連れ合いとの気ままな写真日記
第22回土門拳文化賞奨励賞受賞 m
第26回土門拳文化賞奨励賞受賞」Y
我が家の四軒隣の電飾である。
今年は節電や自粛ムードで
昨年までと比べ、めっきりと
こうしたイルミネーションで
家の周りを飾り立てる所が
減った。昨年までは、やりすぎだろう
と思うぐらいの光の饗宴だったが、
今年はその分落ち着いた年末である。
しかし、この家では今年も12月になった
その日から、昨年にもまして盛大な
光のページェントが毎晩繰り広げられている
のだ。
思えば、ここへ越してきた頃は庭に一本あった
針葉樹だけが電飾されていて、それはそれで
清楚な美しさだったが、今やこれだけの
派手なものになったのだ。
かくして、この電飾が年末の風物詩になって
いることは確かである。
Y
来年は辰年だからというわけではないけれど
加山又造の「雲龍図」の前での
反映を撮影した。写真OKのようでしたが、
なにしろ観光客の絶え間が無いので、
背後の人物のバランスが纏まらなかった。
その分 池の鯉はゆうゆうと
静けさを保って、
人間世界の喧騒を何食わぬ顔で
見ているようでした。
四季咲き桜の残り花も
ひつそりと匂い立つ様でした。
m
ブロック塀の途中に
トタンで張られた青い戸。
普段開け閉めされている
形跡も無いが、
何のための戸なのだろう。
どうやってあけるのだろう、
ブロック塀とのつながりが
あまりにもそぐわなくて
そこがまた面白い。
Y
京都の同じ場所へ行って
見たものは、同じだけれど
Yとは、それぞれ別の日になつた。
別に仲間割れをしたわけではないのですが・・
京都の紅葉の繊細さは格別ですね!
枝垂れ桜の細い枝の中で
落ち着いた暗紫色の赤が
目立ちます・・
お寺のなだらかな屋根も
秋色でした。
m
桐の梢。
今はほとんどその大きな
葉を落として、独特の
弧を描いた枝先が美しい。
今年咲いた花は、
実の付いた後黒く枯れているが
もう来年の花芽が付いている
枝先は黄土色に膨らんでいる。
今まで桐は次年度の花芽を
秋に用意していることは知らなかった。
木蓮やハナミズキと同じなのに、
見ていなかっただけだ。
見ていなかったものがいかにに多いかが
ブログをやり始めてわかったことだ。
Y
この前、Yがアップした長良川鉄道の
電車のない風景です。
野火の煙が、まっすぐに昇っていて
これはこれで、なんとなく捨てがたく
夕景として、郷愁を誘っています。
身近にあるなんでもない風景が
気になるこの頃です。
m
翌朝、
「山がすごいよ」という
Mの声に起こされて、
西の窓を見ると、里は
まだ日陰だが、西山だけに
朝日が当たって、
赤く染まっていた。
間もなく、この山が
白くなり、やがて
その雪がここにも積もる
季節となる。
〈西山眺望シリーズ〉
Y
先日実家に帰ったときも、
辺りは深い霧に包まれていた。
昨年まではこの時期に
あまり霧を見ることはなかったように
思うのだが、意識をしなかった
だけかもしれない。
街路灯や玄関灯の光が
滲むことによって存在感を
際立たせていた。 Y
仕事の途中、あまりにも見事な
鈴なりの実をつけた柿木があったので
撮った後、車に戻りかけると
道路を挟んだ山の斜面に
なにやら動物がいた。
向こうもこちらを見ている。
近づいてカメラを向けても
逃げる気配はない。
カモシカだ。
コンパクトカメラのデジタルズームで
撮ったので、画像は荒いが、
正しくカモシカだ。
猿にはあちこちでお目にかかるが
カモシカは久しぶりだ。
場所は高鷲の手前、しかも、国道165の
直ぐ上だ。 Y
二宮金次郎の銅像。
学校は、近代的になっても
学びの姿勢は見習いなさい・・
ということなんでしょうか。
黒ずんで時代を超えている。
薪なんて、古臭いなぁと思っていたら
近頃は、薪ストーブで需要が結構ある。
時代は移っていくのか・・戻ってくるのか・・
校舎の隅に追いやられようが
変わりなく立っている。
m