心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

悩む

2018年08月09日 | ほんのすこし
ブログ開設し、最初の頃から仲良くさせていただいてきたブログ仲間が何人かいます。
その中のひとりの方が今年、ずっと更新しないままです。すごく気になって、連絡しようかとメールアドレスとか探してみたのですが、わかりませんでした。
最初の頃、わたしが描いたイラストをポストカードとか便せんとかに印刷し、希望された方に送ったことがありました。その方も希望されていたので送ったことがありました。それを思い出してそのときの住所がどこかになかったかと探してもみました。でもどこにも無くて・・・

昨日、なんということなくベッド近くの文具の収納ケースを整理しようと思い立ち、一段一段引き出して不必要な物を出しました。
すると三段目の奥、古いポストカードや手紙の下に懐かしい住所を控えた便せんが出てきました。あのとき送った人たちの名前と住所です。ハンドルネームと共に。
皆さん、ずいぶんご無沙汰してしまいました。ブログを閉じられた方も多い中、その方はずっとおつきあいくださいました。
ずっと更新がないと何か体を壊しているのではないかと心配になります。
でも手紙を出すとご家族の方が不審に思われないかと・・・変な意味はないのですが、見知らぬ人からの葉書だとなあ、とか考えてしまい、連絡を取ってみようかどうしようかと悩んでいるところです。

お元気だといいのですが。

葉書にブログのことを書いて、ご家族に内緒だったりしたら、それも困るだろうしなあ。
住所がわからないうちは諦めていたのですが、わかったらわかったでなんか悩んでいるわたしがいます。


やっぱりそっとしておいたほうがいいのかなあ・・・
だろうなあ・・・




処分するのは

2018年08月09日 | 母のこと
ブログで2017年頃に紹介した、母が昔作ったバッグ。
押し入れを整理したときに出てきた沢山の手作りバッグは、まだ母の手が不自由ではなかった頃に夢中になって作ったものだという。押し入れの引き出しいっぱいに入っていた。
わたしがそれを一つ一つ出して見ていると、これはお前のスカート、これは自分のコートとそれぞれどれを再生したのかを説明した。その中のいくつかは病院に行くときに見たことがあったりしたが、初めて見るものもあった。デザインも様々でどれにも母らしい工夫があった。一手間かけるところが母らしいと思った。見覚えのある生地、若い頃の自分が重なった。
娘が着ていた物をバッグにしていたなんて、ちっとも知らなかったよ。

でも今はほとんど使用していない。最近のお気に入りはわたしからのお下がり。小粒だけどマチがたっぷりなので結構入るし柔らかい皮が触り心地がいいのだそうだ。軽いというのも母にはとても助かるらしい。軽いという面では手作りのバッグも劣らない。
手作りバッグ、全部出して見たけど処分するにはしのびない。母にフリマで売ったら? と提案してみたけど、人に売るような代物じゃないと即座に取り下げられた。

「死んだらお前の好きなように処分してくれ」

そう言われてもね~。
そう言われたものが沢山ありすぎるんだよね~。

自分が死んだら処分してくれって・・・困るなあ。

でも毎年少しずつ処分している気がするんだけど、なかなか少なくなっていかない。母が若い頃に買って手を通していなかった服はまさしくタンスのこやしになっている。一度も着ていないから処分できないのだそうだ。それでも太い針が通るセーターとかは今の自分にカスタマイズ? したいようで、冬にはコタツに入りながら不自由な手で一針一針リメイクしていた。毛で出来ている物は針が使えるからねと嬉しそうに言う。残念ながら普通の布はもう針を通す力が無いようだ。古いが着ていない服を見て、またしまい直す。
「思い切って処分したら?」と勧めると
渋い顔をして
「やっぱりこれはしまっておく」と答える。

こんな繰り返しが毎年続いている。
でも、この繰り返しが続いていて、わたしが処分しなくてもいいということは、まだ母が健在だという証拠なのかもしれないね。

そういえば、この間の車庫の片付けで、今まで描いたわたしの絵の中からいくつか処分した。あれもいつかは捨てようと思っていたもの。こうして思い切ることがこれからは必要になってくるのだろうなあ。