珠洲市・奥能登方面の見どころ その1(No.49)
◇上時国家
左大臣平時信の長男、大納言平時忠は、義経に囚われ
の身となったが、三種の神器の帰座という任務を全うし
たことにより軌殺を免れたものの、やがて京を追われる
身となった。時忠主従16人、日本海の荒れすさぶ能登の
最果ての珠洲の浦に辿り着いたのは、文治元年(1185)
のことであった。
現在の上時国家は、京都東本願寺の建築にたずさわっ
た安幸という大工が天保2年(1831)に28年間を経て完
成したものだと伝えられ、農村に於ける支配階級の住宅
様式と由緒が良く残されている。
◇禄剛崎
能登半島の最先端で、ちょうど外浦と内浦との接点に
あたるところ。ここは「海から昇る朝日と、海に沈む夕
日」が同じ場所で見られることで有名です。海原にせり
出した断崖には、明治時代にイギリス人の設計で造られ
た白亜の禄剛埼灯台がそびえている。
◇珠洲焼資料館
平安時代から戦国期にかけての約400年間、須恵器の伝
統を受けつぎ、無釉・還元燻べ焼きで焼かれた、灰黒色
で力強い造形美を誇る珠洲古陶や資料を展示。その移り
変わりや流通した様子、当時の信仰や生活との関わりに
ついても分かりやすく紹介している。
■写真は禄剛崎灯台