偶然の一致だと思うのだけど・・・でも不思議。
わたしが読者登録しているgooブログ。
その中で ずっと古くからのブログ仲間の バブさん。「JAZZを聴きながら ふたたび」―酔うに酔う年頃になりました。― の記事を読んで あれ?っと。
もう一つのブログ アンティークマンさんのブログ 「アンティークマン」―アンティークマン66歳に!― を読んで またまたあれ?っと。
ふたつの記事を読んだ方はもうお気づきかと思いますが、なんとお二方とも 同じ誕生日だったんです♪
わたしが読者登録しているブログはそんなに多くはありませんが、その中の二人が同じ誕生日って・・・どれだけ3月生まれの方に魅力を感じるのかしら わたしって・・・って気分になりました。そういえば 3月生まれの人がわたしの周りには多いような気がします。
もう30年以上も付き合いのあるMさんも3月20日生まれだし、もちろんわが息子も19日生まれだし。甥も確か3月生まれだった気がします。
そうそう忘れちゃいけない人が・・・父です♪父は20日生まれ。ちょうど80歳の誕生日を迎えてから亡くなりました。その父の命日が28日。人は自分の誕生日の近い日に亡くなるってどこかで読んだことがありますが、父の場合はそうだったなと思います。弟も自分の誕生日8月2日ですが、8月に亡くなっています。これも不思議なめぐり合わせなんでしょうね。
今朝はなんだかとても不思議な気分でブログめぐりをしました。
バブさん アンティークマンさん 本当にお誕生日おめでとうございます♪
これからもますます元気で 素敵なブログを続けてくださいね。
アンティークマンさんの記事の中で 数え年について書かれていましたが、昔の人が命というものをとても大事にしていることがわかるような気がしました。今でこそ科学的な根拠で解明されている事柄が多いことも 昔は言い伝えとして世の中の様々なことが薬膳だったり、こんなときにはこうするみたいなこともあるし、本当に昔の人はなぜこういうことを知っていたの?と思えることがたくさんあります。その色々なことの根底にあるのは 自然や命への慈しみだったのだなぁと深く感じます。胎内にいるときから数える年、数え年。なんて考えなのでしょう。命を大事にしてきたからこその考えなのだと思います。
ところで3月って 一年のうちでも一番ココロが気ぜわしい気がしませんか?
一つの区切りがこの時期に集中していて。卒園 卒業、進学 就職・・・色々な行事があると誕生日自体忘れられてしまうこともしばしばだったのでは?あるいは誕生日と行事を合体させて祝ってもらうことが多かったとか?なんてこと考えています。でも年を取っていくとお祝いという気分はあまりなくなってしまうなぁって思います。
それより 自分がここまで生きてこられたことへの感謝というか 自分をこの世に産んでくれた父母への感謝を毎年感じます。母はまだ健在ですので もっと一緒に過ごしていけるようにといつも思います。母が元気で生きていてくれることが わたしへの大きなプレゼントだと思っています。
昨日 スマホに入れてあった孫の画像を母に見せたら
「良かったな、お前も。楽しみが出来て」
と言いました。母もきっとわたしの子どもたちの成長を楽しみにして生きてきたんだなと思いました。子供たちが小さい頃は本当に無我夢中で 母たちの胸の内など考えもしなかったように思います。この年になってから 初めて思いを巡らしているなんて 遅すぎるでしょ!って思うのですが、まぁそれもまた若さのなせるいたらなさなのでしょうね。若いときは周りの気持ちに寄りそうなんて余裕はちっともありませんでしたから。
不遜な時代 驕りのあった時代と言えるのかもしれません。今は とてもとても「なんて人間だったのだろう」と自分が恥ずかしくなることばかり。過去は取り消しできませんので、これからの自分を少しはまともに?していかなくてはね。
そんなことを つらつらと思った次第。
でも 何歳になっても誕生日を迎えることができるのは嬉しい。だって生きていてなんぼのことだもん。亡くなった父の口癖。
「死んでしまえばお終いだよ」
当たり前のことなのに いつも思いだします。どんなに辛いことがあっても 死んだら前に行けないし、その先にある喜びとも出会えない。だから生きるんだよと病床で繰り返して話していた父。やせ細った背中はごつごつと骨が浮き出ていたけど、優しい気持ちがその顔にはいつも漂っていました。あんなに穏やかな人を見たことがありません。いつか父のような人のことを書けたらなぁと思っています。
わたしが読者登録しているgooブログ。
その中で ずっと古くからのブログ仲間の バブさん。「JAZZを聴きながら ふたたび」―酔うに酔う年頃になりました。― の記事を読んで あれ?っと。
もう一つのブログ アンティークマンさんのブログ 「アンティークマン」―アンティークマン66歳に!― を読んで またまたあれ?っと。
ふたつの記事を読んだ方はもうお気づきかと思いますが、なんとお二方とも 同じ誕生日だったんです♪
わたしが読者登録しているブログはそんなに多くはありませんが、その中の二人が同じ誕生日って・・・どれだけ3月生まれの方に魅力を感じるのかしら わたしって・・・って気分になりました。そういえば 3月生まれの人がわたしの周りには多いような気がします。
もう30年以上も付き合いのあるMさんも3月20日生まれだし、もちろんわが息子も19日生まれだし。甥も確か3月生まれだった気がします。
そうそう忘れちゃいけない人が・・・父です♪父は20日生まれ。ちょうど80歳の誕生日を迎えてから亡くなりました。その父の命日が28日。人は自分の誕生日の近い日に亡くなるってどこかで読んだことがありますが、父の場合はそうだったなと思います。弟も自分の誕生日8月2日ですが、8月に亡くなっています。これも不思議なめぐり合わせなんでしょうね。
今朝はなんだかとても不思議な気分でブログめぐりをしました。
バブさん アンティークマンさん 本当にお誕生日おめでとうございます♪
これからもますます元気で 素敵なブログを続けてくださいね。
アンティークマンさんの記事の中で 数え年について書かれていましたが、昔の人が命というものをとても大事にしていることがわかるような気がしました。今でこそ科学的な根拠で解明されている事柄が多いことも 昔は言い伝えとして世の中の様々なことが薬膳だったり、こんなときにはこうするみたいなこともあるし、本当に昔の人はなぜこういうことを知っていたの?と思えることがたくさんあります。その色々なことの根底にあるのは 自然や命への慈しみだったのだなぁと深く感じます。胎内にいるときから数える年、数え年。なんて考えなのでしょう。命を大事にしてきたからこその考えなのだと思います。
ところで3月って 一年のうちでも一番ココロが気ぜわしい気がしませんか?
一つの区切りがこの時期に集中していて。卒園 卒業、進学 就職・・・色々な行事があると誕生日自体忘れられてしまうこともしばしばだったのでは?あるいは誕生日と行事を合体させて祝ってもらうことが多かったとか?なんてこと考えています。でも年を取っていくとお祝いという気分はあまりなくなってしまうなぁって思います。
それより 自分がここまで生きてこられたことへの感謝というか 自分をこの世に産んでくれた父母への感謝を毎年感じます。母はまだ健在ですので もっと一緒に過ごしていけるようにといつも思います。母が元気で生きていてくれることが わたしへの大きなプレゼントだと思っています。
昨日 スマホに入れてあった孫の画像を母に見せたら
「良かったな、お前も。楽しみが出来て」
と言いました。母もきっとわたしの子どもたちの成長を楽しみにして生きてきたんだなと思いました。子供たちが小さい頃は本当に無我夢中で 母たちの胸の内など考えもしなかったように思います。この年になってから 初めて思いを巡らしているなんて 遅すぎるでしょ!って思うのですが、まぁそれもまた若さのなせるいたらなさなのでしょうね。若いときは周りの気持ちに寄りそうなんて余裕はちっともありませんでしたから。
不遜な時代 驕りのあった時代と言えるのかもしれません。今は とてもとても「なんて人間だったのだろう」と自分が恥ずかしくなることばかり。過去は取り消しできませんので、これからの自分を少しはまともに?していかなくてはね。
そんなことを つらつらと思った次第。
でも 何歳になっても誕生日を迎えることができるのは嬉しい。だって生きていてなんぼのことだもん。亡くなった父の口癖。
「死んでしまえばお終いだよ」
当たり前のことなのに いつも思いだします。どんなに辛いことがあっても 死んだら前に行けないし、その先にある喜びとも出会えない。だから生きるんだよと病床で繰り返して話していた父。やせ細った背中はごつごつと骨が浮き出ていたけど、優しい気持ちがその顔にはいつも漂っていました。あんなに穏やかな人を見たことがありません。いつか父のような人のことを書けたらなぁと思っています。