今日は終戦記念日で、静かに平和に思いをはせる日である。
今年のように震災で原発の被災が現在進行中のような時には、なおさら真摯に社会の有り様を考えるべきである。
ところが月曜日で公立病院は平常どおり診療を行っている。
私が臨床を行っている病院は盆休みで休診だが、急患と入院患者は誰かが診なければいけないので今年は病院で過ごしている。
時間が空いている時は補助金申請の構想を練ったりできるので、自宅でぼんやり過ごすよりは有意義かと思う。
肘関節を脱臼骨折した患者さんが急患で来て、整復しても肘を伸ばすとまた抜けてしまう。
体格がよいのでさんざん苦労して整復位でギプスシーネで固定した。
岡山日赤の小西池先生(上肢専門で私の同期)に電話をしたら、当たり前のように勤務に出てきていたので手術をお願いした。
この方は、お盆だというのに仕事で高所作業中転落したのである。
仕事熱心で真面目な人なのにお気の毒だが、これくらいで済んでまだ幸運だったと言うべきか。
そうかと言えば、ジェットスキーで小指を切ったという若い男性も救急車で運ばれてきた。
傷を縫いながら、
「お盆は海に行ったらいけないというのを知らないの?」
と尋ねたら、
「昔はそんなことも気にしていたんですけど、だんだん気にならなくなって・・・」
海の事故と言うことで、海上保安部の方3名が、聞き取り調査にやってきた。
全く、お盆くらいはおとなしく海に行かずに過ごして欲しい。
小指を切ったくらいで救急車を呼ぶのもどうかしている。
そんな私の気持ちを察したのか、
「来年からはお盆には海に行かないことにします。」
としょんぼりしていた。
救急の処置をしている一方で、入院患者の高齢女性の心拍が落ちてきた。
既に下顎呼吸が始まっている。
家族には数日前に院長から危ない状況であるという説明はなされていた患者さんである。
すぐに家族に来てもらって付き添ってもらった。
この方は夜になって亡くなった。
ずいぶん前から意識はなく危なかったのだが、不思議にお盆までなんとか頑張ったのである。
このような救急のけがでなくても、一人暮らしでどこといって悪いところがない高齢者も急患でやってくる。
要するに寂しいのである。
お盆や正月のような時にはなおさら孤独を感じるのだろうと思う。
「足がしびれて歩けない。」
と言って、大げさに足を引きずって歩いているのだが、専門家から診ればそんな歩き方はあり得ません。
ひとしきりうんうんとうなずきながら話を聞いてあげるとそれだけで納得して帰って行く。
病院だけは患者として受診すれば誰かが必ず話を聞いてくれる。
病院というところは閉ざされた空間だが、不思議と社会の有り様が見えてくる。
今年のように震災で原発の被災が現在進行中のような時には、なおさら真摯に社会の有り様を考えるべきである。
ところが月曜日で公立病院は平常どおり診療を行っている。
私が臨床を行っている病院は盆休みで休診だが、急患と入院患者は誰かが診なければいけないので今年は病院で過ごしている。
時間が空いている時は補助金申請の構想を練ったりできるので、自宅でぼんやり過ごすよりは有意義かと思う。
肘関節を脱臼骨折した患者さんが急患で来て、整復しても肘を伸ばすとまた抜けてしまう。
体格がよいのでさんざん苦労して整復位でギプスシーネで固定した。
岡山日赤の小西池先生(上肢専門で私の同期)に電話をしたら、当たり前のように勤務に出てきていたので手術をお願いした。
この方は、お盆だというのに仕事で高所作業中転落したのである。
仕事熱心で真面目な人なのにお気の毒だが、これくらいで済んでまだ幸運だったと言うべきか。
そうかと言えば、ジェットスキーで小指を切ったという若い男性も救急車で運ばれてきた。
傷を縫いながら、
「お盆は海に行ったらいけないというのを知らないの?」
と尋ねたら、
「昔はそんなことも気にしていたんですけど、だんだん気にならなくなって・・・」
海の事故と言うことで、海上保安部の方3名が、聞き取り調査にやってきた。
全く、お盆くらいはおとなしく海に行かずに過ごして欲しい。
小指を切ったくらいで救急車を呼ぶのもどうかしている。
そんな私の気持ちを察したのか、
「来年からはお盆には海に行かないことにします。」
としょんぼりしていた。
救急の処置をしている一方で、入院患者の高齢女性の心拍が落ちてきた。
既に下顎呼吸が始まっている。
家族には数日前に院長から危ない状況であるという説明はなされていた患者さんである。
すぐに家族に来てもらって付き添ってもらった。
この方は夜になって亡くなった。
ずいぶん前から意識はなく危なかったのだが、不思議にお盆までなんとか頑張ったのである。
このような救急のけがでなくても、一人暮らしでどこといって悪いところがない高齢者も急患でやってくる。
要するに寂しいのである。
お盆や正月のような時にはなおさら孤独を感じるのだろうと思う。
「足がしびれて歩けない。」
と言って、大げさに足を引きずって歩いているのだが、専門家から診ればそんな歩き方はあり得ません。
ひとしきりうんうんとうなずきながら話を聞いてあげるとそれだけで納得して帰って行く。
病院だけは患者として受診すれば誰かが必ず話を聞いてくれる。
病院というところは閉ざされた空間だが、不思議と社会の有り様が見えてくる。