【ふるさとの明日香はあれど あをによし奈良の明日香を見らくし良しも】
大伴坂上郎女の「元興寺の里を読む歌一首」。上野教授の意訳「ふるさと明日香は明日香でよいけれど、(あをによし)奈良の明日香を見るのもよいものだ」。710年の平城遷都とともに、故郷の飛鳥寺も平城京の外京に移転し元興寺となった。「平城京は元祖リサイクル都市。元興寺も飛鳥時代の瓦や木材が使われており、同時に地名も一緒に引っ越ししてきた」。奈良町に飛鳥小学校があるのもその名残。この歌を詠んだ大伴坂上郎女は「移転された飛鳥寺を見て、少女時代を思い出したであろう。この歌からは〝住めば都〟という感覚を読み取ることもできる」。
【あをによし奈良の大路は行きよけど この山道は行き悪(あ)しかりけり】
中臣宅守(なかとみのやかもり)から狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ)への相聞歌の一節。上野教授の意訳「(あをによし)奈良の都は歩きやすいけれど、この山道は歩きづらいもんだなぁー」。天平10年(738年)ごろ、流罪となった宅守が越前に向かう途中で詠んだ。大路は幅が約70mもあった直線道路の朱雀大路を指す。「大阪の御堂筋でも幅員は約50m。それを超える朱雀大路は都を代表する景観で、平城京に住んでいた人々にとっても大きな自慢だったのではないか」。
【春の日に萌(は)れる柳を取り持ちて 見れば都の大路し思ほゆ】
越中国司の大伴家持が赴任4年目の春に詠んだ歌。上野教授の意訳「春の日に芽吹いた柳を手に取ってみると、都の大路のことが思い出されるなぁー」。奈良の都には街路樹として柳が植えられていた。柳の葉のような眉「柳眉」は美人の形容。「家持は赴任先で見た柳から都大路の柳を思い出し、さらに大路を歩く美男美女たちを思い出して、この歌を詠んだのではないだろうか」。
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上野教授は8月下旬訪欧し、ドイツ・フランクフルトを訪ねるという。「頭の中に万葉集はなく、すでに夏休み状態。ヨーロッパ旅行のことで頭がいっぱい」。こう言ってみんなを笑わせたうえで、「自己紹介も兼ねて」とフランクフルト発祥のユダヤ人大富豪ロスチャイルド家のことや、ガラス張りで斬新なフランクフルトの歌劇場、大ファンという女性写真家ベッティナ・ランスのことなどに触れ、さらに菊池章子の「星の流れに」などを口ずさんだりした後、ようやく本題の講義がスタートした。