ひょっとすると、私たちは「きりがないこと」を毎日のようにしているのかもしれません。「切り」「限り」「極限」がない、「霧」がないということです。どこかでやめなければ、終わりにしなければ the End になりません。その区切りが難しいのです。
今日も資料館の仕事“むかしの写真集”の写真選びをしました。いちおう選んでいるのですが、ひょっとしてと思ってデータ保存してある写真をもう一度見てみました。見てみるとこれもいいな、というのが出てくるのです。チェックしていちおう保存しました。よーく考えたら“きりがない”のです。どこかで諦めないとなかなか先に進めません、いちおう今日までと思ってチェックしました、もう“キリをつけて”先に行くことにしました。
世の中や何かを為そうというときには‘きりがない’ことにぶつかることが多々です。ある意味、ぶつかった方が選択が増えていい結果になるはずです。ようは、どこで納得するか“きりをつけるか”ということだろうと思うのです。
新型コロナウイルスのことです。毎日のように発生した、中国への渡航歴はなかったなどという感染経路も含めた報道がなされています、ところがこのことは‘きりがなく’なってきています。どこから、どう、ということがわからなくなっているのです。そのくらいまん延しているのではないかということです。いまになって“水際”のことも手が打たれているようですが、もう“手遅れ”では ・・・ キリがなくなっています、しかし簡単にキリはつけられず苦慮中、ということなのでしょか。難しい局面になっています。
今日の天気(→)