心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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好きなものを置く

2021年02月13日 | ほんのすこし
居間の隅にはそれぞれが好きなものを置いている。
亡くなった弟が愛用していたカメラ。3脚を組み立てて乗せてみた。彼が高校のときから使っていたものだろう。古い大きな箱を開けたら、ところどころ白いカビがあって、綺麗に磨いた。父が愛用していた碁盤をそこに置いていたのだけど、今は母のベッド脇の棚の上に鎮座している。
その父の碁盤の後に収まったのが、弟愛用のカメラというわけだ。

カメラがそこにあるだけで、弟という存在の証があるようで、チラチラと目に入ると思い出がフラッシュバックする。彼が写した風景写真や植物、生き物、どれも優しさがあった。彼の性格そのものを写し取ったようなそんな感じの写真だったと思っている。

そして、そのカメラの隣には母の好きなぬいぐるみが鎮座している。といっても大きなテディベアはわたしのものなのだけど。これを見た母はたいそう気に入って、これまたわたしが持ってきた小さな椅子の上に置いている。最初は一体だけだったのが、もうふたつ増えた。これもわたしのところから持ってきたもの。孫が来たときにでも活躍するかなと残しておいたものだ。母はこのふたつも出してきて、三体が一緒に狭い椅子の上に収まるようにしている。

大きなテディベアの顔はソファの方を向いている。
「こうして置くと、この子がいつでも自分の方が見てくれている気がするからね」と目を細めて言った母。
そうなんだ・・・ちっとも知らなかったよ。

ただ、そこに置くだけじゃなかったんだね。
好きなものを置くってこんなに心地よいのかと居間を見ているとつくづく思うわたしだった。
あ、わたしの好きなものは後ろにある青い時計ね♪


インスタントじゃないのよ♪

2021年02月13日 | ほんのすこし
毎朝、食事の支度をする前に、母用のポットに入れるお湯を沸かす。
湧かしながら、自分用にマグカップにインスタント珈琲をこれまた電気ポット(母用ではない)からお湯を出して淹れる。
これが日課。

母は自分で好きなときに好きなようにお湯を使いたいと言って、卓上のポットを買ってきてほしいと頼んだ。わたしは電気ポットのことかと思って、以前、息子の家を訊ねたときにあったティファールの可愛いポットがいいんじゃないかと電気屋さんに行き、カタログをもらってきた。一応、母に見てもらわないとね。
で、カタログを見た母が
「これだとポットを持たなくちゃだめだろ。そうじゃなくて持たないでカップにお湯を出すやつがほしいんだ」と。
そこで再度出かけて、手で押すポット(電気ではなく)を探した。色々あったが、手の不自由な母でも押しやすく、棚にも置けるサイズということで選んできた。

そのポット、毎日活用している。ほぼ母が使っていて、わたしはパントリーに置いている電気ポット。母はパントリーまで歩いていく(ほんの数歩)のも辛かったようで今は楽にお茶を楽しんでいる。夜中でも喉が渇くので、カップに湯冷ましを入れておく。

なんだか前置きが長くなってしまったが、そんなお茶タイムは母とわたしで違うポットを使用。インスタントを毎日何度か飲むわたしにとって、珈琲は不可欠だ。ずっとインスタントを使ってきたが、ここに来て、なんだかドリップタイプの珈琲を飲みたくなってきた。先日、どうせ飲むなら美味しそうなものを、と思い、ネットで注文した。
ネーミングが「ゲイシャブレンド」



聞いたことがなかったので、飲んでみたくなったのだ。
高い珈琲だからと、普段はマグカップなのに、カップ&ソーサーなんぞを出してきた。

ふ~ん。
珈琲を淹れてから数分、パチパチと写していたら、なんだか生ぬるくなってしまって・・・味はこれでいいのか?
ちょっと期待しすぎだ。というか、写す前に飲む楽しさを味わったほうが良かった。これはもう一度淹れて美味しいときを逃さないほうがいいかも(笑)

久しぶりにカップを使って飲む。こんな贅沢なのんびり気分だった。ちょっとした変化でその日の気分も上昇するものだね♪