅は一条天皇の里内裏として使用されたことで有名です。

 

【説明板。クリックで拡大します。プラウザの「戻る」でお戻りください。】

 

<一条院[一条第]所有者の流れ>

藤原師輔

  ↓

師輔の子・伊尹へ

  ↓

伊尹の異母弟で婿でもある為光へ

  ↓

為光女へ

  ↓

受領の佐伯公育が買い取る

  ↓

東三条院(円融天皇の女御、藤原詮子)に献上

  ↓

東三条院の子、一条天皇の里内裏に

 

 

一条天皇の中宮であった藤原彰子[道長の長女]や紫式部も一条院で過ごした時期があり、紫式部が『紫式部日記』に書いている内裏[御所]は平安宮内裏ではなくそのほとんどが里内裏としての一条院のこと。

一条天皇時代の文化サロンの舞台となりました。

 

一条院の寝殿の南側には、貴族の邸宅に見られるような池庭はなく、広い庭をもっていたのだそう。

 

【一条院跡。現在の名和児童公園の遊具】

現在はのどかな公園となっているおり、南北朝時代に活躍した名和長利の碑が建っています。

 

 

【参考】

角田文衞 監修/[財]古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典』本編上巻 角川学芸出版 2012年

(公財)京都市生涯学習振興団 編集・制作/『新版 平安京図会』 山代印刷株式会社 2024年

(公財)京都市生涯学習振興団 『京都市平安京創生館展示図録 平安京百景』 山代印刷株式会社 2021年

 

 

 

 

 


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