一昨日の「カナリア日記」に私のお散歩コースの写真を紹介したら
「まるで、日本のグリーンゲイブルスのようですね」
とのコメントを頂きました。
グリーンゲイブルスは「赤毛のアン」の舞台です。
アンの事を想い出しました。
この作品は1908年、カナダのモンゴメリによるものです。
アンの翻訳者といえば、村岡花子さんですよね。
私も彼女の新潮文庫のもの(1952年)を読んでました。
シリーズ物になってます
1.赤毛のアン
2.アン青春
3、アンの愛情
4、アンの幸福
以下10迄続きましすが、大体上の4までを繰り返し読んでました
最後に読んだのは、息子が年長の夏休みの時でした。
川原で水遊びをしてる息子を横目に木陰で読んでいた記憶があります。
あのころは、そんな時間が持てました。
日常の中でも読書の時間は結構持ててました。
子育てして、家事もきちんとこなし、勿論教室もやっていました。
今は
どうしてでしょうね?
どうして、そう結う時間が持てなくなってしまったのでしょうね?
子供を背負う必要はなくなったけど
別に背負うものが増たのでしょ。
それもかなり沢山。
一日一時間、読書の時間を持ちましょうか
出来れば、少女時代に夢中になって読んだ文学作品を
あ、でも読みだすと、絶対途中でとめられなくなってしまうのです
それが判ってるから、中々、ページを開けないのかもしれませんね
アンにもう一度会いに行こうかな?
こんな素敵な景色の中に住んでるアンに・・・
にほんブログ村
ランキングに参加しています。
ご協力よろしくお願いいたします。
「まるで、日本のグリーンゲイブルスのようですね」
とのコメントを頂きました。
グリーンゲイブルスは「赤毛のアン」の舞台です。
アンの事を想い出しました。
この作品は1908年、カナダのモンゴメリによるものです。
アンの翻訳者といえば、村岡花子さんですよね。
私も彼女の新潮文庫のもの(1952年)を読んでました。
シリーズ物になってます
1.赤毛のアン
2.アン青春
3、アンの愛情
4、アンの幸福
以下10迄続きましすが、大体上の4までを繰り返し読んでました
最後に読んだのは、息子が年長の夏休みの時でした。
川原で水遊びをしてる息子を横目に木陰で読んでいた記憶があります。
あのころは、そんな時間が持てました。
日常の中でも読書の時間は結構持ててました。
子育てして、家事もきちんとこなし、勿論教室もやっていました。
今は
どうしてでしょうね?
どうして、そう結う時間が持てなくなってしまったのでしょうね?
子供を背負う必要はなくなったけど
別に背負うものが増たのでしょ。
それもかなり沢山。
一日一時間、読書の時間を持ちましょうか
出来れば、少女時代に夢中になって読んだ文学作品を
あ、でも読みだすと、絶対途中でとめられなくなってしまうのです
それが判ってるから、中々、ページを開けないのかもしれませんね
アンにもう一度会いに行こうかな?
こんな素敵な景色の中に住んでるアンに・・・
にほんブログ村
ランキングに参加しています。
ご協力よろしくお願いいたします。