今から325年前。
元禄2年3月27日。
松尾芭蕉は江戸深川を旅発ちます。
のちに奥の細道としてまとめられる旅。
元禄2年3月27日は、新暦になおすと5月16日だそうで、それゆえ日本旅のペンクラブが、この日を旅の日としたようです。
芭蕉と言えば、長者ヶ原廃寺跡も見ているはず。
でも、今の衣川は、芭蕉が見た衣川とは違ってしまっています・・・、残念ですが。
それは人間の手によって変えられてしまったので、元に戻すことは可能ですが、ここ象潟はの場合はどうでしょう。
木が生い茂っているところがかつての島。背後の山は鳥海山。
象潟はかつて潟湖(せきこ)にいくつもの島々が浮かぶ風光明媚な地でしたが、芭蕉が訪れた115年後の1809年に起きた象潟地震で海底が隆起し、陸地化してしまいました。
こうなるともう、人の手で戻せませんが、まわりの田んぼに水が張られると、芭蕉が目にした象潟を彷彿とさせると言われています。
写真は、かつての愛馬ロシュローブを応援に新潟競馬場まで行った時に撮影したもの。
いつか、田植え直後の象潟を訪れてみたいと思っています。
元禄2年3月27日。
松尾芭蕉は江戸深川を旅発ちます。
のちに奥の細道としてまとめられる旅。
元禄2年3月27日は、新暦になおすと5月16日だそうで、それゆえ日本旅のペンクラブが、この日を旅の日としたようです。
芭蕉と言えば、長者ヶ原廃寺跡も見ているはず。
でも、今の衣川は、芭蕉が見た衣川とは違ってしまっています・・・、残念ですが。
それは人間の手によって変えられてしまったので、元に戻すことは可能ですが、ここ象潟はの場合はどうでしょう。
木が生い茂っているところがかつての島。背後の山は鳥海山。
象潟はかつて潟湖(せきこ)にいくつもの島々が浮かぶ風光明媚な地でしたが、芭蕉が訪れた115年後の1809年に起きた象潟地震で海底が隆起し、陸地化してしまいました。
こうなるともう、人の手で戻せませんが、まわりの田んぼに水が張られると、芭蕉が目にした象潟を彷彿とさせると言われています。
写真は、かつての愛馬ロシュローブを応援に新潟競馬場まで行った時に撮影したもの。
いつか、田植え直後の象潟を訪れてみたいと思っています。