自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
気象技能講習会に参加
実は僕にとりこの講習会はとても大きい意味を持っていた。
僕は高校を卒業して気象庁に採用された。
地方気象台の観測課で勤務した。
しかしうまく溶け込めず、半年で大学に行きたいという理由で退職した。
当時その気象台で勉強会が開かれていて、
その時に講師をされていたのが今回の講習会の講師の方だった。
僕はその勉強会に一度参加したかもしれないがよく覚えていない。
唯一覚えていたのがメーデーの日に代々木公園まで気象台の労組の人達と、
その方も一緒に参加したことだけだ。
でも辞めることを決めてから、その方になぜ辞めるのか聞かれて、
僕が大学に行きたいから辞めると話したら、
ここで働きながら勉強した方がいいのでは、と言ってくださった事を何故かはっきりと覚えている。
それから28年経ってその人に再会することになった。
テキストに載っていた経歴から僕の記憶は間違っていなかった。
一緒に載っていた写真からは分からなかったが。
今日会場に行き部屋に入る前にトイレに行くと
偶然その講師の方と一緒になった。
僕は写真を見ていたので分かったが、
講師の方はもちろん僕のことは分からなかった。
僕が覚えていた若者のお兄さん風の雰囲気と違い威厳のような感じがあった。
講習が始まり、気象レーダーの話、竜巻、雷の話を興味深く聞いた。
おもしろかった。久しぶりに気象の話が楽しかった。
講習の最後に局地天気図を描く実習があった。
僕はあらかじめ描いてきておいた図を、
参加者を見て周ってきた講師の方に見てもらった。
うん。いいじゃないですか。
前線はどこになりますか?
そして僕が質問した事にも答えてくださった。
その時に講師の方がすごくやわらかい顔をしてくれた。
気象台で先生をしてくれていた時の表情のように僕は感じた。
僕は講習会の帰り道、電車の中でふっと楽になった。
今まで気がつかなかったが、後悔していた気象台を辞めたこと、
その事の呪縛から解けたのだと思う。
ちょうどブルース・スプリングスティーン&ジ・Eストリートバンドのライブをボストンまで行って観てきた事によって、
彼らの初来日公演をチケットを持っていたのに病気で入院していて行けなかった事の呪縛から解けたのと同じに。
団地に帰るバスの中、僕はこの前、居場所で覚えた美空ひばりの曲「愛、燦燦(さんさん)」を口ずさんでいた。
人生ってうれしいものですね、と
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