その妹が、天皇のたっての招きに応じて、「春日」まで来たと言うことを知った皇后は<ミケハヒ ムツカシ>でした。それを知った衣通郎媛は、そのまま烏賊津使主に従って宮中に出向くことはできません。多分、使主が用意したのだと思いますが、「藤原」という所に、“殿屋”を建てて“居<ハムベラシム>”
それから、しばらくは媛はその藤原の殿舎に居られます。丁度、皇后が、その時、次の次の天皇になられる“大泊瀬尊(雄略天皇)”をお産みになられます。その時がチャンスとばかりに、天皇は、初めて、逢いたいと思っていた衣通郎媛のいる藤原へ行幸されます。
でも、天皇が妹のいる藤原宮に行幸されたことを知った皇后は、“聞之恨<キコソメシテ ウランデ” おっしゃるのでした。
“妾初自結髪 陪於後宮 既経多年”
とあります。「髪を結う」とは、大人の女性になるという意味です。即ち、天皇の妃になって以来、もうずっと天皇のお側に仕えておりました。
“今妾産之死生相半。何故 当今夕必幸藤原 乃自出之焼産殿而将死”
「それなのに、此の度、皇子を出産して、今、生と死の境をさまよっていると言う時に、妹の所に行くなんて、そんなことって有るでしょうか。もう、私はあなたにとっては必要のない女です、この産殿に火を付けて死にます。」
と言われたのです。
さあ大変です。天皇はどうされたのでしょうか???
この話を、現代、女性の前でしようものなら、悉く非難の眼差しが投げかけられます。