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やなかしちふくじん1

2008年01月21日 | Weblog
 1月 21日

 「U高会散歩会」で谷中七福神めぐりに行きました。その1

 順不同でアタイが思い出したことをカキコしますね。
 福を呼ぶのなら松の内(東京では15日)までに巡るのが
本来なんでしょうがねぇ。まぁいいか。行ってみよう!

 ということで、谷中七福神を全て巡ることができませんでし
たが、文人墨客(森鴎外、滝沢馬琴など)に縁がある寺や場所
なども巡ってきました。途中に富士見坂などもあり、今でも
富士山が望めるそうですよ。

 護国院(大黒天)→長安寺(寿老人)→天王寺(毘沙門天)
→修性寺(布袋尊)→青雲寺(恵比寿)→東覚寺(福禄寿)

 その他としては谷中墓地、朝倉彫塑館、神田感応寺、本行寺
などなど。

 15日から数日過ぎていたので、本尊開帳していない寺も
多くて、扉の隙間から拝んだりしました。
 でも、いつもながらにT先生の名調子によるお話が楽しくて、
そんなことはまぁいいか。でした。

 U高校の隣にある護国院、4年間通り過ぎるだけで七福神
(大黒天)とは知りませんでしたねぇ。
 といっても寺の謂れを聞いたら、そんなに古い大黒様ではなく、
歴史は浅いようでした。まぁ谷中地区自体が江戸中期から開かれた
場所ですからね。(谷中は七福神巡りでは江戸で一番古い)



 こういう古木(大木)があちこちにありました。都や区などの
指定や保存を受けているそうです。
 




 ここは谷中霊園の一角にある「谷中五重塔」(天王寺五重塔)跡
幸田露伴の作品「五重塔」のモデルです。



 そいでね。1791年に建てられた(2代目)の塔は、震災や
戦災も免れていたのですが、残念ながら1957年(昭和32年)に
放火(最近では放火とは言わないで、不審火ということが多い)に
より焼失しました。中から男女の死体がでてきたので、心中では
ないか?といわれています。 違う場所はなかったのかねぇ。



 この写真、天王寺のお堂前の下にある甕に張っていた氷です。
午後2時過ぎでしたが、日陰にあったので融けていませんでした。
 この冬、東京では初めて見ましたよ。




 ここはTVや雑誌でもたびたび取上げられているという塀です。
長さは50mぐらいでしょうか?個人宅の瓦塀で、台東区から
「町かど賞」をもらっています。



 つづく
 
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