言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

4月20日

2020年04月20日 | 日記
 新しい週がはじまりました。4月も20の週なので、例年ならばGW前でウキウキなときなのでしょうが、何せコロナ旋風が吹き止まずに元気も半減で今週もはじまりました。
 
   

 「写真でみる山江村の130年」冊子のゲラ刷りがようやくでき上ってきました。(内緒の話しなのですが)3月31日が発行日なので静かに校正をしました。思ったより写真の出来は良くていい風にでき上りそうです。写真が約300枚、110ページになってしまいました。最近再び、白黒ネガのデータ取り込み作業をしています。役場に残されていたネガをまずは(白黒)から済ませようと思って作業をしています。それからカラーのネガに、の予定です。
 「130年冊子」の編集を終わってから、これも掲載すればいいのにな、という写真が出てきました。むろん間に合いませんが何かの機会に、何らかの形で活用したいと思っています。20年ほど前にも同じような取り組みをされた痕跡があります。ところがお蔵入りしていました。せっかくの取り組みもお蔵入りではちょっと可哀そうです。今回は陽の目を見るような形で作業したいと思っています。

 今日の天気(

 

古銭のこと

2020年04月19日 | 日記
    

 山江村制100年のときにタイムカプセルが埋設されて、3月29日の記念式典で中味を公開する予定でしたがコロナで吹き飛びました。
「30年後の〇〇へ」という手紙は郵送されて既に届いているそうです。他の記念のものは4月から資料館で展示するようにしていましたが、それも吹き飛びました。その中の「収入役室様」と書かれた茶封筒の中に多くの古銭が入っていました。封筒には何も書かれていないので「何」なのかわかりません。今後、調べてみます。

 古銭は4種類ありました。他には戦前の銅銭もありました。ネットで調べたのでまとめてみました
古銭のほとんどが「寛永通宝」・・大きくは、‘古寛永’(1636~1659)と‘新寛永’(1668~幕末)とがあるようですが、小さく見ると何十種類もあるのだそうです。
 
   これは「古寛永」 (寶)の字の(貝)の下部分が(ス)のように書かれている。

 
   こちらが「新寛永」 (寶)がちゃんと(貝)になっています。

  
    裏面を見ると貨幣価値が・・こちらの波型は「4文」

  
    「文」や何もかかれていないものは「1文」だそうです。
 
 銅銭が多いのですが、鉄製や真鍮製もあったようです、法的には昭和28年までは使用できたようですが、実際は明治中頃まで使われていたようです。

  
   これは「仙台通宝」  5枚入っていました。鉄製で、天明の大飢饉があって幕府の許可を受けて5年間限定で仙台藩領内通用の地 
   方貨だったようです。それがなぜ山江村役場に・・不思議なる、わからないことです。

 
  「文久永宝」です。6枚ありました。上の「文」の字が違っています。左は(草書体)、右は(楷書体)・・価値は一緒です。

 30年前に詰められたお宝を調べたら、たいへん勉強になりました。資料館が開館したら(展示)してありますので、ご一見を!

 今日の天気’( → 

 
 
 

マスク

2020年04月18日 | 日記
   
      エビネの花がきれいに咲いています

 最近はコロナのことばかりで(自分でも触れたくない話題です・・しかし、今日も)申し訳ないです。よく行っているSキッズに今日も行きました。マスクがあったのです。1枚540円くらい、日本製、水着の素材で洗って使える、とありました。白色と黒色のが、白いのを1枚買ってきました。「1人1枚限定」・・夕方行ったわりにはまだたくさんありました。ムスコの嫁が社協に勤めていて(いまは中止になっていますが)お年寄りとの接触をする仕事に携わっています。そこで買ってきてプレゼントしました。

 朝のニュースでも「なぜ、マスクがないのか?」ということが話題になっていました。医療機関に優先的に廻っている、ドラッグストアにも少しは廻っているが必要以上に溜めこんで家う人がいるから・・・などと思われます。ニュースではマスク工場で不織布が手に入らない、世界的に不足している、日本に必要な不織布の80%は中国から、も原因とありました。
 日本は原料面のことで他国(特に中国、東南アジア)に頼りすぎです。今回のように何かあったら何もできないのです。自分でできることは自前でできるようにした方がいいです。人件費を含めて安あがるから“海外”です。しかし、何かあったら海外依存ではOutです。いい機会です、見直したら。
 私の持論です、海外の工場を日本の田舎にUターンです。人件費は海外よりも高いでしょうが、日本の都会よりも安上がりなはずです。コロナのことではいい勉強をしました、ぜひ、見直したいものです。

 今日の天気( 昼間は風が強かったです)

好きなテレビ番組のこと

2020年04月17日 | 日記
    

  

 好きなテレビ番組で「新日本紀行」があります。日本各地を、いわゆる‘紀行’するもので、私にとって行ったこともない所を知る機会にもなっています。金曜日の夜9時からはあんまり見れなくて、再放送の朝の9時からはほぼ欠かさないようにして見ています。先週ヵ?は、昭和の頃に撮られたのが再放送されていました。アナウンスも最近の松たか子風ではなく、NHKアナウンス風でした。
 ところが50年ほど前のことがよくわかって‘昭和世代’の私にとっては懐かしく見ることができました。この「新日本紀行」という番組は、放送も1時間と長いのですが、取材から収録、編集まで・・・かなり時間と労力がかかっている番組なようです。したがって、50年ほど経った今でも見る価値が十分にあります。写真の「盆地の太鼓ー秩父」も歴史的映像資料として見ることができました。1コマの写真よりも動画と音声とがあってたいへんわかりやすいモノです。製作もたいへんなのでしょうが、NHKさんのこの努力には感服です。これまでの蓄積されたものをもっと見てみたいものです。

 コロナのことは全国に緊急事態宣言が発せられて、いよいよたいへんなことになってきました。山江役場でも来週月曜日から交代で在宅勤務制をとるようです。

 今日の天気(  →  )

困ったことに

2020年04月16日 | 日記
 コロナ対応で全国に‘緊急事態宣言’が出されるようです。困った事態になりました。そうはいっても日本は緩やかな国なので‘どれほど’のことが期待できるかわかりませんが、みんなで真剣に考え行動したいものです。‘人の移動’が云われているので、特別を除き、鉄道、高速道路の遮断まで考えた方がいいと思うのですが。これ以上増えないためにはみんなで努力するしかないです。

  

 今日は資料館勤務しました。古い白黒ネガフィルムをスキャナーを使ってデータ化をしています。これまで乱雑に箱の中にしまってあった写真を一部分デター化してありました。ところが(いちおう)手あたり次第だったので順番がありません。なかなか写された年代も特定できませんでした。ネガだと24枚から36枚の時系列はちゃんと把握でき、その点は把握しやすいです。今回、ネガをデータしながら、これまで見ていた1枚の写真がつながってきました。最近、ずっと山江の写真をながめてきたので。昭和30~50、60年代のことは写真を見るとずいぶんと詳しくなってきました。まだまだネガがたくさんあります。まずは、白黒フィルムから片付けようと思っています。‘どこかで誰かが’やっておくといい!と思って手を付けています。ちょっと時間はかかりますが、少しずつボチボチに、です。

 今日の天気(  夕方4時ころ、夕立のような雷雨)

4月15日

2020年04月15日 | 日記
    

 4月になって、‘コロナ、コロナと云って’いるうちに半月が過ぎてしまいました。あっという間です、コロナもあっという間に通り過ぎてくれたらいいのですが。
 いま、私が寝ている部屋のことです、布団の周りは本が少しずつ積まれていっています、本だなの整理がつかないので、最近購入の本はついつい積まれる状態になっているのです。今日もネット(日本の古本屋)で購入した2冊の本が仲間入りしました。‘鰐口’を調べるための本です、「佛教考古学研究」という本:正続2冊です。昭和52年刊ですので・・もう古本屋さんでしか買えない本です。ネットで見つけて安かったので買いました。埼玉・浦和の古本屋さんからです。ネットで購入できる時代だからこそ、遠くの本屋さんから手に入った本です。
 最近はよくネット古本屋さんを利用します。この前は「日本の絵馬」という本を買い求めました。これまた、今後。手を伸ばそうと思っている「絵馬」を知るために買いました。この絵馬のことも知れば知るほど面白いです、今度から神社へ行ったときの一つの視点になりました。しかし、また手を広げて、たいへんだとも思っています。

 今日はカミさんは自分の親の介護で出かける日だったので、私が3人の孫守りをさせられました。外には出かけられず、ほぼ家の中でグジュグジュしていました、ほんとうに日本の子どもたちの体力と学力はかなり落ちたと思われます、たいへんなることです。

 今日の天気( 一時 

町内会館のこと

2020年04月14日 | 町内会活動
   

 私どもの町には‘町内会館’があります。平成のはじめ頃、私の父親が町内会役員していた頃に建設されたものです。すでに30年くらいたっているので、少しずつ修繕個所や使い勝手の不都合も出てきています。3月から倉庫を片付けて多くのものを廃棄しました。残りのものも別場所のプレハブ倉庫に・・・空っぽになった部屋を大工さんに頼んで改装して‘事務室’に転用しました。
 写真は倉庫の中にあった‘鬼木町会館’と書かれた‘看板’です、ケヤキで作られていて重くてどっしりしています。なおしこんでおくのはもったいないので取り付けてもらいました。
 その新事務室を使って今夜は‘会計監査’をしました。事務室はまだ完全出来あがりではないのですが、今夜、初使用としました。床がコンクリなのでエアコンが必要かなと、と思いました。25日に町内会総会をする予定でしたが‘中止’にすることにしました。議案は「書面議決」にすることにしました。あんまりありえないことの実施です。その為の準備もちょっとたいへんです。

 人吉でコロナが出たので、資料館も図書室も5月10日まで閉めることになりました。人吉のコロナは、熊本市のお医者さんで人吉の病院勤務、しかし、ゴルフ練習場に行ったり、温泉施設へも通っておられたようです、仕事がら‘不要’だったのではと非難囂々なようです。‘人の振り見て’にしなければならないと思ったことでした。

 今日の天気(  昨日と打って変わってポカポカいい天気)

古い写真のこと ~ 楽隊

2020年04月13日 | 日記
   

 通称「鼓笛隊」といわれている写真です。ガラス板の写真で木の箱に入っています。この箱の表書きには「樂隊寫眞」、その裏には「慶應四年次戊辰 閏四月二十有一日」と書かれています。慶応4年は1868年です。
 また、撮られた写真屋さんのラベルが貼ってあります。「出店 ぎおん町切通シ東入 寫眞場/西洋傳方 寫眞處/皇都寺町通仏光寺南 保利興兵衛」とあって、京都の写真屋さんで撮られたことがわかります。
 この箱には、メモ書きがあって、写真に写っている人がわかります。右から「續榮次郎 間 高見」、「吉田一英 大村 辻」、「菊池金英 大村 芦原」、「犬童要次郎 大村 上ノ段」、「西清次郎 新馬場 」、「白坂彦吉 灰久保」の6名です。この写真は現在、山江村の方が所有されています。真ん中の大太鼓の菊池金英さんの子孫の方です。また、「菊池金英は菊池庄讀の二男、旧藩時代、人吉軍隊の楽隊に一員なり、明治元年人吉隊八十余名に中に加わり、会津征伐に官軍として参加、戦争三日目、敵弾胸部に命中し戦没す、年二十四歳なり、明治政府より玄米二俵下賜せらる、靖国神社合祀」と子孫の方が調べられてメモ書きされているのです。金英さんのお墓は鬼木町にあります。わが家の近くです。

 150年後にこの写真を見る機会があるものにとっては、たいへん参考になる有難い記録/メモが残されています。今回の村制130周年記念の写真集のトップにこの写真を使わせてもらいました。人吉球磨に残されている写真の中でも古い方に入るものです。よく残っていたのと記録まで付け加えられていたので歴史的価値がUPです。

 遠いところまで駆り出された人吉藩の若いサムライさん・・戊辰の役、会津戦争のことが気になって調べています。調べたことは紹介してみます。ついこの間150年前のことなのです。

 今日の天気(  春には珍しい冷たい雨の一日でした)

ついに

2020年04月12日 | 日記
  

 朝、孫ムスメ①が「人吉にもコロナが出たって!」というSNSからの情報をもたらしました。また高校生同士のデマ情報だろうと思っていましたが昼過ぎになってホンモノ情報になってきました。熊本に住む人吉の病院に勤めているお医者さんだとか、これだけ流行ってきているので、いつかはこの盆地にもと思っていましたが、困ったことになってしまいました。
 江戸時代に琉球or長崎からコレラが外国船からもたらされ流行ったことがあります。長崎から街道を通って江戸(東京)まで広まり、当時の人たちを震撼させた伝染病です。明治に入ってからもついこの頃までも怖い病気だったようです。少しずつ研究されてずいぶん経ってから治るようになった病気です。
 人の病気は感染症との戦いの歴史でもあります、熊本県出身の北里柴三郎さんたちの研究のおかげでひとつひとつの病が解決されてきました。今回のコロナも何らかの形で解決すると思いますが、「いま」はちょっとたいへんな時期です。

 夕方には孫たちの学校から連絡があって、明日から(休校)・・せっかく始まったばかりだったので、ちょっと残念です、しかし、致し方ないことなので、これからは拡大防止に努め、みんなで封じ込めることに全力を出すべきでしょう。
 最近は‘コロナ’のことばかりのブログになって面白くなかったのですが・・どうも今しばらくはコロナとの戦いに明け暮れなければならないようです。がんばろう!日本!です。

 今日の天気(

葉ザクラになって

2020年04月11日 | 日記
     
 資料館横のソメイヨシノの花もほぼ散ってしまって葉ザクラになってしまっています。モノにははじめがあって、その後に必ず終わりが訪れます。サクラの花も蕾の時期が長いことあって、ようやく咲いてもその時間はまもなくで終わります。そして今の葉ザクラ・・・これから葉はおおい茂って栄養を蓄えて木を成長させていきます。
 コロナも必ず終わりはやってきます、しかし、もうしばらくはおびえながら過ごさなければならないのでしょう。まだまだ都会では感染した人が増えています。もうしばらくはご用心!すべきようです。

 今日の天気(