烏賊津使主は糒<ホシヒ>を持って、衣通郎媛を迎へに近江坂田まで出向き、その庭にひれ伏すようにして口上を申し上げます。
「天皇が貴方のいらっしゃるのを、心より、一日千秋の思い出でお待ちになっておられます。どうぞ、私と一緒に参りましょう。」
と。それに対して姫は
「私は、決して、天皇からの御命令を懼<カシコ>まずにおりましょうか。大変ありがたく思っております。しかし、皇后は私の姉です。その姉の心を思うと、どうしても天皇のお側に行くことができましょうか。できません。私は死んでも参ることはできません。」
”妾雖身亡 不参赴”と書いてあります。「不参赴」。これもあの3字です。その時の媛の顔の表情や声の大きさ等の様子が目に浮かぶようです。
それに対して、烏賊津使主は、「そうですか分かりました」と、引き下がるわけにはいきません。彼は、相当の知恵者というか策略家です。当然の対応策を、烏賊津だけに、いかにしようかと考えていたのです。その対応策が、密かに袂に入れてきていたあの「糒」だったのです。
先ず彼は、再び、衣通郎媛に申し上げます。
「そうですか。私は天皇より『絶対に姫をお連れせよ』と、強く命令されました。もし、姫君をお連れできなかった極刑だと言われたのです。だから、このまま都へ帰って行ったら私は死刑です。それだったら、この庭で死んだ方がましです。」
と言って、そのまま、庭に、七日間もじっと座っていたのです。その間、衣通郎媛の家の者は、彼のために食事を持って行ったのですが、それも、決して手をつけようとはしませんでした。
”仍經七日伏於庭中、與飲食而不食”
と書かれてあります。
どうしてかお分かりだと思います。
”密食懷中之糒”
あのこっそりと懐に隠し持ってきた「糒」を食べていたのです。その糒を食べていたと言うことも知らないで、姫は七日目に思ったのです。