聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答107~108 ガラテヤ書3章21~28節「いのちの律法」

2019-05-26 21:01:15 | はじめての教理問答

2019/5/26 ガラテヤ書3章21~28節「いのちの律法」はじめての教理問答107~108

 

 夕拝でずっとお話ししてきたのは、神が聖書の最初に、イスラエルの民に与えられた「十戒」の事です。ここには、主なる神だけを神として礼拝すること、そして、私たちが互いに生かし合い、大切にし合う関係を育てることが教えられてきました。

わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、 あなたの神、主である。

わたしのほかに、ほかの神々はない。

あなたは、自分のために、偶像を造らない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とする。

あなたの父と母を敬う。

殺さない。

姦淫しない。

盗まない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしない。

なたの隣人の家を欲しがらない

 こういう十の戒めです。神は、エジプトで奴隷とされていた人々を救い出して、自由にしてくださいました。もう奴隷ではなくなった。けれども、新しい歩みの中で、どうにかして、かつてのような生き方に戻ろうとしてしまうことを見越して、神はこの十戒を下さったのです。当たり前のような戒めですが、本当にこのまま生きようとするなら、なんと大きなことを神様は願っておられるのかと思うようになる。そういう新しい律法でした。しかし、この十戒を、また、聖書の教えを私たちは誤解しやすいものです。こういう戒めを守ることを神は求めている。こういう戒めを守れば、神は自分を救って下さる。一つでも破れば、救われない。そういう真面目な生き方を命じるのがキリスト教だと思いがちです。ですから、今日は、こういう問いを見たいのです。

問107 あなたは十戒を完全に守ることができますか?

答 いいえ、アダムの堕落ののち、完全に十戒を守ることができるのはイエスさまだけです。

 十戒を完全に守ることは出来ません。聖書も十戒を完全に守りなさい、守れるはずだ、守らないなんてとんでもない、と教えているのではありません。聖書の最初にアダムが神に背いて、神との関係が壊れてしまって以来、だれも十戒を守れません。ただ人となって来られたイエス様お一人、罪のない聖い人間として、完全に神に従ったのです。聖書は人間が誰一人、律法を守れなかった物語でもあります。もし人間に十戒を守ることが出来たのであれば、イエス・キリストが来る必要はなかったのです。では「十戒は守れないのなら、要らないじゃないか」と言いたくなるかもしれませんが、

問108 十戒は、あなたにとってどんな役に立ちますか? 

答 十戒は、神にとって何が喜ばしいことか、そして私がどれほど救い主を必要としているかを教えてくれます。

 十戒は、神にとって何が喜ばしいことかを教えてくれます。神が望んでおられるのがどんなことか。逆に言えば、神が何を望んでおられないのかも教えてくれます。自分のしていることを、「みんながしているからいいさ」「自分一人ぐらいこんなことをしていても構わないよ」そう思いたくなる時、十戒を通して、聖書の言葉を通して、私たちは神がそれを喜ばれるか、神が願っていることは何なのかを思い出させてくれます。そうして、私たちは、自分がどれほど救い主を必要としているか。イエス様を必要としている自分である事を切実に知って、イエス様の助けを求めることが出来るのです。

 今日のガラテヤ書3章の言葉を思い出しましょう。ここでも

「律法は神の約束に反するのでしょうか? 決してそんなことはありません!」

と始めていました。そして、律法には、人間にいのちを与えることは出来ないけれど、罪の下にあることをすべての人に知らせることで、イエス・キリストに対する信仰を持つようにうながした、というのですね。その事で、ここでは律法を

「私たちをキリストに導く養育係」

と呼んでいます。養育係。子どもを教え、育てる人です。お父さんやお母さんではありません。私たちの父は天の神、兄はイエス・キリストです。養育係とは、子どもを育てたり守ったりする人です。お父さんから子どもの世話を任された人、ということでしょう。食事を挙げてお世話をする「乳母」とも違いますし「家庭教師」とも違います。新約聖書が書かれた二千年前の当時は、知識のある奴隷が子どもの養育係を任されていました。勉強を教えるだけでなく、生き方を学んだり、危険から守ったりしたのです。英語の聖書ではこの言葉を「ガーディアン」を訳しています。守護者、管理者という言葉です。とても強く、頼りになる存在です。律法とはガーディアンなのです。父なる神様から人間を養育し、守るよう力強く働いてくれる、頼もしいガーディアンなのです。私たちが律法を守るのではなく、律法が、私たちを守って、父なる神の喜ばれることは何かを思い出させてくれます。そして、自分で正しく生きられるわけではないことを思い出して、ますます救い主イエス様に信頼して生きるように、助けてくれるのです。

 中には、律法のことを誤解して、厳しく口うるさい家庭教師のように思っている人もいます。こんな「養育係」でしょうか。

 あまりに真面目で、堅苦しい家庭教師のイメージがあるかもしれません。律法なんて面倒くさい、律法なんていらない。そう思い込んでしまっている人がたくさんいます。でも、律法は私たちをキリストに導く養育係です。律法は神様ではありませんし、律法を守らなければ神様の子どもになれないのでもありません。むしろ、神様は律法を通して私たちに語りかけます。十戒を守れない自分を知ることで、私たちは神様の元に帰って行ける喜びに溢れます。十戒を通して、私たちは神様のもとから離れる生き方のつまらなさ、くだらなさに気づいて、神のもとに立ち帰らせてもらえます。「教育係」は楽しく、ステキで、ワクワクする人です。決していい加減なことはしないし、こびを売ったりもしませんが、縛るよりももっと広く、大きな世界を体験させて、目を開いてくれるのです。

三26あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスによって神の子どもです。

 十戒をどうぞ大事にしてください。私たちは養育係の下にはいません。律法が指し示してきたキリストが現れて、私たちを神の子どもにしてくれました。律法しか知らなかった時代よりもハッキリと、私たちは神がどんな方かを知っています。でも、養育係である十戒は、今でも私たちを教え、導いて、育ててくれます。悪い者から守り、誘惑から守ってくれるガーディアンです。まだ私たちには罪があり、神様から離れやすいので、律法によって時には厳しく、連れ戻してもらう必要があります。そして、救い主イエス様は、律法を通して、私たちの毎日の生活を助けてくれます。どんな人も馬鹿にせず、ウソもなく、文句や自慢をストップしてくれます。律法は頼もしい養育係なのです。

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