帰省から盛岡に戻る途中。
あこがれの場所に立ち寄ってきました。
金売り吉次の墓(とされているところ)です。
『そこなら去年の夏に行ったじゃない』と思ったアナタは、このブログのよき読者(←失礼!)。
でも、金売り吉次の墓はもう一か所あるのです。
それは、栃木県壬生町、国道352号を、壬生市街地から鹿沼に向かって行く途中の、上稲葉交差点。
交差点そばにはセブンイレブンがあるのですが、そのすぐ横の田んぼの中。
近寄るとこんな感じ。
実は、ここ、松尾芭蕉も訪れています。
『奥の細道』には出てきませんが、一緒に旅をした曾良の日記に次のように記されているからです。
壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。
この国道352号は、日光西街道と呼ばれ、すぐそばには稲葉一里塚もあります(上の写真の↓)。
そうです、松尾芭蕉は、衣川の吉次屋敷(=長者ヶ原廃寺跡)だけでなく、そのお墓も見ているんです。
芭蕉は西行法師にあこがれて、東北を旅しているのですが、案外、金売り吉次のことも気にしているのかもしれませんね。
あこがれの場所に立ち寄ってきました。
金売り吉次の墓(とされているところ)です。
『そこなら去年の夏に行ったじゃない』と思ったアナタは、このブログのよき読者(←失礼!)。
でも、金売り吉次の墓はもう一か所あるのです。
それは、栃木県壬生町、国道352号を、壬生市街地から鹿沼に向かって行く途中の、上稲葉交差点。
交差点そばにはセブンイレブンがあるのですが、そのすぐ横の田んぼの中。
近寄るとこんな感じ。
実は、ここ、松尾芭蕉も訪れています。
『奥の細道』には出てきませんが、一緒に旅をした曾良の日記に次のように記されているからです。
壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有。
この国道352号は、日光西街道と呼ばれ、すぐそばには稲葉一里塚もあります(上の写真の↓)。
そうです、松尾芭蕉は、衣川の吉次屋敷(=長者ヶ原廃寺跡)だけでなく、そのお墓も見ているんです。
芭蕉は西行法師にあこがれて、東北を旅しているのですが、案外、金売り吉次のことも気にしているのかもしれませんね。
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