心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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さくらももこさんが

2018年08月27日 | ほんのすこし
びっくりしました。
『ちびまる子ちゃん』の作者、さくらももこさんがご逝去されていたとは・・・

まだ若かったのに。
ご病気だったのですね。

子供たちと一緒に過ごしていた時期、『ちびまる子ちゃん』を見るのが楽しみでした。そしてその時代背景が自分と合致していたことにもまた嬉しさがありました。子供達の認識とはずれがあったとは思います。でもあの時代のことを少しでも感じ取ってくれたのかなと思えた時間でした。
昔のことだよね? って言い切ってしまえばそれでお仕舞いですけど。でもそこにいた自分が子供達にも何か分け与えたものがあると思えたのが同じ番組を見ている時間でした。
『ちびまる子ちゃん』、最近は子供達もいないので見る事がなくなっていました。

でも、あの頃夢中で見た時間を愛おしく思っています。ももこさんの本も読みました。
どこかに似通った部分がないかと探した覚えがあります(笑)
それにしても・・・若かったのですね。

ご逝去を悼みます。


文箱

2018年08月27日 | 母のこと
先日、物置を整理していたら、自分のところから運んだ段ボール箱が出て来ました。何を入れて持ってきたんだっけ? と運んだ本人もさっぱりわからなかった箱でした。
あれこれと入っていました。たぶん孫たちが来るというので、目に付いたものを段ボールに入れて母のところに持ってきてそのままだったのだと思います。ということはわたしにとってはそんなに必要のない物、ということになります。
使わないコーヒーカップやら、中国茶器、茶托、あらら。
中国茶なんて飲まないのにね。これは母にも必要ないだろうなあ。緑茶専門ですから。最近は特に濃いお茶を好むようになっているようです。一日に二回、朝と昼に濃いお茶を飲んでいる母です。わたしが淹れようか? と聞くと自分でやると言います。
どうもわたしが淹れると美味しくないらしいです(笑)。
長年、淹れ慣れたお茶、銘柄もずっと同じです。ときどき思い出したようにスーパーでそのお茶を思い出し、購入しては母のお茶置き引き出しに補充しておくのがわたしの役目です。

話が逸れましたが、その段ボール箱の中にこんな文箱が入っていました。わたしも使ったことのないもので、ネットオークションで手に入れた物の一つでしょう。キレイだったので取って置いたと思います。
今、母はコタツの上や周辺に自分の手が届くようにと小さな収納箱や整理できるものを置いています。ボールペンや小さなハサミは必需品です。それを思い出し、綺麗なものや可愛いものが好きな母に何かに使うことができないかと物置から出してきました。

どう? 見せると「あれぇ、キレイだこと。どうしたんだい」というので
「使わないから、母さん使ってくれない?」と答えました。
ちょっと躊躇する顔をしましたが、「いいの?」と再び聞くので、わたしが頷くと嬉しそうな顔をしました。
何かが入っていた小さな箱に入れているハサミやボールペンたち、それを入れることにしました。

「でも、尖っているから傷つけてしまうね~」

それから少し台所に立っていたわたしが、再び母の所に行くとコタツの上になにやら布をいくつか広げていました。
そのうちの茶色のフェルトを箱に入れてみるところでした。
「この生地だったら大丈夫だと思うけど・・・」でも母の美意識ではもう一枚の柄もののほうがいいみたい。わたしもそっちの方がこれには似合うと思ってみていました。
最終的に柄物を中に敷くことに決定。母的にはきっぱりと寸法が合っている状態、見栄えのいい状態にしたいようで、布を裁つのに細心の注意を払っていました。でも手が不自由なので、うまく出来ません。わたしが手助けしようかと思っていましたが、まだ応援してと言われず。

母がさじを投げ出すまで待っていました。結局最終的にわたしが手伝いました。そのときの母のがっかりした顔
「こんなこともひとりで出来なくなったのかあ」
「大丈夫、大丈夫。ここまで出来たからね。それだけでもたいしたものだよ」いつだって母のアイデアには驚かされます。わたしはそのアイデアがうまく形になるように手助けできたらなと思うのです。
出来ないことが多くなりすぎて、がっかりする、それでもそれを受け止めてまたアイデアを考える。そんな母の様子を見ながら、いつまでも手助け出来たらなあと思ったのでした。

この文箱、コタツの近くに置いて重宝しているようですよ♪

※※※ 写真が変です。表面はもっときれいな状態で、つやつやです。ゴミがついているわけではないのですが・・・※