「断捨離」の言葉が、いつも心の片隅にあり、その実行をせかす自分がいます。
若い人たちの間でも今は根付き、好まれている言葉の一つでしょう。
人生の終幕が意識される年齢になった、我が身。
この言葉が、一層身に沁みます。
或は身に応えるといえばいいかしら。
私も漠然と思うだけでなく、行動に移したい、と。
私の持ち物で、今後不要と判断できるものは、できる限り処分し、身の回りをすっきりと整理し直さなければ、と。
そうすれば、私がこの世を去った時、その後の後始末の作業で、子供たちに余り迷惑をかけなくて済むでしょうから。
窓際のチェストは、次女から預かったものですが、季節の衣類を収めるのに大変重宝しています。
一方、旦那さまの持ち物の何と少ない事。
どこか仙人のように、この世離れした暮らしの一面を持つ人でした。
けれど、タバコは好き、お酒も人並みにたしなみ、仕事はひたむき.。
親戚の方が使用した表現を思い出し、私は「仙人のような人」と言いましたが・・・・・。
夫を言い表す言葉としては、適切ではないかもしれませんね~
或る意味、とても俗っぽい人でしたから。
但し、仕事の愚痴を述べたことはなく、私がよく使用する「疲れた」の言葉も口にしたことは一切ありません。
常に悠然泰若としていました。
そして、物欲からは程遠いところから、この表現を私は使用したまでです。
Yさんが唯一お金をかけたのは、本代と、元気な頃、週末にははしごで楽しんでいた映画鑑賞代。
後は、同僚や部下との飲み代に消えていたのでしょう。
一時期、ゴルフも楽しんでいた時もありましたが、止むを得ないお付き合い程度でした。
私は、Yさんが特別欲しがっていなくても、自分の楽しみと好みから、彼の衣類始め、身の回りの備品をいろいろ揃えました。
そして、夫が出かけるときは、いつも着用する洋服一式、私がすべて準備していました。
夫の持ち物で、私が一番のお気に入り。入退院でも大変重宝しています。
もちろん、私が勝手に買いました。
購入して二十数年くらい経ちますが、新品の時と余り変わりありません。
質の良い商品は、購入時は高くても、長い目で見ると安上がりになりますね~
私の夫のように、消費から縁遠い暮らしができる人は、そんなにいらっしゃらないのでは。
旦那さまは、意識してそのよな生活を心がけたのではなく、それが自然体の生き方だったのですけれどね。
私が、お見合いで初めて出会った時、彼の貴公子然とした涼やかな風貌に一目ぼれしたものですが・・・・・・。
非常に恵まれた環境で、何不自由のない生い立ちの人でした。
ところが、お義父さまがいつか、意外なことをおっしゃいました。
「雑草の如く逞しく育てました」と。
いま改めて思うに、確かにYさんは、外見に似合わず、雑草のような逞しい人だった、と。
そういえば、若い頃、「大衆に埋没して生きていくことが自分の本望」といっていました。
その言葉に、この人のニヒリズムを垣間見る思いがして、夢いっぱいの若い頃の私はチョッピリ不安を覚えたものです。
ルドべキア
野性的なこの花の姿に、とても心惹かれた私。
花が終わり、株は残したままです。
その合間に、今は白いウインターコスモスを植えています。
来年、この花がまた咲いてくれますように。
そして、夫がその頃、元気でいてくれますように。
曇り空の夕暮れ時に撮影した写真のため、今回載せた庭の画像はいずれも暗いイメージですね~
もっと透明感のある、きれいな写真が、私の目標なんですけれど。
ということは、 家計を預かった私が、ひたすら消費を続け、無駄な買い物も山ほどしてきたことになります。
夫が自主的に断捨離を進める対象は、ほとんど何もないからです
書籍は、長い期間をかけて少しづつ処分をしていましたし。
或る意味、とても羨ましい境遇で、足るを知る充足感で、人生をシンプルに生き抜いた人。
私の消費を、如何なる思いで受け止めてきたのか、ポーカーフェースの旦那さまからは、知る由もありません。
文句ひとつ言わないで、見過ごしてくれました。
次回は、「私と断捨離」のタイトルで、私の思いを述べたいと思います。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように