先日、見てきたつるし雛展示会から。
うさぎの長い耳が印象的なお雛様。
結婚してから桃の節句も端午の節句も祝ったことがありません。だからこういう伝統行事ではどんなことをするのか、何を用意するのか、どんな食事にしたらよいのかといった基本的なことはちっともわからないできました。
結婚前の子どもの頃は、端午の節句といえばどういうわけか近所の子どもたちが集まって「こどもの日」を楽しむために誰かの家に集まって学芸会よろしくあれこれと練習した成果を見せたりしていたのが記憶に残っています。
大きなこいのぼりを飾ることもせず、狭い我が家ではお雛様を飾るスペースもありませんでしたから。ただ小さな折り紙で作ったお雛様とか、何かの付録についていたお雛様を飾ってみたりすることはあったように思います。母がちらしずしを作ってくれたのをかすかに思いだします。
自分の家が裕福ではないということを幼い頃から感じていました。
でもあの頃の学校は、自分と同じような暮らしぶりの子どもたちが大半で、裕福な生活をしている子供というのはクラスの中で少なかったのです。
だから、肩身の狭い思いを味わうということはありませんでしたし、裕福でないということで引け目を感じることもなかったような……
いや、ありました。
クラスの子の家に遊びに行ったとき、その子のお母さんがわたしの家のことについて聞きました。
わたしは正直に母は親戚の家の手伝いをしていると答えました。その子の家では専業主婦のお母さんでした。
次の日、その子がやってきて
「母さんが、○○さんはもう家に連れてくるなって」と言いました。
わたしはなぜそんなことを言われるのだろうと不思議で、悲しくなりました。
母親が働いている、しかもバリバリのキャリアウーマンではなくて(もっとも昔はそんな言葉もありませんでしたけどね)家政婦まがいのことをしている、そんな家は我が家とは不釣り合いだということなのでしょう。
母には言いませんでした。自分たちのために一生懸命働いて夜遅くまで働いて、家の中のこともして、そんな母にどうして友達のお母さんが言ったことを伝えることができるでしょうか。
別にその子だけが友達じゃないし。
わたしには本があるし。
その頃のわたしは人生で一番本を読んだと思う時期でした。図書館の本を読みあさり、頭の中は本のことでいっぱいでした。図書館司書のお姉さんも大好きでした。
そのお姉さんにだけはこっそり話しました。
「○○さん、職業に貴賎はないのよ」
そう言われたときに、あっと思いました。よく父が話す言葉でした。そうか、そういう言葉だったのか。
父とそのお姉さんの顔がだぶって見えました。父も母も子供のために、生活のために働いている。わたしは何も落ち込むこともないし、胸を張って生きて行けばいいんだ、と。
その後、もう何十年も時が流れました。
小学校の時に通っていた大きな通りは、無数の車が行きかう通りに変身し、あの頃わいわいと子供が通りに出て遊んでいた記憶はどこにもこぼれていません。
そして、昔一度だけ遊びに行った家は、通りの中でひっそりと誰が暮らしているのかくたびれた様子で立っています。
あの子もそこには住んでいないのでしょう。
今どうしているのかわかりませんが、人の行く末というのは誰も想像できないもの。昔一緒に遊んじゃだめと言ったお母さんも生きているのかどうか。
今も母の暮らしは裕福ではありませんが、それでもなぜか心の豊かな生活をしている、そう思えて仕方がないのです。貧しいということがイコール心の豊かさの欠如ではないとわたしは今も思っています。
今日はお雛様。ちらしずしでも作ってあげようかな……
うさぎの長い耳が印象的なお雛様。
結婚してから桃の節句も端午の節句も祝ったことがありません。だからこういう伝統行事ではどんなことをするのか、何を用意するのか、どんな食事にしたらよいのかといった基本的なことはちっともわからないできました。
結婚前の子どもの頃は、端午の節句といえばどういうわけか近所の子どもたちが集まって「こどもの日」を楽しむために誰かの家に集まって学芸会よろしくあれこれと練習した成果を見せたりしていたのが記憶に残っています。
大きなこいのぼりを飾ることもせず、狭い我が家ではお雛様を飾るスペースもありませんでしたから。ただ小さな折り紙で作ったお雛様とか、何かの付録についていたお雛様を飾ってみたりすることはあったように思います。母がちらしずしを作ってくれたのをかすかに思いだします。
自分の家が裕福ではないということを幼い頃から感じていました。
でもあの頃の学校は、自分と同じような暮らしぶりの子どもたちが大半で、裕福な生活をしている子供というのはクラスの中で少なかったのです。
だから、肩身の狭い思いを味わうということはありませんでしたし、裕福でないということで引け目を感じることもなかったような……
いや、ありました。
クラスの子の家に遊びに行ったとき、その子のお母さんがわたしの家のことについて聞きました。
わたしは正直に母は親戚の家の手伝いをしていると答えました。その子の家では専業主婦のお母さんでした。
次の日、その子がやってきて
「母さんが、○○さんはもう家に連れてくるなって」と言いました。
わたしはなぜそんなことを言われるのだろうと不思議で、悲しくなりました。
母親が働いている、しかもバリバリのキャリアウーマンではなくて(もっとも昔はそんな言葉もありませんでしたけどね)家政婦まがいのことをしている、そんな家は我が家とは不釣り合いだということなのでしょう。
母には言いませんでした。自分たちのために一生懸命働いて夜遅くまで働いて、家の中のこともして、そんな母にどうして友達のお母さんが言ったことを伝えることができるでしょうか。
別にその子だけが友達じゃないし。
わたしには本があるし。
その頃のわたしは人生で一番本を読んだと思う時期でした。図書館の本を読みあさり、頭の中は本のことでいっぱいでした。図書館司書のお姉さんも大好きでした。
そのお姉さんにだけはこっそり話しました。
「○○さん、職業に貴賎はないのよ」
そう言われたときに、あっと思いました。よく父が話す言葉でした。そうか、そういう言葉だったのか。
父とそのお姉さんの顔がだぶって見えました。父も母も子供のために、生活のために働いている。わたしは何も落ち込むこともないし、胸を張って生きて行けばいいんだ、と。
その後、もう何十年も時が流れました。
小学校の時に通っていた大きな通りは、無数の車が行きかう通りに変身し、あの頃わいわいと子供が通りに出て遊んでいた記憶はどこにもこぼれていません。
そして、昔一度だけ遊びに行った家は、通りの中でひっそりと誰が暮らしているのかくたびれた様子で立っています。
あの子もそこには住んでいないのでしょう。
今どうしているのかわかりませんが、人の行く末というのは誰も想像できないもの。昔一緒に遊んじゃだめと言ったお母さんも生きているのかどうか。
今も母の暮らしは裕福ではありませんが、それでもなぜか心の豊かな生活をしている、そう思えて仕方がないのです。貧しいということがイコール心の豊かさの欠如ではないとわたしは今も思っています。
今日はお雛様。ちらしずしでも作ってあげようかな……