初夏のような陽気で、汗ばむ日もあり、青葉が目に染みるこの頃。
日毎の若葉の成長に励まされるかのように、夫婦ともに、見かけは元気(笑)、穏やかな日々です。
夫の抗がん剤副作用も、意外にも今のところ、ほとんど表れておらず、食欲も旺盛。
私の2倍以上は食べてくれているでしょうか。
ホタテのポアレ 春野菜添え
ところが実は私は、かなり前から、かって経験したことがないような食欲不振に陥り、「拒食症?味覚障害?」なんて一人で騒ぎ立て、旦那さまや妹に、心配をかけていました。
いえいえ、Yさんは孤高の人で、我関せずですから、然程気にかけていなかったのかも知れませんけれどね。
妹は、それなりに心配してくれたようで、
「その後、どう?」
等と、優しい言葉を時々かけてくれていました。
古希を迎えたころが一番ひどかったかしら。
ですから、ホテルでご馳走になったお料理も、美味しく感じられなくて、メニューもまるで覚えていません。
そういえば、60代最後の日、肋骨を骨折した時も、朝から食欲がまるでなく、食パンも紙を食べているような味気なさ。
昼食も抜き、ほとんど絶食状態で病院に駆けつけました。
その帰り、さすがに少々お腹が空き、私にしては珍しく、目に留まった病院近くの牛丼屋さんに入りました。
ずっと以前から一度は口にしてみたいと願っていた牛丼です。
でも、若者やサラリーマン向けのスタンド風のお店が多く、この年になるまで、入る勇気が沸きませんでした。
その牛丼屋さんは、ファミリー向けの店構えでしたから、思い切ってお店の中へ。
生れてはじめて頂いた牛丼屋さんの小丼。
味はまぁ~まぁ~でしたけれど、私には骨折と共に、忘れられない思い出になりました。
その後も食欲は相変わらず、全くありません。
けれど、私が好物の牛乳、アイスクリーム、ヨーグルト、フルーツジュース、果物といったジューシーなものへの嗜好だけは健在で、いくらでもお腹に入ります。
喉の渇きは、以前に比べると、正常に戻りつつありますが、麦茶などの飲料水も、かなりの量を飲んでいました。
そのため、期待した体重減は、1キロ程度でがっかり。
恐らく水太り状態なのでしょう。
それで、食欲もわかない、といった悪循環に陥ってしまっているのかもしれません。
異常な食欲不振で一番情けなかった事は、料理をしても、味が良く分からなくなってしまったこと。
そのため、何をつくっても張り合いも自信も持てなくて・・・・・・
調理をする意欲がなくなりそうでした。
けれど旦那さまは、実に食欲旺盛でした。
症状が、蛋白摂取を必要としましたので、朝、昼、夕と色々栄養価の高いものを調理するように心がけた私です。
最近、その食欲不振も多少改善され、安堵しています。
一方、旦那様は、少し食欲が落ちてきた感じで、いよいよでは、と気にかけています。
たけのこご飯・なすのむらん煮・たこときゅうりの酢の物・小松菜の和風サラダ・たけのこの木の芽あえ・昨日の残り物の豚汁
人間の体って(自分の体と言い換えた方がいいかしら)、不思議なものですね~
自分では冷静にコントロールできていて、日常の生活を変わりなく送っていると思っていても・・・・・・
知らない内に、大きな影響下に置かれ、それが症状となって現れ、驚くことがあるものです。
たとえば、今回の半年以上にわたるといっても言いような食欲不振。
特に、ここ数カ月がひどかったのですが・・・・・・
これは明らかに、旦那さまの病気が心配だったこと、他にもネット上で煩わしい事があり、それが原因だったのかもしれません。
見かけは、気丈に明るく暮らしていたつもりでしたから、自分でも意外な症状に驚き、自分の弱さに、少々ショックを受けました。
体は正直に反応してしまうようです。
エレモフィラ
改めて自分の弱さを再認識するような出来事が、数年前にもありました。
今と同じような風薫る季節から夏にかけての出来事です。
ひどい息苦しさと首のだるさに見舞われました。
正常な呼吸が出来なくなったせいか、一時期、蚊の泣くような声しか発せられなくなりました。
息苦しさは、その後二年近く続き、私を苦しめるのですが・・・・・・
その症状が出始めた当時は、家族も大変心配し、大病院で、心電図その他の精密検査も受けました。
けれど、血中の酸素度も正常で、息苦しくなる原因は判明しませんでした。
そして、ある個人医院で医師から言われた一言に、大変なショックを受けた私です。
精神的な事が原因、と診断され、精神安定剤を処方されたからです。
思い当たることが、なかった訳ではありません。
旦那さまの肝臓がん治療が続いていたからです。
けれど、その時は手術も無事終わり、家族旅行を楽しんだ後のことです。
色々な疲れが後になって現れ、潜在的なストレスが、そのような症状を引き起こしたのかもしれません。
けれど、私は素直にはどうしても受け入れられず、精神安定剤は、1~2度服用しただけで、それ以上飲む気にはなれませんでした。
異常な眠気、集中力がなくなるなど、いやな症状が別に出てきたからでもありましたが。
私、そんなに弱い精神ではない、と強がっているところが多分にあったのが一番の理由で、薬剤には頼りませんでした。
息苦しさからやっと解放された頃、、今度は異常なのどの渇きに悩まされるようになりました
いずれの症状も、最近はすっかり改善され、元気に過ごせるようになっていたのですが・・・・・・
すると今度は、私は拒食症?、と心配になるほどの食欲不振。
一体私の体は、どうなってしまったのでしょう。
もし、旦那さまの病を心配する余りに、これらの症状が出てきたのであれば、少々不本意ながら、自分の心身ののデリケートさを認めざるを得ません。
但し、このような状況になっても、私には救いがあります。
精神は、さほど影響を受けないからです。
この表現には、語弊がありそうですね~
このような症状に見舞われるのは、心が大きな影響を受け、その不安が脳に指令を送り、いろいろと不可解な症状となって体に現れて来るのでしょうから。
手前の花の名称は忘れてしまいました。去年植えた宿根草が、控えめに優しい小花をたくさん付けてくれました。
けれど言えることは、そのせいで心まで病んでしまったことは、一度もありません。
私はどんなに辛いことが起きても、暮らしのリズムは極力変えないように努めます。
そしてひたすら、自己免疫力を信じて、時間の経過とともに必ず良くなると自分に言い聞かせます。
悩み事にどっぷり浸からない。
無為に過ごして、悩みごとに縛られると、自分が苦しいだけですから。
そんな状況は私には恐ろしく、耐えられそうにありません。
ですから、必死に回避しようと努めます。
その一番良い方策が、日常の生活のリズムを変えないこと。
私の場合は、これに尽きます。
どうしても耐えられないときは、仮眠をとります。
或いは夜早く床に就き、ぐっすり休みます。
目を覚ますと、体調には変わりはなくても、気分は確実に入れ替わっていることがほとんどです。
息苦しさがひどく、顔つきまで変わって見えた時、旦那さまに、
「鬱になってもおかしくない辛さ」とよく言っていました。
それを回避できたのは、計画性のある日常の暮らしのリズムを崩さなかったせいでは、と思っています。
「計画は、将来の意志」という名言があるそうですが、私のはそんな大それたものではなく、日々の家事の目先の計画に過ぎませんが。
目先の目標をやり遂げようと言う意志の力が、私を強く支えてくれているようにも。
実際に私はそうやって、いろいろな悩みごとを乗り越えてきました。
ドリームラベンダー
しかし、私がこれまで経験してきた悩み事など、取るに足らないものだったのかもしれません。
絶望の極みのような悲しみや苦しみに直面した時、果たして自分が冷静に対処できるか、と自問自答すると・・・・・・
もともとは精神的に弱い私です。
全く自信はなく、今の対応で乗り越えられるとは、到底思えません。
生意気な事を書いてしまいました。
皆さまにも、それぞれのストレス解消法がおありの事と思います。
年を重ねても、プラス思考で明るく元気に日々を過ごせるといいですね~
そういう私は、ここ数日疲労が濃く、昨日は三時間もお昼寝を貪り、体がとても軽くなりました。
今日は元気復活です。(笑)
ご訪問いただきまして有難うございました。