1月 21日
「U高会散歩会」で谷中七福神めぐりに行きました。その1
順不同でアタイが思い出したことをカキコしますね。
福を呼ぶのなら松の内(東京では15日)までに巡るのが
本来なんでしょうがねぇ。まぁいいか。行ってみよう!
ということで、谷中七福神を全て巡ることができませんでし
たが、文人墨客(森鴎外、滝沢馬琴など)に縁がある寺や場所
なども巡ってきました。途中に富士見坂などもあり、今でも
富士山が望めるそうですよ。
護国院(大黒天)→長安寺(寿老人)→天王寺(毘沙門天)
→修性寺(布袋尊)→青雲寺(恵比寿)→東覚寺(福禄寿)
その他としては谷中墓地、朝倉彫塑館、神田感応寺、本行寺
などなど。
15日から数日過ぎていたので、本尊開帳していない寺も
多くて、扉の隙間から拝んだりしました。
でも、いつもながらにT先生の名調子によるお話が楽しくて、
そんなことはまぁいいか。でした。
U高校の隣にある護国院、4年間通り過ぎるだけで七福神
(大黒天)とは知りませんでしたねぇ。
といっても寺の謂れを聞いたら、そんなに古い大黒様ではなく、
歴史は浅いようでした。まぁ谷中地区自体が江戸中期から開かれた
場所ですからね。(谷中は七福神巡りでは江戸で一番古い)
こういう古木(大木)があちこちにありました。都や区などの
指定や保存を受けているそうです。

ここは谷中霊園の一角にある「谷中五重塔」(天王寺五重塔)跡
幸田露伴の作品「五重塔」のモデルです。

そいでね。1791年に建てられた(2代目)の塔は、震災や
戦災も免れていたのですが、残念ながら1957年(昭和32年)に
放火(最近では放火とは言わないで、不審火ということが多い)に
より焼失しました。中から男女の死体がでてきたので、心中では
ないか?といわれています。 違う場所はなかったのかねぇ。
この写真、天王寺のお堂前の下にある甕に張っていた氷です。
午後2時過ぎでしたが、日陰にあったので融けていませんでした。
この冬、東京では初めて見ましたよ。

ここはTVや雑誌でもたびたび取上げられているという塀です。
長さは50mぐらいでしょうか?個人宅の瓦塀で、台東区から
「町かど賞」をもらっています。

つづく
「U高会散歩会」で谷中七福神めぐりに行きました。その1
順不同でアタイが思い出したことをカキコしますね。
福を呼ぶのなら松の内(東京では15日)までに巡るのが
本来なんでしょうがねぇ。まぁいいか。行ってみよう!
ということで、谷中七福神を全て巡ることができませんでし
たが、文人墨客(森鴎外、滝沢馬琴など)に縁がある寺や場所
なども巡ってきました。途中に富士見坂などもあり、今でも
富士山が望めるそうですよ。
護国院(大黒天)→長安寺(寿老人)→天王寺(毘沙門天)
→修性寺(布袋尊)→青雲寺(恵比寿)→東覚寺(福禄寿)
その他としては谷中墓地、朝倉彫塑館、神田感応寺、本行寺
などなど。
15日から数日過ぎていたので、本尊開帳していない寺も
多くて、扉の隙間から拝んだりしました。
でも、いつもながらにT先生の名調子によるお話が楽しくて、
そんなことはまぁいいか。でした。
U高校の隣にある護国院、4年間通り過ぎるだけで七福神
(大黒天)とは知りませんでしたねぇ。
といっても寺の謂れを聞いたら、そんなに古い大黒様ではなく、
歴史は浅いようでした。まぁ谷中地区自体が江戸中期から開かれた
場所ですからね。(谷中は七福神巡りでは江戸で一番古い)
こういう古木(大木)があちこちにありました。都や区などの
指定や保存を受けているそうです。

ここは谷中霊園の一角にある「谷中五重塔」(天王寺五重塔)跡
幸田露伴の作品「五重塔」のモデルです。

そいでね。1791年に建てられた(2代目)の塔は、震災や
戦災も免れていたのですが、残念ながら1957年(昭和32年)に
放火(最近では放火とは言わないで、不審火ということが多い)に
より焼失しました。中から男女の死体がでてきたので、心中では
ないか?といわれています。 違う場所はなかったのかねぇ。
この写真、天王寺のお堂前の下にある甕に張っていた氷です。
午後2時過ぎでしたが、日陰にあったので融けていませんでした。
この冬、東京では初めて見ましたよ。

ここはTVや雑誌でもたびたび取上げられているという塀です。
長さは50mぐらいでしょうか?個人宅の瓦塀で、台東区から
「町かど賞」をもらっています。

つづく