牛塚観音堂
昨日のカシどんの話を私訳してみます。ところどころ高田さんも訳しておられたので大いに参考にしながらです。
『きのいの ちゃあら ちうとこれえな、カシどんちうて、てずまの名人のおらいたげなもん。
木上の平良というところにナ、カシどんという手品の名人がいました。
本当の名前は、蓑田嘉治ちうとじゃッたとないどん、みんなカシどんちうて呼うどッたげなたい。
本当の名前は、蓑田嘉治という人でしたが、みんなは「カシどん」と呼んでいました。
昭和30年の6月9日に44で死んだちうて、戸籍にもちゃんッのとッとじやッで、仮空の人間じゃなかとないどん、 昭和30年6月9日に44歳で亡くなったと、戸籍にもちゃんとあるので、架空の人ではないのです。
そのさいたことがあんまい不思議なことばかいじゃるもんじゃッで、知らんもんなウソじゃなかろうか、
ところが、その為されたことがとても不思議なことばっかりだったので、知らない人は嘘ではなかろうか、
ていういども、きのいのもんな だいでん いんにゃウソじゃなか、ほんとんことちうて信じきッとるとじゃッで、おもしろかたい。
というのですが、木上の人たちは、だれでもが、いやいや嘘ではない、本当のことだと信じていたから、面白いことなのです。
実をいえば、そのてずまちうた、天道兵法鞭之法摩利支天飯綱之法ちうてな、信州の戸隠山の飯綱大権現から出た幻術で、
実を言えば、その手品というのは、「天道兵法鞭之法摩利支天飯綱之法」と云って、信州の戸隠山の飯綱大権現から出た幻術で、
カシどんな、日向のどこてろで、そいよば習うて来たとちうて、言いおらいたげないどん、
カシどんは日向の(宮崎の)どこかで、それを習ってきたと言っていました。
どこからじやらじやッつろうもねえろ、はっきり聞きとめとったもんなおらんげなで分からんたい。
どこからであったのでしょうが、はっきり聞きとめる人がいなかったのでわからないのです。
幾らか銭よばやれば、教えとくぞ、ちうて言わいたこともあったげないどん、だいも習うとかじやッたた惜しかったない、
いくらかお金をやれば、教えるぞ、とも言われたこともあったそうですが、誰も習う人がいなかったのはおしことでした。』
です。
今になると実話か逸話か分からない‘民話’になっているようなのです。昨日も述べたように‘民話’‘むかし話’はこんなふうにスタートしてたのではないでしょうか。このあとに、カシどんの幻術話が続くのです。そのことは、また、後日にでも紹介します。
今日は資料館勤務でした。10月15日から「やまえのほとけ展2021」をする予定です。その準備を進めています。今年は予算をつけて貰ったのでポスター等は印刷屋さんです。一歩前進です。コロナが収まって多くの人が来館できるようになることを願っています。
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