夕べは ここに来てから初めて 大文字と花火をカーテンをいっぱい開けて 窓の右と左にずっと見ていました。ちょうどその二つが窓に納まって見えるのです。テレビで歌うま対決 関ジャニ∞の番組が入っていてそれを見ていましたが、テレビの画面の明るさが窓の外に邪魔になるので テレビに布をかぶせて 歌声だけを聴いて 花火を見ていました。
10年も経つのに こんな風に見ればよかったことに今さらながら気付いて 自分でも可笑しいです。今までの夏はなんだったんだ?って感じです。今回の花火はとてもよく見えて(打ち上げる場所が良かったのでしょうか?)遠くてもはっきり見えましたので 人混みが苦手なわたしにはすごくいい感じです。以前はベランダにいながら見たりしたのですが、虫が苦手なわたしは外で見るのは無理でした。そのときはなんだかクモがすごく多くいたのです。今はあまり見かけなくなりました。どうしてかしらね・・・
で 室内から見たりしていたのですが、毎回 時間を忘れていたりして最初から最後までしっかり見るということはなかったのです。わたしの部屋でこんなによく見えるのですから 上の階の方はすごくいいだろうなぁと思いながら見ていました。今年は雨が続いて 開催されるのか?と心配でしたが うまい具合に日中の大文字踊りも夜の花火も 雨とは無縁でした。来年もこうであってほしいなと思います。
ところで 母の長い友人がずっと腰痛で入院しています。ひとりで暮らしていましたが、高齢で持病の腰の痛みも悪化してきたので、遠くにいる娘さんが自分のところに呼んで 近くの病院に入院させたのでした。働きながら 病院に行き 家のこともして・・・娘さんはきっとかいがいしく世話をしていたのでしょう。
母は その方の4歳下ぐらいでしょうか。いつも明るくて 母と話をしている姿はお元気そうでした。母もその方と話をするのが楽しみだったみたいです。会わないでいると その方から電話が来ます。お互いに体の不調を訴えながら それでも元気に再会を約束している そんな様子でした。
でも 娘さんのところに昨年の豪雨の後 家の修理が終わり、冬が来る前に行きました。来年になったら帰ってくるからと言って。
でも やっぱり年をとってきたせいか 入退院を繰り返しているようです。
母も時折 どうしているだろうねぇと話していました。
温泉に行くと その方の隣に住んでいるという方と会います。つい二日ほど前 その方と母が脱衣所で話をしていて。わたしが外で待っていると・・・少し青ざめた母が歩くのが大変な足を擦るようにしてこっちに来ました。わたしが手を差し出すと 手をつかみ
「○○さんの娘さん 亡くなったんだって。お前より二歳しか上じゃないんだけど。入院している○○さんにはまだ知らせていないらしいよ。」
と言ったのです。わたしは思いがけないことに声を失いました。
なぜ そんなことに?
病気らしい とは言ってましたが、○○さんに言えないでいるご家族の気持ちが痛いほどわかりました。
帰ってから
「親より先に 逝くのは辛いなあ・・・お前とたいして違わない年だよ。○○さん このこと知ったらどう思うか。自分のせいだと思うだろうなぁ。お前は ○○○(わたしの娘の名)のためにも長生きしなけりゃいけないよ。」
と いうのでした。母は自分もわたしに迷惑をかけて生きていると思っているのでしょう。いつもお前がいなければ今頃は7回半も死んでいたよ と口癖のように言うのです。わたしは当たり前のことをしているだけでしょ?と笑って言うのですが、母の中には すまないなぁと言う気持ちがあるようです。
母は ○○さんのことを聞いて 自分のことに重ね合わせたのでしょう。わたしがもし自分より先に逝ってしまったら・・・と不安になったのだと思います。
親より先に亡くなることほど悲しいことはない。69年前 そんな悲しみを抱えて生きねばならなかった母親がこの日本に一体何人いたのだろうかと 慰霊の大文字が少しずつ消えて行くのを見ながら 考えていました。
母を悲しませないためにも 健康に気をつけていかなければ・・・
10年も経つのに こんな風に見ればよかったことに今さらながら気付いて 自分でも可笑しいです。今までの夏はなんだったんだ?って感じです。今回の花火はとてもよく見えて(打ち上げる場所が良かったのでしょうか?)遠くてもはっきり見えましたので 人混みが苦手なわたしにはすごくいい感じです。以前はベランダにいながら見たりしたのですが、虫が苦手なわたしは外で見るのは無理でした。そのときはなんだかクモがすごく多くいたのです。今はあまり見かけなくなりました。どうしてかしらね・・・
で 室内から見たりしていたのですが、毎回 時間を忘れていたりして最初から最後までしっかり見るということはなかったのです。わたしの部屋でこんなによく見えるのですから 上の階の方はすごくいいだろうなぁと思いながら見ていました。今年は雨が続いて 開催されるのか?と心配でしたが うまい具合に日中の大文字踊りも夜の花火も 雨とは無縁でした。来年もこうであってほしいなと思います。
ところで 母の長い友人がずっと腰痛で入院しています。ひとりで暮らしていましたが、高齢で持病の腰の痛みも悪化してきたので、遠くにいる娘さんが自分のところに呼んで 近くの病院に入院させたのでした。働きながら 病院に行き 家のこともして・・・娘さんはきっとかいがいしく世話をしていたのでしょう。
母は その方の4歳下ぐらいでしょうか。いつも明るくて 母と話をしている姿はお元気そうでした。母もその方と話をするのが楽しみだったみたいです。会わないでいると その方から電話が来ます。お互いに体の不調を訴えながら それでも元気に再会を約束している そんな様子でした。
でも 娘さんのところに昨年の豪雨の後 家の修理が終わり、冬が来る前に行きました。来年になったら帰ってくるからと言って。
でも やっぱり年をとってきたせいか 入退院を繰り返しているようです。
母も時折 どうしているだろうねぇと話していました。
温泉に行くと その方の隣に住んでいるという方と会います。つい二日ほど前 その方と母が脱衣所で話をしていて。わたしが外で待っていると・・・少し青ざめた母が歩くのが大変な足を擦るようにしてこっちに来ました。わたしが手を差し出すと 手をつかみ
「○○さんの娘さん 亡くなったんだって。お前より二歳しか上じゃないんだけど。入院している○○さんにはまだ知らせていないらしいよ。」
と言ったのです。わたしは思いがけないことに声を失いました。
なぜ そんなことに?
病気らしい とは言ってましたが、○○さんに言えないでいるご家族の気持ちが痛いほどわかりました。
帰ってから
「親より先に 逝くのは辛いなあ・・・お前とたいして違わない年だよ。○○さん このこと知ったらどう思うか。自分のせいだと思うだろうなぁ。お前は ○○○(わたしの娘の名)のためにも長生きしなけりゃいけないよ。」
と いうのでした。母は自分もわたしに迷惑をかけて生きていると思っているのでしょう。いつもお前がいなければ今頃は7回半も死んでいたよ と口癖のように言うのです。わたしは当たり前のことをしているだけでしょ?と笑って言うのですが、母の中には すまないなぁと言う気持ちがあるようです。
母は ○○さんのことを聞いて 自分のことに重ね合わせたのでしょう。わたしがもし自分より先に逝ってしまったら・・・と不安になったのだと思います。
親より先に亡くなることほど悲しいことはない。69年前 そんな悲しみを抱えて生きねばならなかった母親がこの日本に一体何人いたのだろうかと 慰霊の大文字が少しずつ消えて行くのを見ながら 考えていました。
母を悲しませないためにも 健康に気をつけていかなければ・・・