「私の健康年齢の終わり」のタイトルで始まった、私の病の記事。
今思うと、少し大げさな感が致しますが。
症状がひどかった時は、決して誇張に思えないほど、今後の暮らしを深刻に受け止めたものでした。
歩行が、数十歩で困難になってしまうほど、日々の生活の支障が大きかったからです。
最寄りの大きな病院で検査や診察を受けた際も、手術以外、回復の見込みはない。
或は、生活の量を元気な時を10とすれば、6に落とさなければいけない、と言われたほどでした。
ところが、その後、意外にも回復は早く、今では以前と余り変わない生活を送っています。
個人医院の医師や鍼灸整骨院の先生のお話では、私の体に回復力がまだあったからでしょう、とのこと。
自己治癒力という言葉が、とても好きな私には、有難いお話しでした。
処方していただいた痛み止めの薬は、私はほとんど服用していませんでしたから、確かに自己治癒力のお蔭かもしれません。
家事が普通にできるのが、何よりも安心で、嬉しい事です。
娘に付き添ってもらい、二度目の大病院への通院のときは、まだ症状の回復は、安心するほどではありませんでしたが。
その前夜から、痛みもずいぶん治まり、回復の兆しを感じることができていました。
その一週間前、個人医院の紹介状をもって妹の付き添いで、この病院に初めて出かけたとき。
数歩歩くと立ちどまって休まないと、辛くて我慢できないほどでした。
その回復ぶりに、気を良くした私は、次女の反対を押し切って、病院の診察後、遅れて出勤する娘と一緒の電車に乗りました。
そして、一人でデパートへと。
その様子は、数日前記事にした通りです。
途中で休憩を度々しながら、化粧品、その他の必需品の買い物を済ませ、最後に靴屋さんへと、
デザインは、今一つですけれど、裏切られたことが一度もないお店、ヨシノヤ。
いつも、履き心地は満点です。
買い求めた靴を履いて次女宅へ。
最寄りのバス停を通り過ぎ、次のバス停まで試しに、恐る恐るでしたが歩いてみました。
割と元気に歩けたときの感激は、とてつもなく大きかったです。
真夏以外は、徒歩20分かけて娘宅に行っていた私ですが、今後はもう無理でしょうか?
ベテランらしき店員さんに、私の症状を詳しく話しました。
そのうえで、病を抱えた私の足に、一番向いた靴を選んでもらいました。
ヨシノヤのパンツ用の紐靴はもっているので、エレガントなスーツにも着用できるようにと、選んだ物が上の画像の靴。
私好みのデザインではなかったけれど、私の今の体に一番ふさわしいものを優先し、妥協の上での買い物でした。
帰りは早速その靴を履いて、家路を急ぎました。
急ぐと言っても、それは気持ちだけ。
さすがに疲れ、休み休みの歩行を繰り返し、やっと家に辿りついた私です。
翌日の朝が、大変思いやられながらの就寝。
おそらく無理が祟って、歩行が困難になっているに違いないと、思いました。
ところが翌日の私の足は、意外にとても元気。
痛みもしびれも、さほどひどくありません。
かすかに感じる程度。
最近の私の夕食
ポン酢風味の豆腐ハンバーグ・かぼちゃの含め煮・焼きナス
そして私が直感的に思ったことは、ヨシノヤの靴のお蔭かもしれない、と。
この靴が、私の体重をバランスよく受け止め、私の足の負担を最小限に食い止めてくれたのではないだろうか。
素人の訳も分からない理論づけで、自分自身を納得させてしまった私。
そしてそう信じることで、自分の苦境を乗り切ろうとした私が、その日に実行したことは、誠に奇想天外なことでした。
この続きは、明日に回します。
ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。
花のように泉のように