心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

今月三度目の病院でした

2016年06月24日 | 母のこと
今日は朝から調子が悪かったのでした。
母の診察付き添いがありましたが、予約時間が遅かったのでいつもよりゆっくりと朝の時間を過ごせる予定でした。だからウォーキングをしようと思えばできたはずですが、目が覚めたのがいつもより1時間オーバー。それでもまだどんよりした空でしたので歩ける時間でした。
なのに、なんだか体がだるくて。結局歩くのは止めました。
朝ご飯の準備もノロノロ。食べても美味しく感じず珍しく残してしまいました。

そんな状態で母と病院に行ったのですが。
母は母で朝からこたつの上にお茶を一口飲んだら全部こぼしてしまい、命より大事な(笑)テレビのリモコンにかかったお茶を拭き取るのに一生懸命だったらしく、そのときの慌てた後遺症が右手と足にきて、歩くのがとても困難な状態になっていました。痛みが通常より半端じゃなくて歩くのもそっとそっと。
車の乗り降りも大変でした。

右手の肘を中心に湿布薬をたくさん貼っていたのですが、それでも全然効かないとこぼしている母。
わたしが隣で手を当ててやると驚いた声で
「お前の手、熱い!どうした?」と聞いてきました。わたしは病院に入った時から、なんだかだるいし、朝から何度かトイレに行っていたことを話すと風邪かもしれないねぇと言われました。それまでは全然風邪を引いたという気持ちはなかったので、言われるまでなんで今日はこうなんだろ? ぐらいにしか思っていませんでした。そういえばいつもと全然違います。
こういうときは早く診察が終わってほしいのですが、逆にいつもより遅くなってしまいました。
今診て頂いていた先生がお休みに入るため、呼吸器外来は休診になるそうで、今日は代わりに行く病院を決める日でした。これまで母とあれこれ相談してきましたし、友人とかにも相談してきましたが、ぎりぎりまで決めることができないでいました。近くの病院がいいのですが、車の乗り入れや駐車場、車いすなどを考えると大きな病院の方が母にはいいように思います。特に今日のような状態の母であれば、大きな病院がいいかなぁと。
先生にもそのことを相談してみました。先生が言うにはその病院には内科の先生も沢山いるようだし、入院設備もあるのでそれがいいかもしれませんねとのこと。ちょっとホッとしています。

それにしても先生の顔がやせこけていてこっちの方が心配になりました。きっと激務だったのだろうなと思います。優しい女医さん、母も慣れてきてなんでも話せる雰囲気でしたから、とっても残念でたまりません。
出産後は再開されるのか、新しい先生が来るのか、まだ未定のようでした。母としては整形外科や消化器・血液外来にもかかっているので、呼吸器も同じ病院で診てもらうほうが安心なのです。また戻りたいと先生に伝えていました。ちょっと困ったような顔をした先生、それでも「そこの病院なら(再開したという)情報が伝わりやすいかもしれませんね」とやんわり言ってくれました。

お医者さんだって出産するし、育児もする。無事に元気な赤ちゃんを産んでまた戻ってきてほしいなと母と願いつつ、帰ってきました。
新しい病院でも良い先生との出会いがあればなあと思っているところです。

明日は母の足、少しは良くなっているかなぁ。今日の帰りは車に乗るのも降りてから玄関に来るのも、考えられないほど時間がかかりました。少しの段差は腰を持ってあげないと無理でした。
わたしも体のだるさが抜けずにいたので、早めに帰ることしました。
なんだか今日はふたりとも体調悪し、といった一日でした。



ちょっと悲しかったり楽しかったりとか

2016年06月23日 | ほんのすこし
毎日、あっという間にすぎていって、なんとなく自分がどこにいるのかわからなくなっていったりします。
でも、わかるのはわたしがするべきことはこれなんだってこと。
今は母を生かすために出来る事はなにかって。

でもね。わたしってだめちゃんりん。そこまで出来ない。適当にやり過ごしている。今日だって母の話を適当にながしていた自分がいる。もしかしたらもっと話を聞いてほしかったかもしれないのに。
帰ってきてから後悔だらだら。
哀しいこととか楽しいこととか、自分ひとりだとそのままやり過ごせばいいのだけど、相手がいるとなると全然違うなあ。今はほとんど母との生活なのだけど、他にも子供たちとかあれこれ出てくるけどね。
悲しいこととか楽しいことって、自分が思っている以上や以下のことがあって、そのたびに驚きがある。
相手のリアクション次第でなんだかなあって思ったり。えっこんなことで? といった感じで感激されたりすることにびっくり感があったり。

自分の尺度で世の中を見てはいけないってことなんだなって、反省しきり。


ちょっと悲しいことに当てはまるかどうかわからないけど、わたしはのけ者にされている感が半端ない(笑)。
会社でだけどね。
でもそれがまたいいのよね。ありがたいことだなって思ってるわけ。だって母の世話を一番に出来るのだもの。それが出来てなんぼのものよ。
母とふたり、良かったねと感謝してもしきれないねと話しているのだけど。
それでも、わたしが必要とされていない事への悲しさは残るわけで・・・
まあ、それとこれがうまくかみ合って、今が有るのかなと思っているわけで(笑)。

いつか施しを受けなくても自力で生活をしていけるぐらいになりたいなと願っているわたしなのよ。

裏庭から採ってきて挿したのですね

2016年06月23日 | 母のこと
昨日、母のところで見つけた花瓶。
裏庭に咲いている百合とスグリです。先日裏庭を見たときにもう少しで百合も咲くのだろうなあと思って見ていたのですが、とうとう咲いていたのですね。
母は歩くのが大変で、膝ががくがくボキボキと鳴るほどです。ソロソロと歩くので、人の何倍も時間がかかります。それでも一日に一度は外に出て狭い庭を眺めたりするのが大好きなのです。
調子が良ければ草取りも少しやっているようですが、こんな風に咲いている花とかを摘んできて一輪挿しに挿したり、花瓶を出してきたりしています。この花瓶だって母にしてみれば重かったはず。手が痛いので重いものは持てないのです。
きっと、脇に挟みながら物置から出してきたのでしょう。

今回お風呂と台所をリフォームするに当たり、大工さんに追加で物置も綺麗にして頂きました。
わたしも母も今回のリフォームで一番やって良かったのは物置だよね! と言い合うのが口癖になったほどです。段差もなくなり、足の痛い母でも行けるようになりました。床もフローリング仕様になりました。スリッパを履くと逆に転んでしまうので、母にとってはとても助かるのです。
その物置、あれこれとあった物を処分したり、整理したりして棚の一部を空けました。そこに母が持ってこらせたのが、何個かある花瓶。花瓶が多いんです。それも大きな花瓶が。
そのときどきによって好きな花瓶をすぐ出して使えるようになりました。

痛くてもこの百合とスグリを飾りたい、という気持ちが強かったのでしょうね。

わたしは母の美的感覚が好きです。
ゴチャゴチャしたものではなく、シンプルなものや飾るにしても少ないものを、という感じ。挿すなら沢山ではなくて、数本。あるいは一本だったり。
スッキリした感じが好きなのだと思います。だから部屋に物が多くなってきたり、散らかってきたりすると気分が悪くなり、寝ていても起き出して片付け始めたくなるようです。でも最近は思うように体を動かせないので、わたしが行くと途中までやって後はどうしようも出来なくなった布団たちとかが部屋に重なっていたりすることがあります。
「母さん、これどうしたの?」と言うと、すまなそうな顔をして
「いやぁ、ベッドの頭の向きを反対にしようと思ったんだけど、これ以上なんも出来なくなってしまってさ。おまえが来たら頼もうと思ってそのままだよ」
「最初からわたしがやるのに」
「少しでもやっておけばお前も楽かなと思ってさ」
「・・・」

こんなことが何度もあります。

つい数日前には母が楽しみにしている午後三時からの韓国ドラマを珍しくわたしも一緒に見ていました。面白くて引き込まれていたのですが、CMの合間にふと母が
「外にある君子蘭、前庭の土の上に置いてくれないか。モミジが風通し良くなったから、その下に置けばいいと思うんだ。お前が帰るときでいいから」と言いました。
次のCMの時に、すぐ外に出て作業を終えて中に入ると母がわたしを呼ぶ声がします。
「どこへ行っていたんだ? せっかく今いいところだったのに」
ドラマが佳境を迎えていたらしく、わたしがそこにいなかったことが不満だったようです。
「いい所は一緒に見るのがいいんだよ」
「はいはい」
二度返事でごまかして続きを見ました。

次の日、縁側を空け洗濯物を干していると母が下を見ろといいます。
すると下のコンクリートが綺麗になっているではありませんか。
ちょっと自慢げに母が「昨日、お前が行ったあとを見たら鉢がみんな土に寄せてあっただろ。だから鉢がなくなった後を水で綺麗にしたんだよ」と言いました。なるほど、それをしたかったのね。
「後でホースを片付けておいてくれないか。途中までやったけど、疲れてそのままだから」
「はいはい」
とまたまた二度返事。早速ホースを片付けましたよ。

こんな風に最初から最後までわたしにやらせないで、自分が少しでもやりたいみたいです。
年をとっても自分の仕事があるということが、生きる力になるのかもしれないと母を見ていると思えてきます。

笑うということ

2016年06月22日 | ほんのすこし
最近、何人かの方と「笑う」ことについてチラッと話したことがあります。
重なったので、頭に残っていました。今、「徹子の部屋」を見ていたら、女優の古村比呂さんが出ていました。そのお話の中で息子さん三人の子育てをしながら仕事を続けているときの話になり、あるとき彼女が笑ったら息子さんがお母さんが笑った姿を喜んだという出来事があったということでした。そう言われて、自分はこれまで笑うことから遠のいてきたのだと知り、それから笑うようになったという。

笑うってすごいなと思います。笑いは世界を救う! とまで思います。
同じ事を話すにしても笑いながら話すのと、深刻な顔で話すのとでは全然印象が違います。
わたしもよく母とあれこれ話すのですが、内容が重いのに母は笑いを交えて話します。ついつい私も笑いながらそういえばそんなこともあったねぇ、とそれで済ませてしまいます。母はそれでいいんだよ、と言います。
笑ってやりすごす、それが気持ちよく明日を迎えることができるからだと。

つい先日も病院で友人ご夫婦と会いました。いつも明るくて元気な奥様がご主人の付き添いで来ていました。
久しぶりで立ち話を少ししましたが、そのときに感じたのは、重い症状であったり不安であったりする状態でも決して自分から落ち込まないという気持ちが満面に表れているということでした。わたしが想像する以上に辛いものが沢山あると思うのですが、奥様は自分が明るく元気に動き回っていることがご主人に元気を与えると、ふたりで落ち込むよりも笑ってすごすほうがずっといい、そう話していました。
笑うことで辛さを乗り越えようと、頑張っている後ろ姿、寄り添うようにふたりで歩く姿に心の中でエールを送りました。

昨日、いつもの薬局に母の薬を受け取りに行きました。
白髪の女性の薬剤師さんが対応してくれました。長年受け取りに行くので、すっかりわたしの顔も知られているみたいで、その方はいつもわたしが行くと「あぁ、娘さんね」と言います。今回もそう言いながら、お薬手帳を出し、貼り付けて薬の処方の仕方を説明しました。説明が終わって袋を覗いたら、中身がなんにもありません。
その方、眼鏡をあげて
「あらあ、年を取るとこんなこともあるのね!」と言うので、「そんなことありませんよ。わたしだって・・・」と言いながら笑いました。その方も笑って
「笑うしかないわねぇ」とふたりで何も入っていない袋を見て笑いました。すぐに中身を入れてくれましたが、なんとなく笑ったことで空気が柔らかくなった気がしました。そしてその方が続けて
「あなたがいて良かったわね、お母さん。お父さんが亡くなってからずっとお世話してきたでしょ」と言いました。思いがけない言葉にちょっと言葉が詰まってしまいました。
ニコッと笑っておいとましましたが、わたしたちの姿を見ている人がここにもいたんだなとちょっと不思議な気持ちで帰りました。

笑い合うって気持ちが緩んでいいなと思ったひとときでした。

母のところに行くと必ず笑います。テレビを見ていても昔のことを話していても、母が笑っている姿を見るとほっとします。痛みで苦しむ姿を見ると辛くなりますが、わたしにはその痛みをわかってあげることができないのです。ただ痛かったことや出来なかったことを一生懸命話す母の言葉に耳を傾ける、それだけに徹しています。話すだけでちょっと気持ちが楽になってほしいと思っています。

母が笑う姿をずっとこの目で見ることが出来れば・・・ そう思いつつ今日も行ってきます♪

空き地に咲く

2016年06月22日 | 朝のことば&つぶやき
しばらく見ていなかった空き地。
白い小さな花が咲き乱れていた。たくさん咲いていると小さい花も綺麗だ。
だれもかまわなかったのだろう。ずんずんと伸びて周りにも手を伸ばして広がっていったんだね。

土地の脇にロープが張られていた。
L字型に張られているロープは、これからここに立つであろう家の範囲なのだろう。
今にこの花たちも刈られるのだなと思うと、今、思い切り伸びている姿が潔くも思える。

今年の花の命。
根は息づいているが、それも新しい家を建てるとなると根こそぎ刈られてしまうのだろう。

でも、花からこぼれたものがどこかでまた息づく。
名前も知らない生命力に溢れた雑草。いや、専門的には名前がついているのだろうけど。
大事に花壇やプランターで育てられる花とは一線を画して、自分の力で生き延びるその力に驚きを感じる。
誰も水などやらない。自然の雨だけだ。

この世界で一番強いのは、ある意味植物なのではないかとふと思ってしまった。

※※※

そろそろ8月の墓地の掃除のことも考えなくては。毎回行くたびに思う。この精力的な雑草たちを。
そして母を思う。
雑草の一本すら抜く力が出なくなったことに悲しみを覚えているだろうと。
それでも痛みを覚えることを知りながらやらずにいられない母。
最近は、できないことだらけなのでわたしが行くと次々にやってもらうことを言う。それも遠慮がちに。歌の台詞じゃないけど、♪ 誰に遠慮がいるものか~ ♪、子供に甘えてちょうだいな。

※※※

道の反対側では

2016年06月22日 | ほんのすこし
色づかないなと気になっていた紫陽花ですが、道の反対側にある紫陽花はこんなに色づいていました。



地蔵さまがあるこっち側はまだこんなふうです。







確かに赤や青の色が見えてはいますが、反対側の色とはずいぶん違います。反対側はずいぶん小ぶりなのですが、もうすっかり紫陽花色って感じになっています。
年数からいえば色づいていない方が年数が多いのでしょうけど、これは日当たりの具合で違いがあるのでしょうか。
少しずつ色づくということでは楽しみを味わえる期間が長いのもまたいいものですが、一体いつになったら全体が色づくのかと不思議に思っています。雨ばかりが続くと歩くのもままならないのですが、そういうことが続いてしばらくぶりに歩いてみたらすっかり変わっていたってことにならないかと、ちょっと心配。

先回、紹介した駐輪場にあった看板に一つ。



取り締まる方もあれやこれやと対策に頭をひねっているようです。

どんよりしていましたが

2016年06月21日 | ほんのすこし
今朝は母のゴミ出しがあるので、昨日のうちに風除室にゴミ袋に摘んだ草も入れぎゅうぎゅう詰めにして置いておきました。いつも早い時間に入っていってゴソゴソするので、母の眠りを邪魔するのではないかと思っていたのです。それで昨日はゴミ出しをサッとできるように風除室に予め置いておくということに。
母が
「網戸じゃなくちゃんとガラス戸にして置いていってくれ」と言いました。
網戸にしておくと生ゴミの臭いに猫とかが寄ってきて網戸をひっかくかもしれないから、だそうです。わたしはそこまでするのか? って疑問に思ったのですが、万事滞りなくするためには母の指示通りにしておくのが一番です(笑)。

で、今朝早めに起きてウォーキングできる格好で車で母のところへ。
サッとゴミ出し終了。戻って車を置き、そのままウォーキングに。いつもの時間よりも30分ずれましたが、どんよりしているせいか日差しも感じられず歩きやすく。それでもだんだん朝でも暑くなっているのかすぐ汗が出てきました。

途中にあるお寺の紫陽花は、ほんの少しだけ色がついてきたかなあ。







そうそう、ここにお寺さんが書いたのかときどき言葉が貼ってあります。
今日はこんな言葉が。



そうだなあ、って。降って困っているのは九州地方、熊本の方。土砂崩れになるほどの雨量だったとか。地震といい雨といい、今年は熊本に被害が多くて住んでいる方々には本当に辛い年になっている。これ以上ひどいことが起きませんように・・・ 
雨が降らずに里芋農家の方が困っている様子がテレビで報道されていた。土は乾いて育たないという。
ほどほどに降る、それが一番なのだろうけど。ほどほどって案外嬉しいことなのだな。




地蔵様の前で少し考えていた。

戻り道で見つけたバラ。
庭からはみ出るようにして出ていたバラ。








さあ、人生で今日という日は今日しかない。
少し頭が重くて調子がいまいちだが、気持ちを切り替えていこう♪

色づく

2016年06月20日 | 朝のことば&つぶやき
歩いている途中に寺がある。寺の墓地には紫陽花が植えてあり、毎年この時期には紫陽花を楽しみながら歩くのだが、今年はまだ色づいていない。





ほんの少しがくの周辺が青みがかっているような気もする。
これからだろう。

毎日見ていると色づいていくのがわかるのだが、この雨ではまたまた歩くのを断念せざるを得ない。このところ朝早く目が覚めると窓をあけて外を確認するようになった。せっかく歩く準備をして外に出ても雨が降っているとがっくりするからだ。
着替えをし帽子をかぶりマスクをし・・・ そのくらいだったら雨に打たれても歩けば? と思うのだけど、さすがに小雨でないとね。今日の雨は少し大粒の雨が降っているようだ。ただ音があまりしないのは量が多くないのだろう。

やる気をそがれると、その後がどうもダラダラしてしまう。こういうときの時間の過ごし方がその日一日を決めるような気がする。

紫陽花がだんだんとその色を現わすように、一日一日の積み重ねが、色づき方が、近い未来を作っていく。
ある日ふと気がつく。
あの人もこんなに色づいているのか、と。
見た目は地味なようで、人目にも触れずただ淡々と静かに過ごしているように見えたその人も、ある日目が覚めたように変身している。自信に満ちあふれ人生を楽しんでいるように見える。色づくというのは、周りをも巻き込んでその美しさを発見させるのだとその瞬間わかる。

そういう人に憧れる。

整然と並んでいる自転車の中に

2016年06月19日 | ほんのすこし
ウォーキング。今朝は少し足を伸ばしていつものコースからはずれた場所も歩いてみました。
駅すぐそばに駐輪場があります。ここには電車通学する高校生が置いている自転車が並んでいます。日曜なので今日はこの自転車はこのままです。
まあ、ずらりと綺麗に並んでいて・・・、と思ったら。



たった一台だけ向きが違って置かれた自転車がありました。慌てておいていったのか、並んだ列よりはみ出しています。

誰が置いていったのでしょうね。
高校生でしょうか。黒い傘も一緒にあります。
なんだかみんなが揃って同じ方向に向いているのに、この子だけが逆向きになっていて、そこからあれこれ想像してしまいました。

※※※
この持ち主は入れる場所がなくて場所を探してうろうろ、ようやく置こうとしたけど電車がやってくる。ええい、仕方がないここに置いていこう!友達が呼んでいる。電車が来るぞ~!

※※※
この持ち主は発車ぎりぎりまで彼女と立ち話。彼女は歩きだ。この夏休みにどこかへ行きたいのだが、果たして彼女は一緒に行くって言ってくれるだろうか。楽しそうにドラマの話をしている彼女の目がくりくりしている、可愛いと思う。
「お~い、乗り遅れるぞ!」友人が彼を呼ぶ。慌てて自転車を置き、彼女に手を振る。彼女は彼の夏休み計画など知りもしないまま。

※※※
この持ち主は周りから変な奴だと思われている。自分がそういう目で見られていることはわかっているが、これが自分なのだからしょうがない。彼が変わっているのは、他のみんなはこの駐輪場に自転車を置くときに、最初に置いてある自転車に倣い順に置いていくことに違和感を覚えることだろう。なんで皆同じことをしなくてはならないのだ? 自分は好きな場所に好きな方向で置きたいが。だが、皆が縦に並べているのに自分の自転車が横に一台入ると出し入れするのに自分が非常にやりにくい、この縦並びにすっきり置いていくというのも理にかなっているな。などと考える、そういう所が周りから変な奴だと思われるところだ。そして彼は最後の抵抗で同じ縦並びでも皆とは逆の向きに少し道路にはみ出して置くということで自分の気持ちを満足させて駅に向かう。

※※※
この持ち主はこの間からショックなことばかり続いている。ずっと片思いをしてきた相手に最近彼女が出来たと知った。しかも追い打ちをかけるように中間テストの結果は惨憺たるものだった。ダブルショックに隣でペチャクチャ話す友人たちの声も遠くに聞こえる。
「ねぇ、最近元気ないよ。どうしたのさ」「そうだよ、なんか変」「絶対なんかあったでしょ?」
顔をのぞき込むようにして言う友人たちの目に意地の悪さを感じてしまった。
「ごめん、学校に忘れ物してきた。先帰って。もう一本後ので帰るから」
「えー、もう一本って一時間も先だよ!」
ごめーん、と言いながら急いで自転車に乗り、彼女たちが騒ぐ声を後ろに聞いた。本当は忘れ物なんてない。あの場にいたくなかったのだ。
町中にあるショッピングセンターで時間をつぶして、駅に戻る。もう日は落ちて暗い。彼女らが置いていった自転車が並んでいる。なんとなく自分はそこに一緒に置けない気がした。
待合室で少し勉強しよう。

※※※

歩きながらとりとめなく自転車のことを考えていた。一体誰が乗っている自転車なのか、自転車物語はどこに繋がるのか。
部屋にばかりいるとこんな自転車物語など考えることもないが、ウォーキングというありがたい行動にはこんな楽しみもある。

さて、今日はゴスペル練習日。先回お休みしてしまったので、今日は忘れないで参加しようっと♪

グミの赤い実ひとつ

2016年06月17日 | 朝のことば&つぶやき
母の庭に赤いグミがついている。
この頃生まれたみたいだ。奥にもポツポツとついている。奥のグミもいずれ赤く色づくだろう。

生まれたて、じゃないのに、徐々に実になっていったはずなのに、なんだか突然赤くなって現れたように感じてしまう。

コツコツ、コツコツ、日々鍛錬してきた結果が記録達成に繋がっているイチロー、その記録の瞬間に目が行くけど(わたしからしてそうだ)、彼の毎日の練習ぶりは周りを驚かせているという。努力の積み重ねがたくさんの記録更新や記録達成に結びついているのだ。

どうかすると、グミの赤みが突然降ってわいたように感じるのと同じく、賞をもらったり注目を浴びたりすることに目が行きやすいけど、実は日頃のコツコツコツコツが知らず知らずのうちに実となってやがて美しいものへと変わっていくのだと思う。

グミの赤い実ひとつ。
わたしがその一つになるには、コツコツコツコツがまだまだ足りない。
毎日、弱い自分を見ながらため息をつき、やらなかったことにくよくよし、明日があるさって?
ほんとにそうかな。
明日はほんとに来るかな。
来なかったら何もしていないことを悔やむだろ。

グミの赤い実ひとつ。
わたしはその実にもなれないで。

コツコツの度合いが足りないんだ。