田狭の子弟君を新羅征伐の長官にして派遣することに決まったのですが、その時、天皇に仕えていた“西漢才伎<カワチノアヤノテヒト>(手に特殊な技能を持っている有能な中国からの帰化人)で
“歓因知利<クワムイム チリ>”
と云う人が天皇に助言をします。
“巧於奴者多在韓国 可召而使”
と。<ヤツコヨリ タクミナルヒト カラクニニアリ メシテ ツカヒタマフベシ>
そこで、天皇は、その助言をした「歓因知利」を弟君の副将にして百済に派遣します。その時、天皇は、韓国<カラクニ>に勅書<ミコトノリブミ>をして、韓国の巧者<タクミナルモノ> を献上するよう要請しております。
ここら辺りに 雄略帝の有能さが伺われるのです。当時、まだ、文明的には、随分と、日本(倭国)は朝鮮や中国より遅れていたのです。特に、鉄に関する技能は、日本には少なく、もっぱら朝鮮に頼らなくてはならない状態だったのです。そのようなことを見越して、この遠征には、単なる新羅を討つという目的の外に、より強大な日本国への成長の遠大なる天皇の計画が秘められていたのです。
“併下勅書令献巧者”
の中にです。
この「八文字」の中に、今後の長い日本の歴史を左右させるような、誠に大きな意味があるのですが、余りこの文に注目した学者は、過去に、いないように思われるのですが?????