通称「鼓笛隊」といわれている写真です。ガラス板の写真で木の箱に入っています。この箱の表書きには「樂隊寫眞」、その裏には「慶應四年次戊辰 閏四月二十有一日」と書かれています。慶応4年は1868年です。
また、撮られた写真屋さんのラベルが貼ってあります。「出店 ぎおん町切通シ東入 寫眞場/西洋傳方 寫眞處/皇都寺町通仏光寺南 保利興兵衛」とあって、京都の写真屋さんで撮られたことがわかります。
この箱には、メモ書きがあって、写真に写っている人がわかります。右から「續榮次郎 間 高見」、「吉田一英 大村 辻」、「菊池金英 大村 芦原」、「犬童要次郎 大村 上ノ段」、「西清次郎 新馬場 」、「白坂彦吉 灰久保」の6名です。この写真は現在、山江村の方が所有されています。真ん中の大太鼓の菊池金英さんの子孫の方です。また、「菊池金英は菊池庄讀の二男、旧藩時代、人吉軍隊の楽隊に一員なり、明治元年人吉隊八十余名に中に加わり、会津征伐に官軍として参加、戦争三日目、敵弾胸部に命中し戦没す、年二十四歳なり、明治政府より玄米二俵下賜せらる、靖国神社合祀」と子孫の方が調べられてメモ書きされているのです。金英さんのお墓は鬼木町にあります。わが家の近くです。
150年後にこの写真を見る機会があるものにとっては、たいへん参考になる有難い記録/メモが残されています。今回の村制130周年記念の写真集のトップにこの写真を使わせてもらいました。人吉球磨に残されている写真の中でも古い方に入るものです。よく残っていたのと記録まで付け加えられていたので歴史的価値がUPです。
遠いところまで駆り出された人吉藩の若いサムライさん・・戊辰の役、会津戦争のことが気になって調べています。調べたことは紹介してみます。ついこの間150年前のことなのです。
今日の天気( 春には珍しい冷たい雨の一日でした)