彼女がデビューしたのは、もう15年も前。
その時すでに、尋常ではないものを感じた。歌がどうのと言うより、わずか15歳の少女の、その佇まいがそんじょそこらの歌うたいと根本的に違ったのだ。
もう何年も前に、その居住まいが母である「藤圭子に似ている」と書いた記憶がある。
2008年3月『HEART STATION』(TOCT-26600/3059円 EMIミュージック・ジャパン)がリリースされた時に「音盤見聞録」で書いた原稿。
以下少し長いが転載する。
「出だしは、昔話。藤 圭子の話。1969年『新宿の女』でデビューした藤 圭子は、『怨歌』歌手として、今時の言い方をすれば大ブレークした。東北の片田舎で、浪曲師と三味線・瞽女(ごぜ)の母の間に生まれ、父と母の旅回りに同行し、雪深い地方を巡業して歩いた少女が、突如、東京という町に現れ一気に人々の心をわしづかみにした。
戦後という言葉が薄れかけ、全共闘世代が世界を相手に戦いを挑んでいた、戦後昭和の最もディープな時と景色の中に、藤 圭子は睨むような目で立っていた。そして『怨歌』を少しハスキーでドスの効いた声で歌った。まったく時代の申し子とでもいうべき歌手だった。70年に出した2枚のアルバムが連続37週オリコン・チャートの1位で在り続けたという途方もない記録も打ち立てている。
宇多田ヒカルは、その藤 圭子の愛娘だが、両親が音楽家、アメリカで生まれ突如日本でデビューし大ブレークした。全くよく似ている。平成というバブル崩壊を痛み続ける時代の中で、宇多田は母がそうであったように、決して自分のスタンスを崩す事も失う事もなく、時代を切り取って歌う。
母は歌手・前川清と結婚・離婚を経験し、およそ10年の活動で引退、再デビューしたりもしたが、居をアメリカに移し宇多田照實と再婚、ヒカルを生んだ。宇多田もまた結婚・離婚を経験しているが、そこから先が母と違う。
宇多田の活動は、体調の悪化での小休止はあるものの、常に日本のミュージックシーンを引っ張り続けるもの。~(中略)~そして、5枚目のアルバムがこの『HEART STATION』。06年後半からのシングルを網羅し、宇多田の世界が揺ぎなく描かれている。聴いていると、これまでとはまた少し違う宇多田の素直でピュアな心根が見える。傑作です。これから先も、宇多田は、歌い続けるだろう。
話は変わるが、藤 圭子は実はカヴァー曲を歌う事が多かった。「夢は夜ひらく」だって、園マリのリメイクだった。楽曲を、オリジナルを超えた自分の世界のものにしてしまう歌う力を持っていたのだ。実は宇多田ヒカルも同じだ。尾崎豊を歌ったりする宇多田だが、完全に自分の歌にしてしまっている。そこは、やはりよく似ている~」
宇多田ヒカルと他の歌い手との違いは詞にありありとしてあって、愛を歌うのだが、なにか愛と言う意味にもダブルミーニングとでも言えばいいのか、ただの男と女の愛とは捉えきれないものがあったのだ。
ボクは、初期ではないが「Deep River」「Letters」「Colors」と言う3曲がことさらに好きで、なかでも「Letters」の、あの「書置きでしか思いを通じ合えない愛する人」が、宇多田ヒカルにとってどんな意味合いを持つ人なのか、知りたいと思ったものだ。
その人が誰なのか、母である藤圭子さんの死に対する宇多田ヒカルのコメントで、分かり過ぎるほどにわかった。
少し前に、藤圭子はボクにとって特別な「歌姫だった」と書いたが、実はもう二人特別な歌姫がいる。一人は佐井好子。
そしてもう一人。
彼女は音としてばかりでなく、負の言葉すら自分自身の思いとして前向きに伝えることのできる、本当の意味での音楽的才能を持っている。
この数年、彼女はボクたちの前からミュージシャン、アーティストとしては姿を消している。
その理由も、おぼろげに分かった。彼女はある女性の本当に素晴らしい娘として、この何年かを生きていたに違いない。
もちろんその歌姫は宇多田ヒカルだ。
いま、「Letters」を聴いている。
涙が止まらない。
その時すでに、尋常ではないものを感じた。歌がどうのと言うより、わずか15歳の少女の、その佇まいがそんじょそこらの歌うたいと根本的に違ったのだ。
もう何年も前に、その居住まいが母である「藤圭子に似ている」と書いた記憶がある。
2008年3月『HEART STATION』(TOCT-26600/3059円 EMIミュージック・ジャパン)がリリースされた時に「音盤見聞録」で書いた原稿。
以下少し長いが転載する。
「出だしは、昔話。藤 圭子の話。1969年『新宿の女』でデビューした藤 圭子は、『怨歌』歌手として、今時の言い方をすれば大ブレークした。東北の片田舎で、浪曲師と三味線・瞽女(ごぜ)の母の間に生まれ、父と母の旅回りに同行し、雪深い地方を巡業して歩いた少女が、突如、東京という町に現れ一気に人々の心をわしづかみにした。
戦後という言葉が薄れかけ、全共闘世代が世界を相手に戦いを挑んでいた、戦後昭和の最もディープな時と景色の中に、藤 圭子は睨むような目で立っていた。そして『怨歌』を少しハスキーでドスの効いた声で歌った。まったく時代の申し子とでもいうべき歌手だった。70年に出した2枚のアルバムが連続37週オリコン・チャートの1位で在り続けたという途方もない記録も打ち立てている。
宇多田ヒカルは、その藤 圭子の愛娘だが、両親が音楽家、アメリカで生まれ突如日本でデビューし大ブレークした。全くよく似ている。平成というバブル崩壊を痛み続ける時代の中で、宇多田は母がそうであったように、決して自分のスタンスを崩す事も失う事もなく、時代を切り取って歌う。
母は歌手・前川清と結婚・離婚を経験し、およそ10年の活動で引退、再デビューしたりもしたが、居をアメリカに移し宇多田照實と再婚、ヒカルを生んだ。宇多田もまた結婚・離婚を経験しているが、そこから先が母と違う。
宇多田の活動は、体調の悪化での小休止はあるものの、常に日本のミュージックシーンを引っ張り続けるもの。~(中略)~そして、5枚目のアルバムがこの『HEART STATION』。06年後半からのシングルを網羅し、宇多田の世界が揺ぎなく描かれている。聴いていると、これまでとはまた少し違う宇多田の素直でピュアな心根が見える。傑作です。これから先も、宇多田は、歌い続けるだろう。
話は変わるが、藤 圭子は実はカヴァー曲を歌う事が多かった。「夢は夜ひらく」だって、園マリのリメイクだった。楽曲を、オリジナルを超えた自分の世界のものにしてしまう歌う力を持っていたのだ。実は宇多田ヒカルも同じだ。尾崎豊を歌ったりする宇多田だが、完全に自分の歌にしてしまっている。そこは、やはりよく似ている~」
宇多田ヒカルと他の歌い手との違いは詞にありありとしてあって、愛を歌うのだが、なにか愛と言う意味にもダブルミーニングとでも言えばいいのか、ただの男と女の愛とは捉えきれないものがあったのだ。
ボクは、初期ではないが「Deep River」「Letters」「Colors」と言う3曲がことさらに好きで、なかでも「Letters」の、あの「書置きでしか思いを通じ合えない愛する人」が、宇多田ヒカルにとってどんな意味合いを持つ人なのか、知りたいと思ったものだ。
その人が誰なのか、母である藤圭子さんの死に対する宇多田ヒカルのコメントで、分かり過ぎるほどにわかった。
少し前に、藤圭子はボクにとって特別な「歌姫だった」と書いたが、実はもう二人特別な歌姫がいる。一人は佐井好子。
そしてもう一人。
彼女は音としてばかりでなく、負の言葉すら自分自身の思いとして前向きに伝えることのできる、本当の意味での音楽的才能を持っている。
この数年、彼女はボクたちの前からミュージシャン、アーティストとしては姿を消している。
その理由も、おぼろげに分かった。彼女はある女性の本当に素晴らしい娘として、この何年かを生きていたに違いない。
もちろんその歌姫は宇多田ヒカルだ。
いま、「Letters」を聴いている。
涙が止まらない。