昨夜遅く自宅に電話があり、出てみると長島愛生園の入江さんであった。
入江さんとは年賀状のやりとりはしているが声を聞くのはおおよそ10年ぶりくらいだ。
私は昔、長島愛生園に医療支援に通っていたことがあり、入江さんはそこで義肢装具をはじめ入所者の様々な自助具のようなものを作る担当者であった。
ハンセン病の患者さんは手足の指を失ったり、感覚障害のためにきずを作ったりしている人が多く、入江さんは長年の経験からそうした患者さんに喜ばれる装具を上手に作っておられた。
今は函館にいる石川先生と私と入江さんでそうした装具のことをまとめて学会発表したりしたことが懐かしく思い出される。
電話の話によると、最近長島愛生園でもHALを導入したらどうかと言う話が出ており、その関連で私のことを思い出したのだそうだ。
ふつう、思い出したからといって夜遅く電話をかけてくる人はまずいないが、入江さんは昔から人なつっこくてすぐに電話をしてこられるのである。
隣の邑久光明園でもHALを導入するかもしれないとのことで、以前私が愛生園に通っていた頃病棟を担当していた婦長の池上さんが、その後中四国の国立病院の転勤を経て邑久光明園の看護部長として帰ってきているとのことだった。
池上さんは当時もやる気満々で、なんとか患者さんの医療環境を良くしたいと頑張っておられた。
時間が経つと、そういう人はなるべくしてふさわしいポジションに着くのである。
昔、入江さんと池上さんを一緒に自宅に食事に招待したことがあったのを思い出した。
ずいぶん昔の知り合いだが、こんなことからまた何か一緒にできることがあるかもしれないと思った。
入江さんとは年賀状のやりとりはしているが声を聞くのはおおよそ10年ぶりくらいだ。
私は昔、長島愛生園に医療支援に通っていたことがあり、入江さんはそこで義肢装具をはじめ入所者の様々な自助具のようなものを作る担当者であった。
ハンセン病の患者さんは手足の指を失ったり、感覚障害のためにきずを作ったりしている人が多く、入江さんは長年の経験からそうした患者さんに喜ばれる装具を上手に作っておられた。
今は函館にいる石川先生と私と入江さんでそうした装具のことをまとめて学会発表したりしたことが懐かしく思い出される。
電話の話によると、最近長島愛生園でもHALを導入したらどうかと言う話が出ており、その関連で私のことを思い出したのだそうだ。
ふつう、思い出したからといって夜遅く電話をかけてくる人はまずいないが、入江さんは昔から人なつっこくてすぐに電話をしてこられるのである。
隣の邑久光明園でもHALを導入するかもしれないとのことで、以前私が愛生園に通っていた頃病棟を担当していた婦長の池上さんが、その後中四国の国立病院の転勤を経て邑久光明園の看護部長として帰ってきているとのことだった。
池上さんは当時もやる気満々で、なんとか患者さんの医療環境を良くしたいと頑張っておられた。
時間が経つと、そういう人はなるべくしてふさわしいポジションに着くのである。
昔、入江さんと池上さんを一緒に自宅に食事に招待したことがあったのを思い出した。
ずいぶん昔の知り合いだが、こんなことからまた何か一緒にできることがあるかもしれないと思った。