ざまあみろ
意地悪な言葉って言うか、あんまり良いイメージじゃない言葉です。
で、その意味については、
憎んでいたり敵対していたりする相手の失敗、敗北、不幸などをあざ笑ってすっきりする時の感動詞。
なんですが、あまり事が大き過ぎる時は別として、人間、誰しもが持っている感情だと思います。
私自身も、昔から「いつか見てろ!」という反骨心を活力にしていますが、ざまあみろ的なことは思わないでおこう、言わないでおこうと思っていながらも本能的に感じることはあります。
人の意見を聞かない、自分勝手、損得勘定、義理を欠く、他人を売る、嘘をつく、掌を返す・・そういった者の顛末は一時的に良い方向に向かったとしても、因果応報、必ず落とし穴が待っている。
で、大抵はそんな時にざまあみろ的な感情が湧くんでしょうが、我々がいた世界というのは大人の都合で子供に影響が出てしまうことが多く、ざまあみろというよりかは、残念というか何とも言えない気持ちになります。
そして、人からざまあみろと思われるような行動はしたくないなと、自分の行動で子供に迷惑をかけたくないという思いが強まります。
ざまあみろは、『様』を見ろ。
相手に対するざまあみろではなく、自分の有り様も見てみろ。
そう思うことにしています。
そして、失敗、敗北、不幸があった時には、人なあざ笑われることがないよう、日頃から行動を気をつけて、謙虚でいないといけませんね。