前津屋等下道臣が天皇の軍隊「物部兵士」三十人に殺された同じ年です。都では、上道臣「田狭」など日本各地の多くの豪族たちが天皇の政治を助けておりました。(まだ、五世紀の終わりごろ日本の政治は各地の同族たちによる合議制による政治体制でした。)
そんなある日の事です。一日の政務の合間の休憩時間か何かの時ですでしょうか、どのような話がそこでなされていたのか、その前後の事は何も書かれておりませんが、此の「田狭」が云わなくてもいい様な事を
、
”侍二於殿側一 盛穪二稚媛於朋友一 曰”
<オホトノノホトリニ ハベリテ サカリニ ワカビメヲ トモガキニ ホメテ イワク>
この言葉が、その後どのような結果をもたらすとも知らないで、「田狭」は、自慢げに我が妻の素晴らしさについて友達に話します。