昨日の記事に、自己中心的な生活を改め、友のためにもっと時間を捧げられるようになりたい、と書きました。
もちろん家族のためにも。
きれいごとの文章みたいで、なんだかちょっと、気恥ずかしいのですけれどね。
今年の一年間も、孫息子、K君のお相手で次女宅には、せっせと通い続けるつもりでいます。
おやつを一緒に頂き、次女宅のお洗濯物をたたんだり、お部屋の整理整頓をしながらK君を見守る。
塾に出かけるとき、マンションの外まで出て、交差点を渡り切ったあたりで手を振って引き返す。
それだけの事なのですが。
中学へ入学すれば、この祖母の務めは終わりでしょうか。
いえいえ年齢に関係なく、孫のために、私が役立つことがあれば、何なりとしましょう。
けれど、疲れやすい私の体。
年を重ね高齢になっていく身には。疑問符が付く、理想論でもあります。
自分の暮らしで精一杯のところもあって・・・・・・。
或る日の一人ごはん
鶏肉の野菜巻きオレンジ風味・かぶのすり流し・ほうれん草としめじのお浸し・きゅうりと椎茸のごま酢和え
最近孫宅から夕方帰宅すると、なんだかぐったり。
疲労が濃いのですよね。
ですから、一人ご飯の夕食は朝から準備を始めて、帰宅したときには、すぐ食事が始められるように、できるだけしています。
疲れた体を無理してまで、自分一人のためにご馳走を作る気には、なかなかなれませんから。
出来上がったお料理の一部を、次女宅の冷蔵庫に置いて帰ることが多いです。
前置きが長くなりました。
これからが本題です。
周りの人達にもっと気配りのできる生活を心掛けたい、と思った一番の理由を記します。
その訳は、親友と言っていいようなTさんについての思いがけない知らせでした。
友人のMさんから、ご自分が所属するコーラス部の音楽会へのお誘い電話があった時の事です。
私は喜んで行かせていただく旨、お返事しましたが、「Tさんもお誘いしてみようかしら」と言いました。
すると、「Tさんは、お具合が悪いみたいよ。Iさんから伺ったの」とのMさんの応答。
度肝を抜かれるような驚きでした。
とても溌剌として明るく、ママ友達の定期的なお食事会では、その場を盛り上げて下さる中心的存在の方です。
そのうえ、とても細やかな気配りのできる心優しい人。
私は、Tさんの車に便乗し、重いパーキンソウ病を煩っておられたUさんのもとに、一昨年まで幾度も通いましt。
ご主人を失くされてからは、介護施設に入居されていたUさんです。
素晴らしいお人柄だったそのUさんも、今は帰らぬ人です。
介護施設の狭いながら素敵なお部屋で、ひざを突き合わせるようにして三人で語らった、ほのぼのとした和やかなひと時。
今なお、良き思い出として、深く私の心に刻まれています。
ブログでも、幾度か記事にしました。
それなのに、今度はそのTさんが病に侵されていらっしゃるらしいお知らせ。
もちろんすぐ、心配の余り、電話をかけた私です。
意外にも声は以前と全く変わりなく、明るくて優しいトーンでした。
私の耳に、心地よく響いてきましたが、お話の内容は結構深刻。
私はそのことを全く知らず、ご無沙汰を重ねていました。
とても申し訳なく、深くお詫びしました。
Tさんの病は乳がんで、年末に切除されたとのこと。
彼女らしい潔い覚悟のようなものが、お話から伝わってきて、彼女の心情が我が事のように理解できました。
その落ち着いた物言いに、感銘を受けた私です。
「何故知らせてくれなかったの」と言うと、
「心配をかけたくなかったの。Iさんは虫の知らせだったのか、私が入院している時、電話を度々かけてくれたようなの。
留守電が数回入っていたから、折り返しの電話をしたとき、伝えたのよ」と。
この電話を切って後、しみじみと私は思いました。
今後は、友人のためにもっと自分の時間を捧げられる、気配りのよく利く人にならなければ、と。
私の友人は、ほとんど同世代の方達。
年齢的に、いつ病が襲ってもおかしくない年頃です。
実際に、突然の友人の死に、ここ数年の間に三度も私は見舞われました。
そのうち二人の方は、掛け替えのない親友でした。
再会ごとに、まさに一期一会の気持ちが必要とされる年齢になってしまったのですね~。
澄んだ深い青空を仰ぐと、夫や友人の声が聴こえてきそうです。
私も自分が重い病気にかかったなら、Tさん同様に、友人に自らの電話で、それを知らせるような事は慎むでしょう。
心配をかけるだけですから。
自分の事はともかく、友人の不遇を見過ごさないですむ方法は、もっと友人への気配りを大切にすることだと思いました。
電話、メール、絵葉書などで御機嫌伺いをすること位でしたら、さほどの時間は必要としませんよね。
それさえも、少々疎かにして受け身の暮らしが過ぎた自分だった、と今更ながら反省しています。
わが家のリビングは、ホームパーティーが開きやすい設計といえるかもしれませんが。
そんな大それたことをしなくても、友人をもっと気楽にお招きできないものかと。
私はそういう時、変に力が入り、自分自身に負荷をかけすぎるきらいがあります。
すると支出も思いのほか多額となり、体力の消耗も激しくて・・・・・・。
度々お招きする気持ちが薄れてしまい、かえって負担になってしまう。
それでは、招かれた友人も恐縮して、同様の思いにさせてしまうかもしれません。
用意はお茶菓子だけでも、気軽に声をかけてお越しいただき、楽しい会話が何よりのご馳走、との思いで振る舞えればいいですね。
気楽で愉しくをモットーに、気配り上手な人に、今年はなりたいものです。
そして、折々の情報交換を大切にし、友人が元気であることを確認し合いたいもの、と願っています。
この思いは、ここ数年ずっと抱き続けてきたことでした。
けれど、願うだけで、思うように実現できていません。
単なる理想論をきれいごとで語っているに過ぎない私なのかもしれない、と思うと、とても恥ずかしくなります。
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