心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

いくつになっても

2016年06月11日 | 母のこと
年をとっても女性なんだなって思うときがあります。
えぇ、わたしは全然ですが、母です。我が母はおしゃれだなあって思います。

おしゃれって周りに気を遣うってことじゃないかと思います。その点、外出するときにはあれこれと考えることができるということは十分おしゃれじゃないかと思うのです。母が外出するのは病院に行くときぐらいになりました。前は買い物に行ったりもできたのですが、それも今は行くことがなくなりました。月に何度かの通院のみ。お風呂が完全防備? になった今は温泉に行くこともほとんどなくなりました。だからおしゃれをして出かけることはあまり無いのです。

それでも何が気になるのかというと、頭です。
母は自分の髪が白髪になったり、パーマがとれたりすると気になるようです。日々、家の中にいるだけですが、時折手元に置いてある手鏡を取り出して見ると髪があまりにも気に食わず、わたしに
「もう白髪が増えて変だろ?」とか「髪が伸びてパーマがとれているだろ?」とか、ことあるごとに聞いてきます。そのたびに「そうぉ?まだ大丈夫なんじゃない」と答えるのですが、母としてはわたしの答えなど全然聞いていないわけで、自分がだめだと思ったら美容院に行くと思っているようです。でも、その美容院に行くという行為が自分ひとりではできないので、おもむろに
「おまえが温泉に行くときに乗せていって帰りに迎えに来てくれればいいんだが」と探りを入れてきます(笑)。

つい二日前の雨降りにもそう言われました。でも雨が強かったので、晴れた日にしようよと断ったのです。
昨日、晴れたので母の希望を叶えました。
いきつけの美容院は歩いて3分もしない場所にありますが、母にしてみればそれは遙か遠い場所。しかも二階に在るし、階段は急だし。ということで母を連れて階段を上る母のお尻を押しながら時間をかけていきます。
パーマにするか白髪染めにするかと悩んでいましたが、結局昨日は白髪染めにしたようです。
たっぷり時間をかけて白髪染めをしてもらい、セットもしてもらい、綺麗になりました。わたしが温泉から戻ってきてもまだ30分以上も連絡がありませんでした。丁寧に仕事をされているのだなあと思いながら家で待っていました。ようやく携帯に連絡が入り迎えに行くとさっぱりと綺麗になった母、とても嬉しそうでした。
家の前に車を止め、母が助手席から出てくると、隣の方が庭仕事をしていて母に声をかけました。
「あらぁ、綺麗になったこと!」
それを聞いた母の顔、まんざらでもない顔でした。

月曜日、診察があります。それまでには髪をなんとかしたいって思ったのでしょう。「月曜まで髪は洗わない!」
ふだん、カーラーで巻いたりしている母ですが、やはりプロの手にかかると全然違います。お金をかけても綺麗にできたという満足感は自分の手では味わえないと思っているようです。
そういえば、母の代わりに町内会費を集金して歩くことが最近ありましたが、ある家の方に「お宅のお母さんはおしゃれだものねぇ」と言われました。えっ? と思ったのですが、他の方にはそう見えていたんだなって改めて思った次第です。外出するときの服装、これにこれでいいかとわたしに確かめるあたりもおしゃれだからの確認なのかなと思えるのでした。今は自分のこともうまく出来なくなっていますが、色や形、上と下の服の釣り合いなど母にとってはとても重要な議題のようです。

で、綺麗になった母が
「今度パーマをかけたら温泉に行く」というのです。
「ははあ、綺麗になったところをみんなに見せたいんだな」とわたしが言うと、
「久しぶりに行くのだから、変な格好して行かれないだろ?」と笑っていました。もしかしたら温泉に行きたいがためにパーマやさんに行くのか? って突っ込みいれたくなりました。

いくつになっても女性はおしゃれ感覚を失わないでいるほうがいいのだなと、母を見ていると思います♪
そういう娘のわたしはどうなのかと思うのですが・・・(笑)

※※※

庭のさつき、母が折って花瓶に挿していました。枝振りがなかなかいい感じです。

※※※


裏寂れたような

2016年06月09日 | ほんのすこし
我が町。
早朝歩くと人っ子一人いない時間もあり。でも最近はどうやら歩く人もちらほら見えて、通りすがりの挨拶を交わす人も出てきた。今日はさぼったが、あの雨の中でも歩いている人はいたのだろうか。
以前、何かの漫画にこの通りが描かれていると噂があった。北の方から街を破壊していく生物? がいて、その破壊される通りがこの寂れた様子に似ていると噂されていた。なんという漫画だったのか失念したが。
その漫画家は東北出身だったのか・・・

今はこんな裏寂れたような街で通りを歩く人は日中でも少ない。みんな郊外や大きなショッピングセンターでしか見かけなくなった。人々は一体どこにいるのだろうと思えるほどだ。
しかも歩いているのは年をとった方が多い。まあ、日中若い人が外にいるというのも考えてみれば変かもしれない。働いているのだから。
それでも年々人口が減っていくのは否めない。
特に運転するよりこうして歩いてみると、その寂しさは大きく感じる。

この街が活気を帯びるのは一年で数少ない。
お盆や年末年始、あるいは地域の行事、きりたんぽ祭りやアメッコ市など。どこからともなく人で溢れ、活気がみなぎる。
行事にしか頼ることができない地方のジレンマ。日常的に集客できないということが都会に出るとしみじみ感じる。あの、人で溢れた電車や駅の構内。人の波に酔ってしまうほどの熱気。それらが日常の自分との隔たりを確実に感じさせてくれる。
またそれが戻ったときのある種の安心感にも繋がるのだが。

地方と都会との格差。

だが、寂れているようでもそこにいる一人一人の思いは寂れていない。
ここで生きている、その生活の中に喜びもあり、楽しみもあり。何に喜びを感じるか、何を友として生きるか、それは人によって様々だ。便利さを求めるなら都会だろう。でも田舎に住むのもまた良しとする何かがここにはあるのだと思う。
目の前の裏寂れたように見える町並みでも、そこに住む人にはそこで生きる喜びもまたあるのだと、思えるのだ。

今日はさぼった

2016年06月09日 | ほんのすこし
朝、4時。目が覚めた。
ザ-という音で。
雨が降っていたのだ。
雨が降っているということで、歩こうという意欲が消えていく。その日のわたしを描いていた図は新しく作り替えなければならない。このところ、歩くことに専念してきたので、この朝の時間は貴重だった。だが、やはり梅雨という時期には勝てない。
昨年、ウォーキング用に生協の宅配で注文したシューズ、思い描いていたよりずっと派手で、使うことに躊躇ししまい込んだ。だが、古いシューズをはいて歩いていると中で足が動く。どうもこれは良くないのではないかと思い、出してみた。ピタッと足に合う。中敷きにつぼに合うようなものがあって、歩くと痛がゆいというか痛いけど気持ちいい。なんでもっと早く使わなかったのだと自分を叱る。

今日もそのシューズを使おうと玄関に置いておいたが、それを使うことはなかった。
窓から道を見る。道は雨に打たれ色変わり。途中に雨の水たまりが見える。どうしようかと迷ったが、今日は歩かないほうがいいのだろうと決断した。

つまり、歩きをさぼったわけだ。
あまりに時間が早いので、上下の階の住民に音が聞こえないようにしなければ。気を遣いながら色々と。
6時頃になってようやく外にゴミ出しに出た。なんだ、これだったら歩いても良かったかも。自分の情けなさにがっかり。ちょっとぐらいの雨なんかしらん振りで歩けばよかったでしょ。
自分を叱る。

朝早く起きるということは、お腹も減るということだ。
いつもより多い食事の量をぺろっと平らげ、まだ足りない気分。これはいかん!
反省しきりで自分を叱る。

あぁ、今日は朝から自分を叱ることだらけだ。
そう。
そんな日なのだ。
朝がそうだから、これからの時間は切り替えていかなくては。

空は曇り、どんよりしている。
あの空の上に青いベールがあるのだと想像してみることにしよう。

※※※

道ばたにバラの花びらが落ちている。
散りゆくものの最後。
美しくも悲しくもあり。勢いのある時期を見ていたものにとってはそうだろうが、これだけを見たものにとっては別の見方があるような気がする。

※※※


そんなことちっとも考えてもいなかったよ

2016年06月08日 | ほんのすこし
今回のドラマの中でわたしの一押し『重版出来!』


夕べ第9話放送。
放送前は録画していた2時間サスペンスを見ながら怖い場面のときはパソコンに向かい、そろそろ始まるなあと思ってテレビ画面に切り替え。
でも・・・ わたしの癖が。
わたしは好きなものを後に残すタイプ。
たとえば、子供の頃大好きな卵焼きが出ると最後の最後に取っておいておもむろに味わいながら食す、そんなタイプ。
なので、いつも大好きなドラマはリアルタイムじゃなくて後で録画したものを見ている。途中でトイレに立って見たい場面を見逃すこともないし、CMを飛ばしてストーリーに違和感なしで入り込める。だからね、夕べも時間ぎりぎりまで待っていたのにやっぱり録画で見ようって思ったんだ。

で、まだ見ていない番組があってそっちを先に見ていたら、よく考えたら『重版出来!』は午後10時からの放送、終わるのは11時になってしまう。寝る時間になるじゃないか。
そう考えたけど後の祭り。もう番組は始まってる。途中から見るなんてこと絶対無理、無理。
仕方が無いので11時過ぎに録画を見る。明日ゆっくり見ればいいのに、そこはもう待ちきれない(笑)。

今回はオダギリジョーが演じる五百旗頭(いおきべ)中心。オダギリジョーこの役似合うね~。はまり役だなって思う。
ライバル社の見坊に嫌みたっぷりに言われても言い返せない。わたしが代わりに言ってあげたいくらいだったよ。漫画家さんのことを思ってやったことなんだ! って。
でも通じていなければなあ。思いって自分でいいと思ってても、相手に伝わっていなければ誤解も生じるしね。世の中にはそんな誤解がたくさんある。言葉足らずの結果が人間関係の消滅だったり。
でもいおきべさんの熱意はきっと離れていった漫画家さんに伝わる気がする。

心が担当している新人作家、子供の頃に虐待にあったことで極端に女性に対する態度が違うけど、演技が凄いね。
中田伯役の永山絢斗さん、これから注目だなあ。
それにしても彼の描く漫画の雰囲気というか世界観が『進撃の巨人』に似ている気がするのはわたしだけ? 

録画を夢中で見ていると、最後に現れた画面に・・・ なんと、来週は最終回とな!!

えっ!! まるっきり考えてもいなかったよ。
最終回ってどゆこと?
一瞬、目が点になる。

ハッとして気がつく。
韓国時代劇じゃないんだよ。第60話や100話なんてドラマじゃないんだよ、と。
ドラマクールには始まりがあれば終わりがある。

あぁ、そうだった。すっかり忘れていたよ。
このドラマにも終わりがあるんだってことを。

そのとたん、虚無感が襲ったね。
がっくりきちゃって。

最終回、待ち遠しいけど悲しいような。
まだまだ続いてほしいよ。だっていおきべさんの離婚話とか、心の恋の行方(まだ恋にも至ってないけど)とか、ライバル社の見坊とのからみとか、ムロツヨシのその後とか、なんだか出演者のこともっともっと知りたいし。漫画のネームとか出版社の現場とか、あぁとにかくまだまだ見ていたいのよ。
それがもう見ることができない。来週が過ぎれば。

がっくりきちゃって寝るに寝られず。過去の録画を探して適当に選んだら。『天皇の料理番』、これは佐藤健主演で人気があったらしいけど、第一話を見逃したら後は見る機会がなく録画をずっと取っておいた。それを見始め、あれ? 黒木華さんが出てるじゃないか(今頃気づく)。
やっぱり演技うまいなあ。
でも、わたしはこっちの『重版出来!』の心役がもっと好きだな。
そんなことを思っていたら、(最終回が待ち受けてるという)悲しみが少しずつ癒えていった。

朝のウォーキング、なんのことはない最終回はどうなるのかそのことばかり考えて終わった。
来週を待とう。楽しみに待とう。期待感を込めて待とう。
仕方が無い、これが日本のドラマの宿命だ(笑)。

※※※

『天皇の料理番』って面白かったんだね。なんで見なかったんだろ。

※※※



エゴノキ

2016年06月07日 | 母のこと
玄関先に置いてある鉢植えを見て母が言う。
「まさかこれに花がつくとは思わなかったよ」と。
「なんの木なの」と聞く。
「エゴノキだよ。前にすごく立派な鉢を育てていたんだけど、風除室においていたら一晩でだめになってしまって。あのときはがっかりしたよ」
「でももう無いんでしょ」
「それが、エゴノキの実はパンっとはじけて飛ぶからもしかしたらここにも飛んできたんだろうな。でもまさかこの寄せ植えに飛んできていたとはなあ」

去年は全然花がついていなかったので、まさか花がつくとは思っていなかったらしい。
今年はぶらんぶらんとたくさんの花がついている。
まるで子供ができたみたいに嬉しそうな顔をする母。

あれから数日経った。あのときつぼみだらけだったエゴノキが今日はずいぶん花が開いている。下を見て恥ずかしそうに咲いているのが可愛らしい。
母が風除室の折りたたみ椅子に座ってなにやら見ている。
「何見てるの?」
「ん~、ほら、前にエゴノキを育てていたって言ったろ。これだよ」
そこには母が以前育てていた鉢ものの写真がたくさん入っていたアルバムがあった。まだ手も今ほど不自由ではなかった頃のことだ。花の好きな母のために離れた所にいる叔母が持ってきてくれた鉢がたくさんあるのだと説明していた。叔母はよく母の日やクリスマスにも鉢植えを送ってくれたのだそうだ。その中のいくつかが今、母の庭に残っている。地植えして太い幹になったものもあるらしい。姉と妹どちらも花が好きなので何をあげれば喜ぶかわかるのだろう。

叔母がくれた鉢植えの写真を見ていた母が、ふと寂しそうな顔をした。
もうずっと叔母と会っていない。叔父が元気なときには年に一度は必ず母の元に運転してつれてきてくれたものだ。その叔父が旅立ってから一度も母の元に来ていない。最初は今はまだ無理だろうなと話していた母だが、だんだんと「早く来ないと会えなくなってしまうかもしれない」と自分の体を見て話すようになってきた。寄る年波に不安を感ぜずにはいられないのだろう。
いつも会うと母と叔母の笑い声が絶えなかった。父と叔父はそれをニコニコしながら見ている。そんな光景があった。
もう父も叔父もいない。

母は妹と互いの夫のことを語り合いたいのかもしれない。
わたしが知らない四人の思い出、たくさんたくさんあるのだろう。
わたしに語っても「そうなの? そういうことがあったんだぁ」という相づちになるけど、叔母だったら「あ~! そんなこともあったねぇ。あのときはこうだったよね」と話が広がっていくだろう。
だからときどき思い出したように「来ないのかねぇ」と言う。
母が行くことが出来ればいいのだけど、長い距離の移動は今の母には困難だ。来てもらうことしかできない。わたしが迎えに行こうか、と言えばそれはだめだと言う。
きっと叔母も会いたいとは思うのだろうけど、まだ悲しみが癒えないのかもしれない。

今年のうちに会えるといいね。
エゴノキみたいに思いがけない喜びがある日突然やってくる、その日を夢見て母は今日も風除室の椅子に座り、空を見上げている。





失敗、失敗。母が話すのを聞いて、てっきりエゴという名前の木だとばかり思っていた!
エゴノキという名前なんだね。今、確かめて知った、なんというドジ!
穴があったら入りたいというのはこのことだ。が~ん…


まだまだ知らないことがある

2016年06月07日 | ほんのすこし
数年前、読み聞かせサポーター講座というのに参加して、終了後に数名のサークルを作った。何年か図書館や小学校で読み聞かせをした。最初はすごくどきどきして、小さな子供相手でもあがってしまうような気がした。
子供って案外鋭い。こっちが弱気だとわかるというか(笑)、自信のなさが声に出てしまうのかも。
でも、こちらも楽しんで読んでいるとわかってくれる。次第に読み聞かせの醍醐味を味わえるようになっていった。同じ仲間はわたしより数段読書量が多かった。知らない絵本を持ってきたり、紹介したり。いつも感心していたものだ。
今はそのサークルから退いているので、絵本を読むこともなくなってしまったが、時折蔵書の中の絵本を取り出して読むことがある。読んでいると目の前にあの頃の子供たちの顔が浮かんでくる。

大人が真剣であれば子供も真剣だし、手抜きだと手抜きしていることがわかる。
また大人がこれはどうかなと思ったものが案外喜ばれたり。地味なものだからねぇなんて話したものがしみじみと伝わったり。
大人の感性で決めつけてはいけないものがそこにあった。
だから子供相手に読み聞かせをするって楽しいし、ちょっと怖いところもあるし。懐かしいなと思う。
数年だったけど、その間に知った絵本の数々、でも絵本ってもっともっとたくさんある。
読者登録している方の中に読み聞かせをされている方がいて、毎回絵本を紹介している。それが実に今まで見知ったものではない物が多い。
いつも、感心しながら読ませて頂いている。

今日の紹介絵本はその最たるものだった。ブログタイトルは どんぴんからりん すつからりん

わらぐつのなかの神さま 『加代の四季』

手元で読んでみたい絵本だなと思った。

まだまだ知らない絵本がたくさんある。
こうしてその知らない絵本の一面を知ることができるというのもネットの賜だなと思う。

※※※

ただいまBSプレミアムに『荒野の七人』が入っている。昔と違って画面も綺麗だ。
懐かしい顔ぶれ。テレビで見たのはいつだったか。高校生の頃だったろうか。あの頃は西部劇にはまっていたなあ。
あんまり懐かしくて途中から録画している。どうせなら最初から録画すれば良かったのにね(笑)

※※※

たくさん咲いていると綺麗な花の代表はナデシコだな。

※※※

スマホからパソコンへ

2016年06月06日 | ほんのすこし
朝からスマホの容量が少なくなったという警告を見て、慌ててパソコンに画像とか動画を取り入れようとしているのだけど、途中まではうまくいっていたのに、なんだかね、待機中という画面がずっと。
途中で操作を間違えてしまったかしらと悩みつつ。
しょうが無いので放っておいて録画を見ていましたよ。

NHKの「立花登青春手控え」録画しているんですよね。現代物だけかと思いきや、こういう時代物もちゃっかり録画しているわたし。母の影響ですかね。
でも若い頃は時代劇とか西部劇にはまっていた時期もあったんですよ。
西部劇ではアラン・ラッドが好きでしたね~。
それが今では西部劇はほとんど見ていないし、時代劇もまた然り。
でもこうして時々、NHKの時代劇にははまるものもあるんですよ。

今回のこの番組ははまっていますよ♪
人情もの、なんかね忘れていた気持ちを思い出させてくれるんですよ。特に恋心とかね(笑)どういうわけか現代物では自分の今と比較してしまうのか登場人物に移入できないけど、時代物の中ではなんだかね、移入できる部分があるような。これってすでに時代遅れな人間ってこと?(笑)。いやいやそう言い切れるものでもないでしょ、と自分を甘やかせている。

溝端淳平さん、ひところ憧れよぉ~って感じになって夢中になった日があったような(笑)。ガンバってるんだなあって今回のドラマを見ながら感じてるのは親心?
まあなんと言っても脇役に石黒賢さんや鷲尾真知子さんが出ているあたり、見逃せないなと。

そんな感じで毎回楽しみにしているのです。
今回も涙なしでは終わりませんでした。
毎回、レコーダーの容量を考えて消去しているのですが、これは残しておくべきだったなあと消去した今思っているところです。毎回内容が良くていいドラマだなと思って見ています。
それにしても溝端さん、いい役どころをゲットしましたね。少し陰りを帯びた感じの人の気持ちに寄り添うあたりの雰囲気がとても似合っていますよ。

あぁ、なんかスマホからの取り入れが変なまま。
最初に削除できた分だけでもよしとしようかな。
何せスマホの容量が少なくなっているらしいかしら、あまりさくさくさと写せない。不必要なものを削除すればいいのだけど、捨てられないものが多くてね。
だからパソコンに取り込もうと思ってさ。

でも途中でそのパソコンがいじけちゃって。
朝からテンション下がりまくりだね。

でも、まぁ、なんとか少しだけでも取り込めたってことで、良しとしようか!

外は上天気♪
まぶし過ぎて空が薄いよ。
そろそろ洗濯も終わるね。
皆さん、元気に行こうぜ! と自分にエールを送るわたし(笑)。

アボカド食べたくて

2016年06月05日 | ほんのすこし
アボカド食べたいなって二個買ってきていたんだけど・・・
ただ切って食べるだけじゃつまんないなあ、って思って眺めていたらそのまま数日経ってしまった。まあ買ってきたときは青かったので、熟してはいなかったけど。でもそろそろ食べないとだめでしょって。

ときどき農協の旬菜館でマグロの切り落としが出る。ちょうど行ったときに当たるとすぐ買うのだけど、なかなか遭遇しない。
それが土曜に行ったら結構並んで置いてあって、母はトロみたいな部分が好きなので、そういう部分がたくさん入っているのをチョイス。
母にはそのまま。半分分けして持ち帰った。

ようやくアボカドの出番だ。
マグロの切り落としとレモンを搾ってかけたアボカドのコロコロとわさび醤油。上に紫タマネギの酢漬けをのせてみた。
アボカドはもうこれを逃しては柔らかすぎるだろ? という感じでちょうどいい。マグロのこなれ具合とちょうど合っていて、美味しかった。
アボカドって見かけは洋なしのような形で外側の色と中身が全然違う。まるで海のホヤみたい。

アボカドのことを書いていたら、お腹がすいてきた(笑)。
こんな時間に何かを食べるのはよくないけど。
何かをお腹に入れないと眠れない気がする。
あぁあ、アボカドのことなんて書くんじゃなかったよ。


どういうわけか目が覚めてしまった

2016年06月05日 | ほんのすこし
夕べは早々とベッドに潜り込んでしまった。
そのせいかどうか、午前2時すぎに目が覚め、それからなんとか眠ろうと・・・ それでも3時には目が覚め、ベッドであぁでもないこうでもないと考え。スマホを取り出して見たり。
いよいよ3時半には諦めて、起き出した。外はまだ暗い。
散歩するには早すぎる時間帯だ。ずっと先延ばしにしてきたものを検討することにした。

前に出来上がっていた原稿を最初から修正していく。未だに納得できていない部分が多々ある。これが自分の限界か・・・、そうずっと思っていてなかなか手を出せずにいた。
昨日メールマガジンで、ある言葉を読んだ。
※諦めたらそこで終わる。自分をだめだと思ったら、だめなまま。自分はここまでしかできないと思ったら、そこまでしかできない。「出来る」と思えば出来るものだ。※

やっぱり。自分で自分に足かせをつけ、これ以上は無理だって決めつけていた。なんだろ、この自信のなさは。
自信って自分の思いようで、あったりなかったりするのだ。諦めたらおしまい、そこからは何も始まらない。可能性を自分で消すことはないじゃないか。そんなことを自問自答しながら原稿と向き合う。
これのどこが面白いんだ? ワードの画面その文字を一つ一つ読みながら丁寧に考える。自分が書きたかったこと、何を書きたかったのかが伝わっているのかを。
まだまだ修正の余地があるなと思えてきた。もう無理だと諦めてしまってずっと手をつけずにいた。
せっかく考えたものだもの。本当に納得のいくものにしたい。

早起きもまたいいもんだね。
見直す機会ができた。まだまだ残っているけど(笑)。
雨が降っていなければ散歩の準備をしようか。

今日は一生のうちのたった一つの2016年6月5日という日。目覚めるのは早すぎたけど、なんだか気分がいい。

散歩で見つけたのは

2016年06月04日 | ほんのすこし
小さいものってたくさん集まるとどうして綺麗なんだろ。
芝生みたいにたくさんギュッと詰まっている。
黄緑色が元気だ。





大輪の花じゃないけど、ピンクが薄かったり濃かったり、微妙にそれぞれ色が違ってる。



歩いていたらこんな風に並べて植えられていたのもまたいいな。



ピンク、緑、ピンク、緑、ピンク、緑・・・ L字型になって並んでる。



近くの図書館では読書に夢中の少女が。



緑に囲まれて涼しそうだ。

ここ何年も図書館に足を運んでいない。昔は読み聞かせサークルにいてよく利用したものだけど。今はとんと・・・
遠ざかるとなかなか行けないものだ。今も頑張っている昔の仲間たち、地元紙でよく活躍を読んでいるが、これからも地元の子供たちのために頑張って! とエールを送りながら図書館を後にした。

朝の散歩。ちょっと慣れてきたかも♪
気持ちいい。