“共自死” 自ら二人は死を選んだのですが、此のお話が載っている古事記「遠飛鳥宮巻」(≒允恭天皇の巻)は、そのほとんどが、この軽御子と衣通姫のお話です。それだけ、二人の“共自死”が、強烈に、当時の人々の心に写ったのではないかと思ったのですが???日本の歴史上で最も『純粋なる愛の物語』。この人をと思う本当の愛の心に、何ものをも、最高の天からさ授けられた「天皇」という地位までも、打ち捨てて、一図に、己の禁断の愛を貫いた木梨之軽御子の生き方に、大勢の人々が如何に共感したかを物語っているように思われるのです。
そこで、私は、此の二人の”自死”を、普通の人の一般的な自死と同一視できない、何か特別な方法での、この世との別れを画く方法はないかと思い、このような結末で集結させたのです。
明日からはと思ったのですが、またまた御忠告がありました。日本書紀の「衣通姫」は
「古事記たあ でえれえ ちがうんじゃ」
と。そこで書紀をひもといてみました。それを、もうちょっと、書いてみます。あしからず。