心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

フェイント

2018年08月10日 | ほんのすこし
こんな時間に起き出して・・・
昨夜は早くベッドに。どういうわけか眠くて。でもそんなときに限って、午前0時を過ぎた頃に目が覚めてしまう。
仕方がないのでテレビをつけたら、朝ドラの主人公が鶴瓶さんと一緒に雲仙市を訪ねる番組が入っていた。ついつい見入ってしまった。そのまま眠れない状態に突入。
こんな眠れないフェイント、久しぶりかな。

ただいま 午前3時半。
こんな時間にテレビをつけたまま。でもコズミックフロントという番組がまたまたいい。静かな音楽と自然の映像が流れて、夜中の部屋がまったりとした時間に感じてくる。
案外、こんな時間もいいものだと思ったり。

ほんとは朝早く母の燃えるゴミ出しに行こうかなと思っていたけど、今日は止めようと思う。
やらなくちゃって義務感? それに突かれて動いているような気持ちがあったのかなと。
でも肝心な大事なことは忘れちゃ駄目だけどね。ゴミなんてどうにかなるし。昨日見たときには次の回でも大丈夫かなっとも思ったんだ。でも、なんとなく気になってね。そんな気になることがあるとぐっすり眠っていられない。こんなことがずっと続いていた。ゴミのことだけじゃなくてね。

あ。星がいっぱい。
テレビの画面いっぱいに星が見えている。

昔、弟と一緒に屋根に登って夜空を見たなあ。高い所が苦手なくせに、夜だと下が見えなかったからか天体の好きな弟に誘われて見たことがあった。流れ星を探したなあ。
今月は弟の命日がある。お盆のあとだけど、暑い日が続くと亡くなったときを思い出す。あのときも異常に暑かった。くたくたになって自分の体を起こすことも出来なくなっていた弟。それでも救急隊員の前では気丈な声で答えていた。担架に乗せられると安心したのか「やっぱり(救急車を)呼んでよかったなあ」と言ったっけ。救急車が来るまで頑なにわたしの車で連れて行ってくれと言っていたのに。
なんでそんなに我慢したのよ。

ボロボロだったんだね。内蔵が。
ひどい暑さの中、お墓参りの買い物に一緒に付いてきて、いつもの数倍もの買い物客で並ぶ時間も長くて、家で待っていたほうが楽だったのに。母とわたしと三人で買い物した。結局次の日、弟はお墓参りには行かず留守番しているからと言った。行きたかったんだろうけど、もう体が無理だったんだ。それから二週間弱で帰らぬ人となってしまった。使えぬままのキッチン用品がぴかぴかのまま弟の部屋に残された。
料理が好きで病院に行くと料理本をいつも広げていた。ノートにはどんな料理を出すか、その構図を書いていた。
素人だけど、料理にはこだわった。

でも、もう忘れたよ。弟の作った牛すじカレーの作り方。伝授されたはずなのに作らなくなってからもう4年経つ。弟が亡くなってもしばらくは作ったのに、あんな面倒な料理はもう無理だな。
暑い夏。弟はその夏に生まれ亡くなっていった。
人は生まれた頃に亡くなっていくと読んだことがある。ほんとなのかもしれない。父も誕生日を迎えた後に亡くなったものね。

あ。夜中って、頭の中がフェイントすぎる。日中は浮かんでもチラッとよぎるだけなのに、こんなに覚醒した言葉になっていく。
でも・・・寝ようっと。
おやすみなさい。

悩む

2018年08月09日 | ほんのすこし
ブログ開設し、最初の頃から仲良くさせていただいてきたブログ仲間が何人かいます。
その中のひとりの方が今年、ずっと更新しないままです。すごく気になって、連絡しようかとメールアドレスとか探してみたのですが、わかりませんでした。
最初の頃、わたしが描いたイラストをポストカードとか便せんとかに印刷し、希望された方に送ったことがありました。その方も希望されていたので送ったことがありました。それを思い出してそのときの住所がどこかになかったかと探してもみました。でもどこにも無くて・・・

昨日、なんということなくベッド近くの文具の収納ケースを整理しようと思い立ち、一段一段引き出して不必要な物を出しました。
すると三段目の奥、古いポストカードや手紙の下に懐かしい住所を控えた便せんが出てきました。あのとき送った人たちの名前と住所です。ハンドルネームと共に。
皆さん、ずいぶんご無沙汰してしまいました。ブログを閉じられた方も多い中、その方はずっとおつきあいくださいました。
ずっと更新がないと何か体を壊しているのではないかと心配になります。
でも手紙を出すとご家族の方が不審に思われないかと・・・変な意味はないのですが、見知らぬ人からの葉書だとなあ、とか考えてしまい、連絡を取ってみようかどうしようかと悩んでいるところです。

お元気だといいのですが。

葉書にブログのことを書いて、ご家族に内緒だったりしたら、それも困るだろうしなあ。
住所がわからないうちは諦めていたのですが、わかったらわかったでなんか悩んでいるわたしがいます。


やっぱりそっとしておいたほうがいいのかなあ・・・
だろうなあ・・・




処分するのは

2018年08月09日 | 母のこと
ブログで2017年頃に紹介した、母が昔作ったバッグ。
押し入れを整理したときに出てきた沢山の手作りバッグは、まだ母の手が不自由ではなかった頃に夢中になって作ったものだという。押し入れの引き出しいっぱいに入っていた。
わたしがそれを一つ一つ出して見ていると、これはお前のスカート、これは自分のコートとそれぞれどれを再生したのかを説明した。その中のいくつかは病院に行くときに見たことがあったりしたが、初めて見るものもあった。デザインも様々でどれにも母らしい工夫があった。一手間かけるところが母らしいと思った。見覚えのある生地、若い頃の自分が重なった。
娘が着ていた物をバッグにしていたなんて、ちっとも知らなかったよ。

でも今はほとんど使用していない。最近のお気に入りはわたしからのお下がり。小粒だけどマチがたっぷりなので結構入るし柔らかい皮が触り心地がいいのだそうだ。軽いというのも母にはとても助かるらしい。軽いという面では手作りのバッグも劣らない。
手作りバッグ、全部出して見たけど処分するにはしのびない。母にフリマで売ったら? と提案してみたけど、人に売るような代物じゃないと即座に取り下げられた。

「死んだらお前の好きなように処分してくれ」

そう言われてもね~。
そう言われたものが沢山ありすぎるんだよね~。

自分が死んだら処分してくれって・・・困るなあ。

でも毎年少しずつ処分している気がするんだけど、なかなか少なくなっていかない。母が若い頃に買って手を通していなかった服はまさしくタンスのこやしになっている。一度も着ていないから処分できないのだそうだ。それでも太い針が通るセーターとかは今の自分にカスタマイズ? したいようで、冬にはコタツに入りながら不自由な手で一針一針リメイクしていた。毛で出来ている物は針が使えるからねと嬉しそうに言う。残念ながら普通の布はもう針を通す力が無いようだ。古いが着ていない服を見て、またしまい直す。
「思い切って処分したら?」と勧めると
渋い顔をして
「やっぱりこれはしまっておく」と答える。

こんな繰り返しが毎年続いている。
でも、この繰り返しが続いていて、わたしが処分しなくてもいいということは、まだ母が健在だという証拠なのかもしれないね。

そういえば、この間の車庫の片付けで、今まで描いたわたしの絵の中からいくつか処分した。あれもいつかは捨てようと思っていたもの。こうして思い切ることがこれからは必要になってくるのだろうなあ。


甲子園が始まった

2018年08月06日 | ほんのすこし
わたしがプロ野球の試合を見たのはいつだったか・・・思い出そうとしても頭に浮かんでこないほど昔になった気がする。
我が父は野球ファンだった。特に高校野球を見るのが大好きで、試合が始まる時期になると、居間のテレビは父専用と化した。母は見たいテレビがあると、別の部屋の小さいテレビで見ることにしたという。いつもは母中心のテレビ番組だけど、プロ野球中継と甲子園中継があるときだけは父のために遠慮したのだ。

最初は一緒に見ていなかったけど、母も一緒に見るようになった甲子園。二人の応援は真逆で、父が静かに見ているのに対して、母はここぞとばかりに声を上げる。
「父さんは静かに応援していたけど、やっぱり声を出して応援するほうが応援のしがいがあったよ」と母が後でわたしに教えてくれた。
そう言って、かつての二人の様子を思い浮かべたであろう母。
父が亡くなった年の夏。
母と二人で高校野球を見た。

「父さんの代わりに応援しよう」
テレビを見つめる母の脇で微笑んでいる父が座っているような気がした。

母は暑い夏でも体に風を受けると後で体に痛みが出るからと極力風を受けないようにしている。でも父は違う。痩せた体に暑さが沁みるのだろう。わたしが団扇で仰いであげると気持ち良さそうな顔をした。
「あぁ、いいなあ」
父は嬉しそうに言う。父のいいところは感謝の言葉をいつも誰にでも言うところだ。「ありがとう」という言葉をいくつ聞いたかわからない。母の隣の誰もいないそこに団扇で風を送ってあげた。「ありがとう」ともう一度言ってもらいたかったな、あのとき。

父の代わりにテレビの前に座り野球応援していると、父の声が聞こえた。
「やっぱり野球は高校野球が一番いいなあ」
球児の一生懸命さが好きなのだという。うんうん、分かる気がする。
何かにひたむきな姿、それを画面の向こうに感じ取っている時間だ。

今年もまた父の大好きな高校野球が始まった。今年は何試合見ることが出来るだろう。
今日は無理だけどね。母の診察がある。しかも二つも受診だ。あっ、病院のテレビ、高校野球入れているかもしれないね♪


録画しているけど

2018年08月04日 | ほんのすこし
ただいまBS朝日にて、錦織選手の準々決勝を見ています。
相手はドイツのズベレフ。長身で手足の長い選手、世界第三位になっている。今大会では第一シード。

4時半から番組が始まるというので、夜中に慌てて予約しましたが。昨夜も寝苦しくて・・・とうとう試合開始と共に起きてしまいました。

で、録画予約しているのにリアルタイムで見ているという(笑)
今のところ、第一セットは錦織が取りました!
ただいま第二セットの途中です。ちょっとズベレフが優勢になっています。

でもまだまだこれからです。
がんばれ、錦織選手!!!

今日はぐっすり寝てようかと思ったけど、こんな幕開け。夜は久々のお出かけ予定。
どうなることやら・・・日中、眠気でグラグラ、なんてことありそうだなあ。



珍しいこともあるもんだ

2018年08月03日 | ほんのすこし
この時期になると地元のスーパーで福引き? みたいな抽選がある。ただいまその真っ最中。
でもわたしにはとんと縁が無い。いつもティッシュだけで終わるのが常だからだ。

何日か前。その日は結構買い物があって、抽選する回数が多かった。7回だったかな。でもいつもそんな回数でもティッシュばかりだからね。
二つの回す場所があり、右側にいた先客が回している。
わたしは左側に立ち、人の良さそうな男性の前だった。
回そうとしたら、隣の女性が勢いよく回し、その途端、大きな鐘が(鐘といったらいいのかどうか)鳴った。振り向くのもなあと思って見なかったけど、喜び様を考えたら結構いい当たりだったんじゃないかな。

その勢いよい鐘の音を聞きながら、わたしが回して出るのは小さな白い玉。あぁ、これがはずれなのね。
もう諦めて、最後から二個目を回した。
あら?
なんか違う色の玉が出た! ピンク!
目の前の看板を見た。ピンクって・・・なんと3等じゃないの。商品券3000円なり。

まさかまさかの両隣でのヒットですよ。

ふふふ。片方だけがいい思いするより、両方でいい思いする方が何倍もいい感じじゃない?

帰りはスキップですよ(笑)

でも、今思えば今年のツキをあれで使い果たしたのかも・・・

不思議な毛

2018年08月03日 | ほんのすこし
※ 5000日達成の記事では沢山のコメントありがとうございました。とても嬉しかったです。 ※


2017年のドラマで〈脳にスマホが埋められた!」というのがありました。
伊藤淳史が演じる主人公、彼が気になって見始めたのでした。その第一話を見ていると、彼の手首に長い毛があって、彼はその毛に「ケビン」と名付けて話しかけているのでした。それが妙に頭に残っていて・・・

ドラマが終了し、すでに今は2018年。
そのドラマのことを思い出したのは、最近わかったことがあったからです。
暑さで参っていて、母とふたりでいたときのこと。
わたしは扇風機の前に陣取り、ソファに腰掛けている母の方へ風がいかないように(というよりわたしが独り占めだ!)扇風機の前に顔を突き出していました。想像してみなくてもわかるその姿、もはやおデブ街道まっしぐらって感じです。

扇風機の風の強さを一段アップしようと手を伸ばしたとき、その妙な感覚がありました。腕の先でなんだかフワッと感じる部分があることに気づきました。それは本当にかすかな感じなのですが。
なんだろう? 目を凝らしてじっと見てみました。

そのとき、発見したのです。

わたしの腕に毛は生えていますが、それはほんの短い、しかも1ミリぐらいで色も薄いので傍目には毛が生えているとは思えないほどです。見た目はツルツルといった感じでしょうか。
その手首に近いところから、なんと! 2.5センチほどの長さのごくごく細い毛が生えているのです。それはくるりんとめくれて、細いがためにそこにその存在があるとはちっとも気づかれずにいたのです。
扇風機の風でくるりんと巻かれていた毛の先が浮き立って揺れていたのです。

それを見たときに脳裏に浮かんだのが先に書いた〈脳にスマホが埋められた!」の「ケビン」でした。まあケビンはもっとずっと太くて長い存在でしたけどね。
まさか自分にそういうものがくっついているとは・・・

母に「見てみて!」と腕を突き出しました。あまりにも細いのでわかりにくいので、母は眼鏡をかけてしげしげと見ました。
「あら~・・・」とびっくりした声で恐る恐る触っています。
「細すぎて触ったかどうかわからないね」

わたしが毛をなでなですると
「なんとなく可愛いだろ?」と母が言いました。母の方を向いて、ふふふと答えました。
ちょっと不思議な感じ。
一体いつのまにお前は長くなったんだい? ちょっと愛おしく思えます。

その日からなんとなく腕を見ては健在なのかどうか確認することが多くなりました。見つからないときは黒い紙とかを探してきてその前に腕を掲げます。すると細く丸まったケビンもどきが見つかります。
ちょっとホッとする瞬間です。

わたしも伊藤くんみたいに名前をつけようかしら(笑)。

ここまで来たか、5,000日!

2018年08月02日 | ほんのすこし
連日の暑さに参っていまする。
年々暑さ寒さが堪える体になっているなあと変にしみじみとしたものを感じているこの頃。ここを訪問してくださった方々に感謝の思いでいっぱいです。というのも、gooブログ開設から今日で5,000日になったからです。
ここまで継続できたのは、誰かが訪問してくれていた、というそのことに励まされてきたから。
いつも前向きに進んでこれたわけでもなく、逆に落ち込んだりすることが多かったりも。日々単調な暮らしの中で、小さなしあわせを見つけてきたことも、コメントをくださった方々の温かい気持ちを感じることが出来たからです。

開設した当初は広いネット世界でたぶん誰も知らないここ(「心の色を探して」)なんてどうなるのかな・・・とか、ひとり生活を継続していくことへの不安もあったり。自分が何をしていったらいいのかが見えなくてもがいていたり。やりたいこと探しをしていたり。
ここまでにやってきたことを数えるとほんとに色々。ずっと継続できたことといえば、goo継続だけだという。どれも途中で挫折。
今、振り返るとどうして止めてしまったのだろうと思えることもあります。
手作りも一時期夢中になってのめり込んだりしましたが、今まで続けることは出来ていません。どれもこれも途中で止めてしまいました。
ただ、その時期それに夢中になることで不安な自分の環境から目を背けることが出来たのだと思っています。だから、止めたということは自分の中の何かが変化していったのかなとも思えます。新しいことへ気持ちが向いていった、あるいは新しい問題が起きていた、とか。

ただ、これだけは言えます。
ここを開設した年は、わたしにとって忘れられない年であったのだということ。
人生の一番の岐路があった年だったということ。記憶は薄れがちですが、ここがあることでその年の自分がいかに大きな試練を受けていたのかを思い出します。開設前の数ヶ月は思い出したくない日々でもありました。
この時間がなくなってしまえばいいとさえ思っていました。でも案外人間って持ちこたえるものですね。
わたしが前を向く気持ちになれたのは、その年まで疎遠にならざるを得なかった両親とまた近づけたことも大きな力になっていました。両親がわたしのことを気遣ってくれている、心配してくれている、そのことに毎日気づかされ、親のありがたみを感じた年でした。
そして、親が老いていることに気づかされた年でもありました。

わたしはこれからこの両親のためにも生きなくては・・・そのことが一日を生き伸びる力になっていきました。
5,000日の間に父が、亡くなり弟も亡くなり、母だけになりました。でも最愛の父と弟の近くにいて看取ることが出来たのは、ここを開設した年にわたしに降りかかった思いがけない大きな病気のおかげです。
あの年の三月、後数日で息子が大学入学という頃。一人暮らしをする息子の生活用品を準備している頃でした。
突然、頭にハンマーで殴られたような激痛が走り、立っていられなくなりベッドまで這っていきました。ちょうど日曜日で家にいた息子が気づいて救急車を呼んでくれました。あのとき息子がいなかったら今のわたしはいなかったかもしれません。その後6時間以上のくも膜下出血手術をし、奇跡的に術後の後遺症がなかったという。
退院後のめまぐるしい時間は一生のうちでこれ以上ないだろうという精神的な苦痛を与えてくれました。

あんなときがあったんだなあ・・・死ななくて良かった。そう思っています。生きていたからこそ、子供達の結婚にも立ち会えたし、可愛い孫たちにも会えました。病気で体が不自由ながらも母はここまで生きています。わたしが生きてきたことで母の世話が出来る、それも病気がなかったら叶わなかったことです。病気をし、その後アパート生活になったことで実家にも自由に行くことが出来ました。そう出来る環境にしてくれた方にずっと感謝です。感謝以外の何も無いと思えます。

物事は悪いように捉えれば悪くなる。良いように考えれば良くなっていく。
そう思えるようなことが沢山出てきました。難題もありましたが、その都度前に進むためにどうしたらよいのかを考えてきました。そのそばにはいつも母の姿がありました。
この母で良かった、そう思うことだらけの5,000日でした。
これから母のそばにまだまだいることが出来たら、ここも続けていけそうです。

今日は明日に続く一歩です。