出だしは唐突だが、話はAKBのこと。
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どんな音楽でも大抵の場合、毎日毎日聴いている内に、なんだかすごくいい音楽のような気がしてくるもので、AKBも例外ではない。
それでも今の日本の音楽状況は、異常と言わなければならない。突出した音楽があるのは良い。社会現象になるのも良い。だが、「それだけ」ではダメなのだ。
AKBの総選挙などを見ていると、およそメディアというメディアがこぞって取り上げ、どこを向いてもAKBという案配だった。一般紙のトップ記事になりそうな勢いだった。ここがおかしい。
メンバーの懸命さは認める。彼女たちの人一倍の努力は見ていれば伝わってくる。
だが、それとこれとは別なのだ。彼女たちの発するオーラや生命としてのパワー、集団的統率・拡散と言った発展的エネルギーは、それでも残念なことに、音楽創造というベクトルを持たない。クールな論理性、ロジックとは無縁で、どちらかと言えば、ファナティツク。
モーツァルトの「フィガロの結婚」は正式には「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)、あるいはフィガロの結婚」というのだが、この「熱狂」という言葉が、AKBを表すに最も適切におもえる。
正直なところ、イメージは悪いかもしれないが、全体主義的熱狂に限りなく近いと言わざるを得ない。
AKB48とその一党は、いつかは分裂し、細分化されてやがて消滅していくのだろうが、その時彼女達にどんな称号が与えられているか、その時に初めて、彼女達の真の価値が明らかになるのだろうと思う。
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どんな音楽でも大抵の場合、毎日毎日聴いている内に、なんだかすごくいい音楽のような気がしてくるもので、AKBも例外ではない。
それでも今の日本の音楽状況は、異常と言わなければならない。突出した音楽があるのは良い。社会現象になるのも良い。だが、「それだけ」ではダメなのだ。
AKBの総選挙などを見ていると、およそメディアというメディアがこぞって取り上げ、どこを向いてもAKBという案配だった。一般紙のトップ記事になりそうな勢いだった。ここがおかしい。
メンバーの懸命さは認める。彼女たちの人一倍の努力は見ていれば伝わってくる。
だが、それとこれとは別なのだ。彼女たちの発するオーラや生命としてのパワー、集団的統率・拡散と言った発展的エネルギーは、それでも残念なことに、音楽創造というベクトルを持たない。クールな論理性、ロジックとは無縁で、どちらかと言えば、ファナティツク。
モーツァルトの「フィガロの結婚」は正式には「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)、あるいはフィガロの結婚」というのだが、この「熱狂」という言葉が、AKBを表すに最も適切におもえる。
正直なところ、イメージは悪いかもしれないが、全体主義的熱狂に限りなく近いと言わざるを得ない。
AKB48とその一党は、いつかは分裂し、細分化されてやがて消滅していくのだろうが、その時彼女達にどんな称号が与えられているか、その時に初めて、彼女達の真の価値が明らかになるのだろうと思う。