白壁の町柳井を後に、周防大島、宮島を経由して竹原へ。周防大島は瀬戸内海にある島では淡路島、小豆島に次ぐ大きさで〝瀬戸内のハワイ〟を標榜している。柳井には歌謡歌手松島詩子の記念館があったが、この島には作詞家星野哲郎の記念館があった。〝安芸の小京都〟といわれる竹原は江戸前期に播州赤穂から製塩技術を導入し製塩業で栄えた。風格のある商家の町並みが往時の繁栄ぶりを物語る。その本町通り一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区。
竹原はNHK連続テレビ小説「マッサン」のモデル、竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)の生まれ故郷。生家の「小笹屋 竹鶴酒造」(写真㊧)は江戸中期から塩造りに加え酒造りも始め、今も奥の酒蔵で酒を造っているそうだ。近くの広場には「竹鶴政孝&リタ像」もあった。竹原は儒学者頼山陽(1780~1832)の故郷でもあり、頼一族の建物が今も多く残る。重厚な構えの頼惟清(これすが)旧宅は県指定の史跡。惟清は山陽の祖父で紺屋を営んでいた。叔父の屋敷「春風館」などもある。本川に架かる新港橋のたもとには山陽の大きな座像も立っていた。
重厚な建物が多い中でひときわ目立つレトロな洋館があった。竹原市歴史民俗資料館(旧竹原町立竹原書院図書館)。訪ねたときには入り口に「台風接近に伴い臨時休館致します」というお知らせが掲げられていた。竹鶴邸と資料館の中ほどにある石段を上った所にあるのが西方寺の普明閣。小早川隆景が京都の清水寺を模して創建したといわれ、眼下に竹原の市街地を一望できた。(写真㊧は頼惟清旧宅)
【〝潮待ちの港〟として栄えた鞆の浦】
沼隈半島の先端に位置する広島県福山市の鞆の浦。ここは瀬戸内海のほぼ中央に位置し、潮の干満の分岐点に当たる。潮流は6時間流れて3時間止まり、その後6時間逆に流れるという。このため鞆の浦は〝潮待ちの港〟として栄え、江戸時代には北前船が入港し、朝鮮通信使も毎回寄港したという。シンボルになっている常夜灯は花崗岩製で約160年前の1859年(安政6年)に造られた。
常夜灯に通じる石畳の路地の両側には、江戸時代や明治時代に建てられた白壁や虫籠窓の町家が軒を連ねる。その一つに「重要文化財 太田家住宅」「広島県史跡 鞆七卿落遺跡」という木製看板が掲げられていた(写真㊧)。幕末動乱期の1863年、公武合体派に追われ都落ちした三条実美(さねとみ)ら公卿7人が長州に下る途中に立ち寄った旧「保命酒屋」。保命酒は鞆の浦特産の滋養薬味酒で、醸造元や販売店をあちこちで見掛けた。古い町並みを歩きながら、景観保護と交通渋滞解消の両立の難しさも痛感した。