我が町。
早朝歩くと人っ子一人いない時間もあり。でも最近はどうやら歩く人もちらほら見えて、通りすがりの挨拶を交わす人も出てきた。今日はさぼったが、あの雨の中でも歩いている人はいたのだろうか。
以前、何かの漫画にこの通りが描かれていると噂があった。北の方から街を破壊していく生物? がいて、その破壊される通りがこの寂れた様子に似ていると噂されていた。なんという漫画だったのか失念したが。
その漫画家は東北出身だったのか・・・
今はこんな裏寂れたような街で通りを歩く人は日中でも少ない。みんな郊外や大きなショッピングセンターでしか見かけなくなった。人々は一体どこにいるのだろうと思えるほどだ。
しかも歩いているのは年をとった方が多い。まあ、日中若い人が外にいるというのも考えてみれば変かもしれない。働いているのだから。
それでも年々人口が減っていくのは否めない。
特に運転するよりこうして歩いてみると、その寂しさは大きく感じる。
この街が活気を帯びるのは一年で数少ない。
お盆や年末年始、あるいは地域の行事、きりたんぽ祭りやアメッコ市など。どこからともなく人で溢れ、活気がみなぎる。
行事にしか頼ることができない地方のジレンマ。日常的に集客できないということが都会に出るとしみじみ感じる。あの、人で溢れた電車や駅の構内。人の波に酔ってしまうほどの熱気。それらが日常の自分との隔たりを確実に感じさせてくれる。
またそれが戻ったときのある種の安心感にも繋がるのだが。
地方と都会との格差。
だが、寂れているようでもそこにいる一人一人の思いは寂れていない。
ここで生きている、その生活の中に喜びもあり、楽しみもあり。何に喜びを感じるか、何を友として生きるか、それは人によって様々だ。便利さを求めるなら都会だろう。でも田舎に住むのもまた良しとする何かがここにはあるのだと思う。
目の前の裏寂れたように見える町並みでも、そこに住む人にはそこで生きる喜びもまたあるのだと、思えるのだ。
早朝歩くと人っ子一人いない時間もあり。でも最近はどうやら歩く人もちらほら見えて、通りすがりの挨拶を交わす人も出てきた。今日はさぼったが、あの雨の中でも歩いている人はいたのだろうか。
以前、何かの漫画にこの通りが描かれていると噂があった。北の方から街を破壊していく生物? がいて、その破壊される通りがこの寂れた様子に似ていると噂されていた。なんという漫画だったのか失念したが。
その漫画家は東北出身だったのか・・・
今はこんな裏寂れたような街で通りを歩く人は日中でも少ない。みんな郊外や大きなショッピングセンターでしか見かけなくなった。人々は一体どこにいるのだろうと思えるほどだ。
しかも歩いているのは年をとった方が多い。まあ、日中若い人が外にいるというのも考えてみれば変かもしれない。働いているのだから。
それでも年々人口が減っていくのは否めない。
特に運転するよりこうして歩いてみると、その寂しさは大きく感じる。
この街が活気を帯びるのは一年で数少ない。
お盆や年末年始、あるいは地域の行事、きりたんぽ祭りやアメッコ市など。どこからともなく人で溢れ、活気がみなぎる。
行事にしか頼ることができない地方のジレンマ。日常的に集客できないということが都会に出るとしみじみ感じる。あの、人で溢れた電車や駅の構内。人の波に酔ってしまうほどの熱気。それらが日常の自分との隔たりを確実に感じさせてくれる。
またそれが戻ったときのある種の安心感にも繋がるのだが。
地方と都会との格差。
だが、寂れているようでもそこにいる一人一人の思いは寂れていない。
ここで生きている、その生活の中に喜びもあり、楽しみもあり。何に喜びを感じるか、何を友として生きるか、それは人によって様々だ。便利さを求めるなら都会だろう。でも田舎に住むのもまた良しとする何かがここにはあるのだと思う。
目の前の裏寂れたように見える町並みでも、そこに住む人にはそこで生きる喜びもまたあるのだと、思えるのだ。