心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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昨日は……

2016年03月12日 | ほんのすこし
昨日は母の付き添いでした。
天気も良かったのですが、整形外科はとてもとても混雑していました。普段よりもっと多かったように思います。冬って整形外科にかかる人が多いのかなぁっていつも思います。
滑って転んだだけで骨折になりやすいのかもしれません。松葉づえをついている方が何人かいました。

この頃、母は前よりも耳が遠くなってきているみたいで、病院内だから声を押さえて話そうと思い、耳元で話しても返事がかえってこないことがたびたび。答えるときは声が少し大きいので、いつもは沢山おしゃべり楽しみながら待っているのですが、整形の沢山患者さんがいるところでは遠慮しました。

でも長い待ち時間。なんだか眠くなります。うとうとしていたら母が窓の外の大きな樹を指差して
「あれ、なんの樹だ。実がぶらさがっているみたいだけど」というので、振り向きました。
そこには本当に大きな樹があって、葉の落ちた枝枝にたくさんの茶色い実がついているのです。同じようなものを病院の敷地に入ってすぐの舗道脇で見かけた気がして、たしかその木には何か説明が書かれていた気がしました。
「たしかねぇ、プラタナスの木だと思うよ。しかも何か別の名前がついていたような……、ヒポクラテスの木! そうだ、そういう説明があったなあ」
「ふ~ん、なんだかいいよなあ。実がたくさんついて、見ているだけで気分がよくなる」
植物の好きな母らしいなと思って見ていました。

大昔にプラタナスの大きな樹の下で医術とかを学んだのでしょうね、ヒポクラテスさんたちが。

そんなこともあったり。はたまた向いに見える部屋、リハビリなんですが、その部屋のスモークガラス部分にいつも季節のものが貼られているので、それを見たり。
離れたところから見るので、母には黒猫さんはわかるけど、下のものが何かわからない。
わたしがそっと確かめに行くと、折り紙で作った風船のようでした。
しばらくすると母が
「あの黒猫、口先がさっきから動くように見えるんだよ。動いてないか?」と聞きます。
わたしが見てもそれは貼りつけた黒猫なので(よくゼリー状のもので作った貼りつけるもの)動くはずはありません。
「目がおかしくなったのかねぇ」
「そんなことないと思うよ。目の錯覚だよ。心配しなくていいって」
「そうだといいねぇ」
そんなことを言いつつ、待っているとようやく名前が呼ばれました。

先生に「どうですか」と聞かれ
「12月頃からだんだん痛みがひどくなってきて」と答えると、先生はちょっと心配な顔をしました。
体のどこが痛いか訊ね、一番痛いという膝を見ることに。
結果、膝の水を抜き薬を注射するという。
「注射、痛いけど我慢してくださいね」と先生が言うと、母は何度か経験があるのでじっと我慢。
後で母が、以前よりは色も薄かったなあと話していました。
患者さんが沢山いて、看護士さんも次々に呼ばなくてはならず、もたもたしていられないなと思いました。でも整形にかかる方は皆さん動くのは大変なので、看護士さんも内心くたくたなのでしょうねぇ。
先生も看護士さんもなんだか疲れた顔をしていたのが印象的でした。

戻ってきてふたりでゆっくりお昼を食べると、なんだかホッとした気分になりましたよ。

テレビを見ながら「東日本大震災」の報道がどこでも入っていて、ふたりであの時のことをしばらく話していました。弟がまだ健在だったときでした。弟のことにも話が及びました。
震災の日、我が町は電気がストップしましたが、復旧は一日半ぐらいでした。それでも大変だ! という気持ちになったのです。被災地の方々は一体どんな思いで過ごされたのかと思うと、想像もつきません。
母とこうして生きていることがどれだけありがたいことかと何度も言いました。

夜に金スマを見ました。
書道家の翔子さんが台湾からきた高校生と交流する内容でした。台湾の高校生が南三陸の被災地でそれぞれの家庭に宿泊。そこで震災のことを聞きます。その顔は真剣そのものでした。とつとつと語る被災者の言葉に耳を傾ける真剣さが画面の向こうからひしひしと伝わってきます。
台湾と日本の交流がこれから先ずっと続きますようにと翔子さんは『久遠』という文字を大きな紙に書きます。その無欲の姿に筆の勢いに、最後の筆の先が作りだした道に、見ていて涙が溢れてしまいました。
「ハマミズキ」の歌がずっとバックに流れていて、その旋律がまた胸に響きました。
台湾の方々が被災地に送ったすごい額の募金はそのほとんどが民間人からのものだったと言います。ひとりひとりの気持ちが込められた募金なのだと改めてわかりました。

翔子さんの『久遠』が台湾の学校に届いた1週間後に台湾で大規模な地震がありました。
幸い高校生や学校には被害はなかったようですが、南三陸に行ってきた高校生は翔子さんの額を見て、励まされたと言っていました。宿泊先の被災地の方たちからもすぐに連絡が入ったとのこと、心配してくれる人たちがいる、繋がっている人たちがいるということがどんなに安心で嬉しいことかということを感じさせてくれる瞬間でした。
中居さんが「おれは何も行動してこなかったということが本当によくわかった」というようなことを繰り返して話しているのが、とても印象的でした。中居さんはこれまでも被災地にお忍びでいって援助していたと前にネットの記事を読んだことがあったのですが、その中居さんが「何もしてこなかった」という…… それならわたしはどうなんだ? と胸がきしきししました。

母と語った震災の頃の話。
夜はテレビで知った震災の話。

今年の3月11日はこうして過ぎていきました。
今日はまだ終わらない問題でもある福島の飯館村の方のお話を聞きに行く予定です。