判るだろうか? 年老いた人間は確実に「腐っていっている」のだということを。
何かが腐れば、どうしたって腐臭を発する。
加齢臭という言葉があるが、有体に言えば、わたしは腐り始めているんですよという合図だ。
それは、否定しようもない生物の生命の限界とでも言えるか。
そこに立ち至った時に、我々人間はなにを思いなにを成し、どう生きながらえ、どう消えていけば良いのだろう?
昨日の夜の帰りに、電車の中で欠伸をしてしまった。すると、隣の席に座っていた女性が、あからさまに嫌な顔をして、遠くの席に移っていった。
おそらくボクの息が臭かったのだろう。と、判断した。フリスクのようなものを舐めて、それなりに気をつけてはいるが、夜遅い電車の中で、フト出る欠伸まではコントロールできない。
口臭と加齢臭は違うと言う向きもあろうが、当事者にとっては同じなのだ。
口臭も、やはり腐臭である。
若い頃は縄文人らしく、体臭があった。歳を重ねたら、いつの間にか腐臭の漂う歳になった。まだ体臭の方がましなような気もするが、よく考えると、こんなことを考えこんな原稿を書いていること自体が、少しおかしい。
生命はいずれ滅びる。それも確実に腐臭を発しながら、死に絶えていく。
生命は生きているだけで悪臭を放ち続ける。おならも口臭も体臭も、小便も大便も、すべて悪臭だ。それは逆に言えば生きているアカシではないか。無臭であることを要求する現代人は、まるで蝋で封じ込めた死人を欲しているのではないかと思う。
腐り始めてはいるが、まだまだ元気な爺さんになろうじゃないか!
何かが腐れば、どうしたって腐臭を発する。
加齢臭という言葉があるが、有体に言えば、わたしは腐り始めているんですよという合図だ。
それは、否定しようもない生物の生命の限界とでも言えるか。
そこに立ち至った時に、我々人間はなにを思いなにを成し、どう生きながらえ、どう消えていけば良いのだろう?
昨日の夜の帰りに、電車の中で欠伸をしてしまった。すると、隣の席に座っていた女性が、あからさまに嫌な顔をして、遠くの席に移っていった。
おそらくボクの息が臭かったのだろう。と、判断した。フリスクのようなものを舐めて、それなりに気をつけてはいるが、夜遅い電車の中で、フト出る欠伸まではコントロールできない。
口臭と加齢臭は違うと言う向きもあろうが、当事者にとっては同じなのだ。
口臭も、やはり腐臭である。
若い頃は縄文人らしく、体臭があった。歳を重ねたら、いつの間にか腐臭の漂う歳になった。まだ体臭の方がましなような気もするが、よく考えると、こんなことを考えこんな原稿を書いていること自体が、少しおかしい。
生命はいずれ滅びる。それも確実に腐臭を発しながら、死に絶えていく。
生命は生きているだけで悪臭を放ち続ける。おならも口臭も体臭も、小便も大便も、すべて悪臭だ。それは逆に言えば生きているアカシではないか。無臭であることを要求する現代人は、まるで蝋で封じ込めた死人を欲しているのではないかと思う。
腐り始めてはいるが、まだまだ元気な爺さんになろうじゃないか!