昨日は初めて全国出場を果たした選手、保護者にお祝いの連絡をし、現在の心境を聞いてみた。
すると、苦節10数年、いつか見てろと家族で我慢、辛抱を繰り返してやってきたのに、実感がないとのこと。
本当に分かる。
その時々は、今に見ておれ!達成した暁には目に物見せてやる!という怨念染みた執念でやっていたのに、いざ目標を達成すると、子供であったり、周囲の人間への感謝の気持ちが湧いてくる。
あれ?今までの気持ちは何だったの?本当に達成したの?あ、ありがとうございました・・。
という不思議な気持ち。
怨霊が除霊されると言うか、何だか浄化されるような感じか。
辛抱、我慢をしていると、途中、諦めそうになったり、この道で合ってるんだろうか、この人について行って大丈夫なんだろうかと疑心暗鬼になる時もある。
勿論、環境を変えるといった見極めも親の務めや能力なのかも知れませんが、長い目で見れば、義理や人情を重んじて、我慢し続けてきた人間が結果に結びつくことが多いような気がしてならない。
これまで、子供が望んだから、子供が決めたから・・という言葉を、まるで、そう言えば何でもまかり通る切り札のように使う人も散見されたが、大半は親のエゴや欲望であって、子供は親について行くしかない。
それが功を奏する場合もあるし、そうでない場合もあるし、少年期における親の辛抱や我慢は、我が子の人生を大きく左右することだけは間違いないと思う。
また、辛抱、我慢と口にしてみるものの、常識的に守らなければならないことであったり、自分の思い通りに行動出来ない、自分が望むような指導が受けれないということは辛抱や我慢とは言わないとも思う。
耐え忍ぶのは難しいし、耐え忍んだからといって必ずしも報われるとは限らない中、家族で一つの目標が達成出来たことは、本当に素晴らしいことだと思います。
さて、我が子達よ、コロナ禍で執念、努力、辛抱、我慢忘れてませんか?
俺ぁ〜忘れてないぞ。
現状に満足したらそれ以上の結果なんてない。
泥臭く、いつまでも我々のスタイルを貫きたいものだな。