ここを開設してからすでに12年目に突入した。
その間、知り合えた方々、ずっとそばにいてくれた方々、色々な方との触れあいが自分をここまでとどめてくれたと思う。
言葉というつながりのなかで、自分はどれだけのものを出せるだろうか、いや、自分が出せるなどと言えない、ただつながりを求めて続けてきた。
gooを止めていった人もたくさんいる。別の方からやってきた人もいる。
このインターネットという世界で、わたしはどうにかこうにか自分を出せる場所を見いだした気がしてきたのだ。
すごく気になっていた。自分がどう見られているのかと。
でもそんなこと全然取るに足らないものだということに気がついた。自分が思うほどに他人はあなたのことを思っていないのよ、と友人に言われた。言われたときにはすごくショックだった。だって、なんだか自分というものがこの世に不必要な存在? って考えてしまったから。
でも友人が言いたいのはそういうことじゃなかった。
他人の目を気にして生きていたらだめよ、ということなのだ。彼女の姿を見ればわかる。自分が興味を持ったことには突進していく。
それがわたしにはなかったけど・
そんな他人の目というか、ネットでブログなるものを出していると、自分が出した記事にどんな反応があるのか? といった命題には敏感に反応する。
だが、最近それもどうかなと思えるようになった。
というのも、リアルで知り合っている友人が、わたしのブログをいつも見ていると言ってくれて、だからといってコメントを入れるまでもなく、といった感じ?
そうなのか。見ていてくれる人がいるのか。
なんとなくコメントを気にかけてきた自分がいたけど、そうじゃなくて、見ていてくれる人がいたんだなって気持ちになれるほうが楽なのかもしれないと思えるようになった。
でもね、逆を介せばコメントを残すような記事じゃないってことなんだよね・・・(笑)
あっでも自分もそうだな。
読者登録している方の更新記事に飛んでもコメントを残すことしてないなあって。
ランキング表示があれば必ずクリックはしているんだけど。
コメントって難しいなと思う。書きたいけど、なんとなく気後れするときが多い。
その間、知り合えた方々、ずっとそばにいてくれた方々、色々な方との触れあいが自分をここまでとどめてくれたと思う。
言葉というつながりのなかで、自分はどれだけのものを出せるだろうか、いや、自分が出せるなどと言えない、ただつながりを求めて続けてきた。
gooを止めていった人もたくさんいる。別の方からやってきた人もいる。
このインターネットという世界で、わたしはどうにかこうにか自分を出せる場所を見いだした気がしてきたのだ。
すごく気になっていた。自分がどう見られているのかと。
でもそんなこと全然取るに足らないものだということに気がついた。自分が思うほどに他人はあなたのことを思っていないのよ、と友人に言われた。言われたときにはすごくショックだった。だって、なんだか自分というものがこの世に不必要な存在? って考えてしまったから。
でも友人が言いたいのはそういうことじゃなかった。
他人の目を気にして生きていたらだめよ、ということなのだ。彼女の姿を見ればわかる。自分が興味を持ったことには突進していく。
それがわたしにはなかったけど・
そんな他人の目というか、ネットでブログなるものを出していると、自分が出した記事にどんな反応があるのか? といった命題には敏感に反応する。
だが、最近それもどうかなと思えるようになった。
というのも、リアルで知り合っている友人が、わたしのブログをいつも見ていると言ってくれて、だからといってコメントを入れるまでもなく、といった感じ?
そうなのか。見ていてくれる人がいるのか。
なんとなくコメントを気にかけてきた自分がいたけど、そうじゃなくて、見ていてくれる人がいたんだなって気持ちになれるほうが楽なのかもしれないと思えるようになった。
でもね、逆を介せばコメントを残すような記事じゃないってことなんだよね・・・(笑)
あっでも自分もそうだな。
読者登録している方の更新記事に飛んでもコメントを残すことしてないなあって。
ランキング表示があれば必ずクリックはしているんだけど。
コメントって難しいなと思う。書きたいけど、なんとなく気後れするときが多い。