私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

再び、吉備下道臣前津屋の愚行を

2016-08-05 09:53:46 | 日記

 「足守メロン」がら、まんざら関係がないとも云えない、あらぬ方向に進んだのですが、再び、お話を「前津屋」の話に戻します。

 「前津屋は、自分の鳥に見立てた足に黄金の距<アゴかアユゴか???>を付けた鶏を、天皇の鶏として羽を抜いた禿鶏<アカハダカナルニワトリ>と闘わします。結果、天皇の鶏に見立てた如何にも弱そうに思えた鶏が勝ちます。すると、激怒した前津屋は、刀を抜いて、その禿鶏を即座に殺します。」

 と、吉備の国での出来事を虚空<オホソラ>は天皇の前で語ります。

 そのような吉備の国における「少女の相撲」や「闘鶏」の天皇を蔑ろにする話をお聞きになった雄略天皇は激怒され、吉備の国の征伐を行います。それが、また、この書紀の話では、誠に、お粗末な有るはずもないような話が、堂々と、よくもこのようなオオウソが書かれたものだなあと思えます。
    
 当時は480年頃です。あの「造山古墳」を作った吉備の大王がいた時代よりも、時間的に見ますと、まだ、50年も経過はしてない時にです。衰えたとはいえ吉備王国は、まだまだ、強固な国家でした。その国を征伐にやってくるのです。相当な軍事力が必要であったのではないでしょうか。
 
 この時、雄略天皇は、どれくらいの兵力を吉備の国に派遣したと思われますか?????

 あの秀吉すら、毛利軍との戦い「高松城の水攻め」の場合にでも、二萬もの大軍よつて攻撃を仕掛けているのですから。岡山の浮喜多軍の一萬を合せて三萬もの兵力を投入しておるのです。それでも、やっとの思いて攻略することができたのですから、想像はお付きの事だと思います。

 秀吉と同様に「二萬ぐらいは」少なくとも、とお思いではないでしょうか