長者ヶ原廃寺跡のある衣川は、古くから重要な出来事がいくつか起きた歴史の舞台でもありました。そのため、長者ヶ原廃寺跡の周辺には数多くの遺跡があります(詳しくはこのパンフをご覧下さい)。
昨日、名前が出た室の樹遺跡もそんな遺跡のひとつです。
遺跡の名前は、長者ヶ原廃寺跡の東隣の字名(室の木)に因むものです。この地名は地元の伝承に基づくもののようです。
その伝承とは、浄土庭園で有名な毛越寺を建立した藤原基衡の妻が仁和寺からこの場所に桜の木を移植したというものです。
仁和寺は出家後の宇多法皇が住まいしたところで、そのため御室(おむろ)御所とも呼ばれていました。その御室御所から移植した桜の木を「室の木」と呼び、それが地名になったというものです。
室の木遺跡には下の写真のように巨石が転々としています。5年前に岩手県立博物館が石を分析していますが、その結果によれば、長者ヶ原廃寺跡の本堂跡と同じ安山岩で、束稲山の北側の山毛欅(ぶな)峠周辺から運ばれたものとのことです。
本格的な調査は行われていませんが、かなり重要な遺跡だとkaneurikichiji は確信しています。
室の樹遺跡に転々とある巨石。北上川の向こうからどうやって運んできたのでしょうか?
昨日、名前が出た室の樹遺跡もそんな遺跡のひとつです。
遺跡の名前は、長者ヶ原廃寺跡の東隣の字名(室の木)に因むものです。この地名は地元の伝承に基づくもののようです。
その伝承とは、浄土庭園で有名な毛越寺を建立した藤原基衡の妻が仁和寺からこの場所に桜の木を移植したというものです。
仁和寺は出家後の宇多法皇が住まいしたところで、そのため御室(おむろ)御所とも呼ばれていました。その御室御所から移植した桜の木を「室の木」と呼び、それが地名になったというものです。
室の木遺跡には下の写真のように巨石が転々としています。5年前に岩手県立博物館が石を分析していますが、その結果によれば、長者ヶ原廃寺跡の本堂跡と同じ安山岩で、束稲山の北側の山毛欅(ぶな)峠周辺から運ばれたものとのことです。
本格的な調査は行われていませんが、かなり重要な遺跡だとkaneurikichiji は確信しています。
室の樹遺跡に転々とある巨石。北上川の向こうからどうやって運んできたのでしょうか?
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