普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

イジメ報道は、時に「イジメ」である

2012-07-18 14:32:16 | 普通な人々<的>な
イジメはどう抗弁しようが、犯罪である。徹底した撲滅の取り組みが必要だ。

人の痛みがわからないという精神構造は、学校教育以前の、家庭教育段階であらかた素地は作られると、ボクは考えている。それが学校という場で醸成され発現する。

それにしても、と思う。日本人は不思議な国民だなと。

イジメの本当の意味が分かっていないのではないかとさえ思う。

ことにマスコミ。

撲滅の取り組みと、解明は必要だが、マスコミのように「徹底的な追及」が必要とは思わない。

イジメ報道の中で、自分達で報道を加熱させ、誰か人身御供を探し出し、その対象となる人身御供を根掘り葉掘りし、結果的にイジメているのだということに気づかない。
それも、正義の味方面での所業だから、救いようもない。
自分の言ったりしたりしていることが、イジメであるという自覚がないのだ。

イジメが許されないのは、人としての尊厳を奪い、そこにいることすら許さないという仕打ちだからだ。だから死を選ばざるを得ない子どもも出てくる。死を選ばなければならない子供の胸の震え、重圧感は想像もできない。

同じように胸の震えを感じ重圧に押しつぶされそうになっている人々を、時としてマスコミは作り出している。だが、マスコミは、誰にも断罪されない。

そしてイジメの主体者となっても、恥じない。

この国からイジメがなくなることは、今のマスコミが健在である限り、絶対にないと思うのは、果たしてボクだけか?
コメント
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