心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ここまで来たか、5,000日!

2018年08月02日 | ほんのすこし
連日の暑さに参っていまする。
年々暑さ寒さが堪える体になっているなあと変にしみじみとしたものを感じているこの頃。ここを訪問してくださった方々に感謝の思いでいっぱいです。というのも、gooブログ開設から今日で5,000日になったからです。
ここまで継続できたのは、誰かが訪問してくれていた、というそのことに励まされてきたから。
いつも前向きに進んでこれたわけでもなく、逆に落ち込んだりすることが多かったりも。日々単調な暮らしの中で、小さなしあわせを見つけてきたことも、コメントをくださった方々の温かい気持ちを感じることが出来たからです。

開設した当初は広いネット世界でたぶん誰も知らないここ(「心の色を探して」)なんてどうなるのかな・・・とか、ひとり生活を継続していくことへの不安もあったり。自分が何をしていったらいいのかが見えなくてもがいていたり。やりたいこと探しをしていたり。
ここまでにやってきたことを数えるとほんとに色々。ずっと継続できたことといえば、goo継続だけだという。どれも途中で挫折。
今、振り返るとどうして止めてしまったのだろうと思えることもあります。
手作りも一時期夢中になってのめり込んだりしましたが、今まで続けることは出来ていません。どれもこれも途中で止めてしまいました。
ただ、その時期それに夢中になることで不安な自分の環境から目を背けることが出来たのだと思っています。だから、止めたということは自分の中の何かが変化していったのかなとも思えます。新しいことへ気持ちが向いていった、あるいは新しい問題が起きていた、とか。

ただ、これだけは言えます。
ここを開設した年は、わたしにとって忘れられない年であったのだということ。
人生の一番の岐路があった年だったということ。記憶は薄れがちですが、ここがあることでその年の自分がいかに大きな試練を受けていたのかを思い出します。開設前の数ヶ月は思い出したくない日々でもありました。
この時間がなくなってしまえばいいとさえ思っていました。でも案外人間って持ちこたえるものですね。
わたしが前を向く気持ちになれたのは、その年まで疎遠にならざるを得なかった両親とまた近づけたことも大きな力になっていました。両親がわたしのことを気遣ってくれている、心配してくれている、そのことに毎日気づかされ、親のありがたみを感じた年でした。
そして、親が老いていることに気づかされた年でもありました。

わたしはこれからこの両親のためにも生きなくては・・・そのことが一日を生き伸びる力になっていきました。
5,000日の間に父が、亡くなり弟も亡くなり、母だけになりました。でも最愛の父と弟の近くにいて看取ることが出来たのは、ここを開設した年にわたしに降りかかった思いがけない大きな病気のおかげです。
あの年の三月、後数日で息子が大学入学という頃。一人暮らしをする息子の生活用品を準備している頃でした。
突然、頭にハンマーで殴られたような激痛が走り、立っていられなくなりベッドまで這っていきました。ちょうど日曜日で家にいた息子が気づいて救急車を呼んでくれました。あのとき息子がいなかったら今のわたしはいなかったかもしれません。その後6時間以上のくも膜下出血手術をし、奇跡的に術後の後遺症がなかったという。
退院後のめまぐるしい時間は一生のうちでこれ以上ないだろうという精神的な苦痛を与えてくれました。

あんなときがあったんだなあ・・・死ななくて良かった。そう思っています。生きていたからこそ、子供達の結婚にも立ち会えたし、可愛い孫たちにも会えました。病気で体が不自由ながらも母はここまで生きています。わたしが生きてきたことで母の世話が出来る、それも病気がなかったら叶わなかったことです。病気をし、その後アパート生活になったことで実家にも自由に行くことが出来ました。そう出来る環境にしてくれた方にずっと感謝です。感謝以外の何も無いと思えます。

物事は悪いように捉えれば悪くなる。良いように考えれば良くなっていく。
そう思えるようなことが沢山出てきました。難題もありましたが、その都度前に進むためにどうしたらよいのかを考えてきました。そのそばにはいつも母の姿がありました。
この母で良かった、そう思うことだらけの5,000日でした。
これから母のそばにまだまだいることが出来たら、ここも続けていけそうです。

今日は明日に続く一歩です。