心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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見たい!

2016年03月24日 | ほんのすこし
ゴッホの映画、しかも全コマ油絵だけで作られているアニメーションだという。

その予告がこちら。
「Loving Vincent(原題)」

予告編を見るだけでもこれが油絵で全部描かれているということの凄さがある。
ぜひぜひ見たいものだ。

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ゴッホといえば学生時代にリンクするわたしである。
大学の夏休み、すでに卒論のテーマは決まっていたが、わたしの中にはまだ悶々としたものがあった。何か漠然とした苛立ち、何かが足りない。
どうテーマに取り掛かるか、悩みは増幅していき、頭の中はパンパンになっていった。そんな夏、帰省した先での図書館通い。図書館で見つけたゴッホの本数冊。
通りがかりのお気に入りの店、窓際を陣取って珈琲片手にむさぼるようにページをめくった。BGMはコルトレーンだったりした。

テーマとは全然関連性のないゴッホ、だがそこに少しの光が見えたような気がした。
わたしだけの、わたしだけが書ける卒論、そんな気がした。
今思えば、それはわたしの傲慢な思い違いであったとわかるのだが、もうそこに突っ走る以外なかった。
結果は、他のゼミ生の卒論とはかけ離れた内容になっていたが、どういうわけか担当教授の講評は良かった。枚数の多い少ないは関係ないんだなと思った。提出したものは最低枚数ぎりぎりだったからだ。しかも卒論提出期限ぎりぎりに出した。出しに行く列車で偶然同じゼミ生に遭遇した。彼女が自分は200枚だったか300枚書いたとちょっと自慢げに話したのを不安な気持ちで聞いた自分がいた。
そのときのことを教授の講評を聞きながら思いだしていた。

あの卒論、今読み返せばきっと恥ずかしくて穴があったら入りたいぐらいの内容だったのではないかと思う。もっともっと研究して深く掘り下げることが必要だったと、今は思える。
もったいない時間を過ごした、そんな大学時代だ。
研究するということの意味を少しも理解していなかった。
こんなこと両親には言えないね。あなたたちの娘はせっかくの好意を無駄に過ごしてしまったんだよ、なんて。だからもう一度戻れるならあの頃に戻って、もっと研究してみたい。

人生に無駄なことなどない、と思うけど、それでも時間を大切に思えなかった自分がたくさん存在してきたということをわたしは知っている。
今日という日が、明日でもなく昨日でもなく、人生のたった一つの大事な日であると思いながら過ごすのと、昨日と同じ一日の繰り返しだと思うのとでは全く違う道が自分の前に広がっているのだ。
先が短い今になって思うというのもまた人間の未完成さゆえなのだろう。

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